黄帝内経素問集注(生氣通天論篇3-4)

翻訳

岐伯は言った。「陰とは、精を蓄え、頻繁に活動するものである。陽とは、外部を守り、固めるものである」と。
(生の根本は陰陽によるものであり、陽は陰から生じる。だから、帝はまず陽について論じ、岐伯はその後に陰について述べる。亟は頻繁を意味する。陰は精を主とし、陰の中の気は頻繁に起こって外部に応える。陽は外部を守護し、陰の固めとなる。亟(読みはそく)は頻繁を意味する。)

陰が陽に勝たぬならば、脈は弱く急速に流れ、また狂気を生ずる
(気は陽、血脈は陰。陽が盛んで陰がそれに勝たぬならば、脈が急迫して流れる。陽が盛んならば狂気を生ずる。陽が過剰で自身も病になる。だから『また狂』と言う)。

陽が陰に勝たぬならば、五臓の気が争い、九竅が通じず
(五臓は陰、九竅は水の流れる気、精気が流れる入り口のこと。陽が盛んで陰が勝たぬならば、五臓の気が内部で交じり合い、九竅が通じなくなる。実際には五臓の気は外に向かって陽となり、内部では陰となる。臓は陰を主とし、膀胱は州都の役割を果たすもので、精液を貯える。表面の陽の気は膀胱の精水から生じ、皮膚の気は五臓の根本的な真実である。これは陽気が陰の精から生じることを示している。だから『生の根本は陰陽によるものであり、陰者は精を主とし、起こり頻繁である』と言う。下経曰く、陽がそれを与え正し、陰がそれを主とする。陽気は外に出て外部を守り、内部に帰る。昼夜の交替によって開き閉じる。まるで四季の寒暑のような交替である。これが陰陽の調和である)。

それゆえ、聖人は陰陽を整え、筋脈を調和させ、骨髄を強固にする。気血は共にそれに従い、内外が調和し、邪気が害を及ぼすことはなく、耳目は鋭く、気は元のように立ち上がる
(陰を注ぐのは耳、血気を注ぐのは目。邪気は外には淫れず、陰気は内部を固める。それによって耳目は鋭くなり、気は元のように立ち上がる。本経曰く、中に根を持つものを神機という。外に根を持つものを気立という。また言う、出入りが停滞すると神機は消失し、上下の動きが停滞すると気立は危うくなる。ただし、聖人は陰陽を整えて、上昇と下降、出入りを行い、内外を調和させる。それゆえ気立は元のように立ち上がる)。

風客や淫らな気は精を奪い、邪気は肝を傷つける
(これは前文の陽が外部を守ること、陰を固めることを明らかにしている。風は陽の邪気で、皮膚表面に侵入すると気が乱れる。陽気が傷つけられると、陰寒精が内部から消耗される。風は木の邪気で、肝気と通じる。肝は血を貯え、肝気が邪気に触れると血が傷つく。これは陽が陰の精血を貯える固めということを述べている)。

過度な食事によって筋脈が乱れ、大量の飲み物を摂ると気が逆流し、無理な力を使うと腎気が傷つき、腰骨が壊れる
(前文に続いて言う。陽気が傷つきながらも陰の固めとなれず、精血が損なわれる。そして飽食と無理な力の結果、次のような症状が現れる。肝は血を主とし、筋を統率する。食べ物の気は胃に入り、肝に精気を散らす。淫邪気は筋に侵入し、肝が傷つけられると筋脈が下方に乱れる。食べ物の気が滞留すると湿熱の気が陽明大腸に蓄積し、痔を生ずる。腸と胃はつながっており、胃に入った食べ物が上に向かわず下に逆流することを指す。飲み物は胃に入り、脾がそれを輸送し、肺の気が調和する。肺は身体全体の気を統率する。気が邪気に傷つき、さらに大量の飲み物を摂ると水津が四方に広がれず、気が逆流する。精が失われ、無理に力を使うことで腎気が傷つく。高い骨、腰の高い骨は腰のことで、腰は腎の府である。高い骨が壊れると動かすことができなくなり、腎が衰える。これは外からの邪気が陽気を傷つけ、飲食や労働によって陰を更に傷つけることを指している)。

要は陽が強ければ固めることができない。陰気は断絶する
(陽が盛んであるが陽気が固めることができず、陰気は内部で断絶する。これは風客や淫らな気による精の消耗を総括したものである)。

両者が調和しなければ、春がなければ秋もなく、冬がなければ夏もない。両者を調和させることこそ聖人の度量である
(これは陰陽の調和が必要であり、それによって上昇と下降、出入りが行われる。両者が調和しなければ生の上昇があっても収束や下降がなく、充実や消耗がない。だから必ず両者を調和させることこそ聖人が調養する法度である。これは陽気が開き閉じすることを結ぶものであり、聖人は陰陽を整えて内外を調和させる)。

したがって、陽が強ければ固めることができない。陰気は断絶する
(陽が盛りであり、陽気が固めることができず、陰気は内部で断絶する。これは風客や淫らな気による精の消耗を総括したものである)。

原文

岐伯曰:陰者。藏精而起亟也。陽者。衛外而為固也。
(生之本本於陰陽。陽生於陰也。故帝先論陽而伯複論其陰焉。亟、數也。陰者主藏精。而陰中之氣。亟起以外應。陽者主衛外。而為陰之固也。數音朔。)

陰不勝其陽。則脈流薄疾。並乃狂。
(氣為陽。血脈為陰。陽盛而陰不能勝之。則脈行急迫也。陽盛則狂。陽甚而自亦為病。故曰並乃狂。)

陽不勝其陰。則五臟氣爭。九竅不通。
(五臟為陰。九竅為水注之氣。乃精氣所注之門戶。如陰甚而陽不能勝之。則五臟之氣。交爭於內。而九竅為之不通。蓋五臟之氣。出而為陽。在內為陰也。夫臟為陰。精血為陰。氣為陽。九竅為陽。內為陰。外為陽。五臟主藏精者也。膀胱者。州都之官。精液藏焉。表陽之氣。生於膀胱之精水。肌腠之氣。乃五臟之元真。是陽氣生於陰精也。故曰:生之本。本於陰陽。陰者。藏精而起亟也。下經云。陽予之正。陰為之主。蓋陽氣出而衛外。內則歸陰。一晝一夜。有開有闔。如四時寒暑之往來。是為陰陽之和平也。)

是以聖人陳陰陽。筋脈和同。骨髓堅固。氣血皆從。如是則內外調和。邪不能害。耳目聰明。氣立如故。
(陳、敷布也。陽氣者養筋。陰氣者注脈。少陽主骨。少陰主髓。氣為陽。血為陰。聖人能敷陳其陰陽和平。而筋脈骨髓氣血。皆和順堅固矣。內為陰。外為陽。如是則外內之陰陽調和。而邪勿能害。精氣注於耳。血氣注於目。邪不外淫。則陰氣內固。是能耳目聰明。氣立如故也。本經曰:根於中者。命曰神機。根於外者。命曰氣立。又曰:出入廢則神機化滅。升降息則氣立孤危。惟聖人敷陳其陰陽。使升降出入。外內調和。是以氣立如故也。)

風客淫氣。精乃亡。邪傷肝也。
(此複申明陽者衛外。而為陰之固也。風為陽邪。客於膚表。則淫傷於氣矣。陽氣傷。則陰寒精自出矣。風木之邪。內通肝氣。肝主藏血。肝氣受邪。則傷其血矣。此言陽為陰藏精血之固。)

因而飽食。筋脈橫解。腸 為痔。因而大飲。則氣逆。因而強力。腎氣乃傷。高骨乃壞。
(承上文而言。陽氣傷而不能為陰之固。致精血有傷。而複飽食強力。故見証之如此也。夫肝主血而主筋。食氣入胃。散精於肝。淫氣於筋。邪傷肝而複飽食。不能淫散其食氣。而筋脈橫解於下矣。食氣留滯。則濕熱之氣。 積於陽明大腸而為痔。蓋腸胃相通。入胃之食。不能上淫。則反下 矣。夫飲入於胃。脾為輸轉。肺氣通調。肺主周身之氣。氣為邪傷。而複大飲。則水津不能四布。而氣反逆矣。夫精已亡。而複強用其力。是更傷其腎氣矣。高骨、腰高之骨。腰者腎之府。高骨壞而不能動搖。腎將憊矣。此言外淫之邪。傷人陽氣。複因飲食勞傷。而更傷其陰也。)

凡陰陽之要。陽密乃固。
(此總結上文之義。而歸重於陽焉。蓋陽密則邪不外淫。而精不內亡矣。無煩勞則陽不外張。而精不內絕矣。)

兩者不和。若春無秋。若冬無夏。因而和之。是為聖度。
(此複言陰陽和平。而後能升降出入。如兩者不和。有若乎惟生升而無收降。惟閉藏而無浮長矣。故必因而和之。是謂聖人調養之法度。此複結陽氣之有開有闔。惟聖人能陳陰陽而內外調和也。張二中曰:丹書云。一陰一陽謂之道。偏陰偏陽謂之疾。故聖人和合陰陽之道。以平四時之氣者也。)

故陽強不能密。陰氣乃絕。
(陽強、邪客於陽而陽氣盛也。陽病而不能為陰之固密。則陰氣乃絕於內矣。此複結風客淫氣。精乃亡也。)

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