見出し画像

アラフォーになって今さら長文の日記を描こうと思った理由

こんばんは。
馬場ヤイリです。

「毎日noteで日記を書くぞ!」と意気込んでいたんですが、ムズいっすね!
日記を書くまでのハードルって、以下の二つがあるなと。

【一つ目のハードル】毎日事件が起きるわけではないため、そもそも書くことがない。
【二つ目のハードル】文章を書き慣れていないため、書くこと自体が大変。

で、一つ目のハードル『書く内容』については、最悪なんとかなります。
というのも、その日考えた思考の内容を書けばいいわけですから。
「今日はなーんにも起きなかったけど、こんなことを考えました!聞いてください」みたいな。

ただ、二つ目のハードルの『書く能力』は一朝一夕で身に付くものではありません。

おそらく書く能力は積み上げ式で、文章を書き続けた分だけ熟達していくものです。
各SNSが文字離れしていく中で、長文を書く頻度は日に日に少なくなっています。
X(旧ツイッター)は最大140文字だし、インスタなんて言葉を必要としてないですよね。
その中で、あえて長文を書く。

言語化能力を鍛えるためには、絶対長文に挑んだ方がいいんですよね。

長文になればなるほど伝える内容も(普通は)濃くなる。
で、濃い内容を伝えるためには、言葉選びやわかりやすい文脈を工夫しなければいけない。
それこそまさに、言語化能力ってことじゃないですか。

言語化能力って、すっげー大事。
オーソドックスな手段としては、俯瞰的な視点でとらえた物事の景色を、わかりやすい言葉選びで文章に綴る。
一見、会話として当たり前にやっていることですが、かしこまって文章に落とそうとすると途端にできなくなる。

声は刹那的です。録音しないと残らない。
しかし、文章は距離と時間を飛び越えて、相手に意思を伝えることができます。

報告書を書いてメールすれば、上司に直接会わずとも内容を伝えれます。
遺書を書けば、自分が死んだ後にも意思を残せます。

書くことは、それだけのパワーと可能性を秘めた行為ってことですね。
だから頑張って書いていこうと思います。

これ以上、言葉に嫌われても嫌ですし。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?