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【ワープア戦略】貧乏暇なしをどう生きるか

こんばんは。
馬場ヤイリです。

また心のうちを備忘録的に書き記します。
今夜は『貧乏暇なし・忙し貧乏』について。

大半の大人が、貧乏暇なし状態になってませんかね。
僕がまさにその状態なんですよね。

僕は今30代半ばのおっさんです。
世間から見たらちょうど働き盛りの世代。

田舎の中小企業勤めのしがないサラリーマンで、日本人の平均収入よりちょっと下くらいのワープア層に位置している人生です。
各SNSでは、先進的かつオシャレなセレブ生活の風景がタイムラインに流れてきます。
昔は僕みたいな田舎少年が本来見る機会さえなかったセレブな風景が、SNSで無限に見放題。
これは非常にネガティブな話で、こちらのコンディションをガン無視で強制的にセレブな世界を見させられてしまう時代になってしまいました。
そんな誰かさんの輝かしいワンシーンに目を細めつつ、さて自分の貧しい生活に向き直るとその落差に愕然とする…みたいな毎日を送っております。

貧乏暇なしという概念は、大昔からありました。
本来の意味は、低所得層が自分の生活を維持するために朝から晩まで働かされ、その劣悪な暮らしから抜け出す一手さえ打てない状況を言いますよね。
つまり、貧乏暇なし=物理的に生活が八方ふさがりの状態。
家計の収支にいっさいの余裕がなく、考える暇があったら体を動かして労働せざるを得ない生活。
それが貧乏暇なしでしょう。

でも、現代はそんな物理的な八方ふさがりに加えて、心の面でも貧乏暇なしになっているのは…というのが今回の主張です。

心の拠り所ってあるじゃないですか。

例えば宗教。
江戸時代に年貢生活に苦しんだ農民は、よくわからないガイジンから教えられたキリスト教を心の拠り所にしました。
幕府からの正教弾圧を受けても、彼らは隠れキリシタンとして存在し続けた。
同胞の血が流れていた真横で、マリア観音像に祈りを捧げて続けたわけです。
それが彼らに残された唯一の心の拠り所だったから。

さて、現代に話を戻しましょう。
僕らはスマホを高頻度で見ます。朝起きてすぐ、トイレでふんばっているとき、食事中、寝る前、暇さえあればすぐにSNSを開きます。
何を求めてスマホを見るんですかね。
たぶん、無意識に心の拠り所を探しているんじゃないかなって思うんですよね。

しかし、タイムラインに流れてくるのは他人のきらびやかな生活だったり、誰かの輝かしい功績の話だったり。
隣の芝生は青く見える…どころか、まぶしすぎて目を細めてしまうくらいの極端な情報が目に飛び込んでくる。

物理的な生活(衣食住の確保)で精一杯なのに、ふと心の拠り所をもとめて手のひらの画面を見れば、そんな状況。
落ち着いて心を整える隙さえない。自分をゆっくり見つめ直すいとまさえ持てない。
貧乏という概念に体だけでなく心まで浸食を受けている、と言えませんかね。
これですごく不健全なことだと思うんですよね。

では、ワープア層の僕らはどう生きるべきか。
SNSに跋扈(ばっこ)する刺激物をうまーく避けながら生活する…そんなの不可能じゃないですか。

で。
僕が出した結論は、他人と自分をむやみに比べない心構えが大事だなってこと。
でもこれって、すげー難しくて、訓練が必要なんですよね。
どんな訓練が必要かっていうと、自分が持っている幸せをちゃんと認知する訓練。
自分の仕事、家族、住まい、趣味、ペット…。それらにちゃんとありがたみを感じる心の余裕を持ち続けること。

SNSを見る度に湧き出てくる煩悩(ぼんのう)や羨望(せんぼう)に振り回されず、自分を囲んでいるすべてのものに感謝する心構え。
心構えっつーか、強い精神力なのかな。
これを獲得することが2024年の僕の目標です。

矮小な僕の、小さな目標。
頑張るっつーより、ふんばりましょ。お互い。

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