黄帝内経素問集注(陰陽離合論篇6-2)

翻訳

広明(こうめい)の下に位置するものを太陰(たいいん)と呼びます。
(太陰は中土(ちゅうど)を主とし、陰の中で最も陰性のエネルギーを表しますので、広明の下に位置します。)

太陰の前に位置するものを陽明(ようめい)と呼びます。
(太陰と陽明は共に中土を主としますので、太陰の前に位置します。陽明の起点は厲兌(れいたく)で、これを「陰中の陽」と呼びます。厲兌は足の親指と次の指の付け根にあたり、足の陽明経脈(ようめいけいみゃく)の起点です。)

厥陰(けついん)の表と呼ばれるものがあります。これを少陽(しょうよう)と呼びます。
(太陽の気が上にあるため、「少陰の上」と位置付けられます。太陽と少陽が合わさると陽明となり、その中で中土を主とするため、太陰の前に位置します。厥陰は陰の極に位置し、陰が内側に極まると表に現れる陽が生じると考えられていますので、「厥陰の表」と呼ばれます。前が陽、上が陽、表が陽であるとされ、これは三陽の気を指しています。至陰(しじん)の厲兌(れいたく)は穴名であり、三陽の経絡を示しています。手足には合わせて12の経絡があり、三陰三陽の気を司ります。経絡においては、三陰三陽に分かれ、気が相互に作用することを考えると、「一陰一陽」と表現されます。)

少陽の起点は竅陰(きょういん)で、これを「陰中の少陽」と呼びます。
(竅陰は足の小指と次の指の付け根にあたり、初生の気を司るため、陰中の少陽と名付けられています。三陽の気はすべて陰から生じると考えられているため、「陰中の陽」とも呼ばれます。これらは足の三つの経絡に限定した内容です。)

それゆえに、三陽の分類は、太陽が開き、陽明が閉じ、少陽が樞(す)である。
(陰陽の気は三陰三陽に分かれるため、開き閉じ、樞(転換点)が存在します。太陽は巨陽とも呼ばれ、盛り上がった陽の気を表しますので、開くことを司ります。陽明は二つの陽の間に位置し、閉じることを司ります。少陽は初めて出てきた気を司るため、樞(転換点)を司ります。)

三つの経絡は相互に失われてはなりません。調和させて浮き上がらせてはいけません。それを「一陽」と命名します。
(開閉は戸の扉のようであり、樞(転換点)は扉の軸受けのようです。樞が機能しなければ開閉できず、開閉が機能しなければ樞を転換できません。それゆえに三つの経絡は相互に失われることはないのです。開は外に出すことを司り、閉は内に入れることを司り、樞は外と内の間を司ります。これらを中で調和させて浮き上がらせなければ、一つの陽としてまとまりません。)

黄帝(帝)が問うと、

岐伯(きはく)は答えました。「外側が陽であり、内側が陰です。」
(陽の気は外に出て主とします。陰の気は内に昇って主とします。)

それでは中は陰であり、その中心が下に位置するものを太陰と呼びます。
(陰陽の二つの気は、どちらも下に出ます。陰の気が出て内にあるため、中は陰となります。その出る場所が最も下に位置するため、太陰と呼ばれます。衝脈は十二経絡の起点であり、そのため三陰三陽はすべて太沖(太陰の起点)を主とします。)

太陰は隠白(いんぱく)で起始し、これを「陰の中の陰」と呼びます。
(隠白は足の親指の先にあたる穴です。太陰は陰の中で最も陰性のエネルギーを表します。)

太陰の後には少陰が続きます。
(中は陰であり、それゆえ後に位置すると呼ばれます。つまり、陰の気は下から出て、内側の中に同時に存在するということを意味します。)

少陰は湧泉(ゆうせん)で起始し、これを「陰の中の少陰」と呼びます。
(湧泉は足の裏、親指の下にある穴で、少陰は一つの陰の初生のエネルギーを司るため、「陰の中の少陰」と名付けられています。)

少陰の前には厥陰(けついん)があります。
(少陰は水を司り、厥陰は水から生じる木を司るため、少陰の前に位置します。)

厥陰は大敦(だいとん)で起始し、陰の極限である陽を表すため「陰の極陰」と呼びます。
(大敦は足の親指の第三関節にあたる穴で、足の厥陰肝経が発する井穴です。陰の気は下に位置するため、足の三つの陰のうちを考えると、十一月は一つの陽が初めて生じる時期であり、厥陰は十月に陽の気が尽きる時期とされるため、「陰の極陰」と呼ばれます。陰の気が最も極限に達した状態を表します。)

これらのため、三陰の分類は、太陰が開き、厥陰が閉じ、少陰が樞(転換点)となります。
(太陰は三陰の中で最も陰の気が盛り上がっているため、開くことを司ります。厥陰は二つの陰の気が交じり合って極限に達するため、閉じることを司ります。少陰は一つの陰の初生の気を司るため、樞(転換点)となります。)

三つの経絡は相互に失われてはなりません。摶り合わせて沈めずに命名されます。
(陰の気は下から出て、内側で集まり、沈めることなく調和させることで、「一陰」と呼ばれます。陽の気は浮き上がることを司るため、「浮き上がらせずに摶り合わせて」と言われます。陰の気は沈むことを司るため、「沈めずに摶り合わせて」と言われます。このように、三つの陽の気は体の外と内で開閉します。三つの陰の気は体の内で前と後で開閉します。これが陽が外にあり、陰が内にあることを意味します。陰が内にあり、陽が外にあることを守ることを意味します。)

陰陽の気は循環して一つの周期となります。気は内に入り形を作り、表に出ることで相互に成り立ちます。
(陰の気は内に蓄積し、陽の気は外に伝達します。日の出で陽の気は生じ、日中で陽の気は最盛期となり、日の夕方で陽の気は衰え、日の入りで陽の気は内に陰に戻ります。これによって一つの昼夜の周期が成り立ちます。陰の気は内部で開閉し、陽の気は形(体の外)と表(体の内)で出入りします。これが陰陽の開閉の相互関係を成り立たせるものです。)

原文

廣明之下。名曰太陰。
(太陰主中土。而為陰中之至陰。故位居廣明之下。)

太陰之前。名曰陽明。
(太陰與陽明合。並主中土。故位居太陰之前。)
陽明根起於厲兌。名曰陰中之陽。(厲兌、穴名。在足大指次指之端。乃足陽明經脈之所起。)

厥陰之表。名曰少陽。
(太陽之氣在上。故曰少陰之上。兩陽合明曰陽明。在二陽之間而居中土。故曰太陰之前。厥陰處陰之極。陰極於裡。則生表出之陽。故曰厥陰之表。蓋以前為陽。上為陽。表為陽也。曰上曰前曰表者。言三陽之氣也。曰至陰厲兌竅陰者。言三陽之經脈也。手足十二經脈。主三陰三陽之氣。在經脈則分為三陰三陽。在氣相搏。命曰一陰一陽耳。)

少陽根起於竅陰。名曰陰中之少陽。
(竅陰、穴名。在足小指次指之端。少陽主初生之氣。故名陰中之少陽。三陽之氣。皆出於陰。故曰陰中之陽。而只論足之三經也。)

是故三陽之離合也。太陽為開。陽明為闔。少陽為樞。
(陰陽之氣。分而為三陰三陽。故有開闔樞也。太陽者。巨陽也。為盛陽之氣。故主開。陽明合於二陽之間。故主闔。少陽乃初出之氣。故主樞。)

三經者。不得相失也。摶而勿浮。命曰一陽。
(開闔者。如戶之扉。樞者。扉之轉牡也。舍樞不能開闔。舍開闔不能轉樞。是以三經者。不得相失也。開主外出。闔主內入。樞主外內之間。若摶於中而勿浮。則合而為一陽矣。)

帝曰:願聞三陰。

岐伯曰:外者為陽。內者為陰。
(陽氣出而主外。陰氣升而主內。)

然則中為陰。其沖在下。名曰太陰。
(陰陽二氣。皆出於下。陰氣出而在內。是以中為陰。其所出之太沖在下。而沖之上名曰太陰。衝脈為十二經脈之原。故三陰三陽。皆以太沖為主。)

太陰根起於隱白。名曰陰中之陰。
(隱白、穴名。在足大指端。太陰為陰中之至陰。)

太陰之後。名曰少陰。
(中為陰。故曰後曰前。言陰氣出於下。而並處於裡之中也。)

少陰根起於湧泉。名曰陰中之少陰。
(湧泉、穴名。在足心下。蜷指宛宛中。少陰乃一陰初生之氣。故為陰中之少陰。)

少陰之前。名曰厥陰。
(少陰主水。厥陰主水生之木。故在少陰之前。)

厥陰根起於大敦。陰之絕陽。名曰陰之絕陰。
(大敦、穴名。在足大指三毛中。足厥陰肝經所出之井穴。陰在下。故論足之三陰也。十一月一陽初生。厥陰主十月。為陽之盡。故曰陰之絕陽。兩陰交盡。名曰厥陰。故為陰之絕陰。)

是故三陰之離合也。太陰為開。厥陰為闔。少陰為樞。
(太陰者。三陰也。為陰之盛。故主開。厥陰為兩陰之交盡。故主闔。少陰為一陰之初生。故主樞。)

三經者。不得相失也。摶而勿沉。命曰一陰。
(陰氣從下而出。在內之中。摶聚而勿沉。命為一陰也。陽氣主浮。故曰勿浮。陰氣主沉。故曰勿沉。蓋三陽之氣。開闔於形身之外內。三陰之氣。開闔於內之前後。故曰陽在外。陰之使也。陰在內。陽之守也。)

陰陽●●。積傳為一周。氣裡形表。而為相成也。
(●●、氣之往來也。陰氣積於內。陽氣傳於外。日出而陽氣始生。日中而陽氣隆。日晡而陽氣衰。日入而陽氣內歸於陰。一晝夜而為之一周。陰氣開闔於裡。陽氣出入於形表。而為陰陽離合之相成也。)

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