徳之島で働いてみた!
徳之島に住み始めて4か月
8/31に節目の日を迎えた。
最初の派遣先A子ども園でのお仕事が終了した。
ちなみに、次はB子ども園。
ただの派遣保育士ではない。
今の話を聞くと、
転職したのかな?とか
その園が嫌になって違う園に移るのかな?
と思うかもしれない。
そうではない。
そうではない働き方があるのだ。
特定地域づくり事業協同組合制度という言葉を知っているだろうか?(多分知らないと思う。私も知らなかった。)
簡単に言うと
人手は欲しいけど繁忙期だけでいい(1年を通しては雇えない)
安定した給料を払えない
といった事業所を集めて組合を作り、
春はA事業所、夏はB事業所…みたいな感じで、1年のうちに複数の事業所に派遣して、それぞれの事業所が求める時に求める場所で働いてもらう仕組み。
働く方には、
安定して働ける(正社員で月給制なので)。
マルチワーカーと呼ばれ、複数の仕事が出来る。
というのがメリットかな。
人口減少を止めるために安定した雇用を作るのが目的らしい。
その事業を徳之島の伊仙町でしている「とくのしま伊仙まちづくり協同組合」で私は働いている。
さっきの説明を聞くと、一次産業のイメージが大きいかもしれないけど、伊仙町はそこに保育施設や学童、介護の施設なども含まれているのだ。(むしろ農業よりそっちが多い。)
なんでそこで働いてるの?
ちなみに私は元保育士で、一端離職してキャリアブレイクをしていた。その時の経験から、“考えるより感じる”ことを大切にして、それをするのに自然は必要不可欠だと思ってた。
そして
自分の感情を自分で気づいて、引き受けて、調整できる子。自分で自分のことを決められる子を育てたい。
それで森のようちえんを中心に就職を考えてたんだけど、募集を見つけたところで、実際訪ねてみてピンと来るところがなかった。
そしていろいろ見て話を聞くうちに、森のようちえんに行ける子ってごく一部だよな~と思い始めてた。今ある普通の保育施設を変えることも大切なんじゃないかって。
そんなタイミングで、
移住支援サイトsmoutを通じて、組合の方から私を目に留めて声をかけてくれた。
その時初めてこういう制度があることと、徳之島という島があることを知った。
オンラインで説明を聞いてワクワクして。
いろんな保育施設を見れる、いろんな場所で働けるっていいな。
期間が決まっていないことが、いつまでいてもいなくてもいいという、重圧がない心の軽さが魅力的だった。
(例えば、地域おこし協力隊は3年という縛りとその後の定住促進の制度なので真面目な私には重圧だった。)
でも奄美群島の島って文化も気候も違うし、半分外国にいるものだよなと最初は迷った。
ある方に相談して、「かっきーはインプットよりアウトプットしたいんじゃない?」って言ってもらえて、自分でもそのことに気づいた。
島は挑戦しやすそうだし、
実際に島を訪ねてみて、出会った方が素敵で、単身で行くことになるので仲間になれそうな人がいることの心強さもあり、
島に住んで働くことを決めた。
働いてみて
(抽象的なことも多いと思うがご了承下さい。)
最初はえ?!ありえない!!と思うこともたくさんあった。
前働いてた保育園の常識とまったく違う世界
自分の理想としている保育と違う保育をしている。
でも、その保育園のリズムや流れが分かってきて、職員のことも分かってくるとちょっと見え方が変わってきた。
先生たち
仲良くなってくると先生たちも優しくて良い人たちばかりだった。
特に印象に残った2人の先生がいる。
①2週間ほど連続して入った4・5歳児クラスの担任A先生。
いつも話しかけてくれる明るい先生だ。
私は以前保育園で働いてた時に乳児クラスの担任しかしてないので幼児と関わる経験がほとんどなかった。
しかも、島の子は元気いっぱいで、やんちゃ。
担任がいないときは、私は優しいから何をしても大丈夫だろうと子どもたちは気持ちが大きくなる。
私の話を全然聞いてくれない子どもたちに、(一斉保育なので)「片付けだよ」「◯◯の時間だよ」と声をかけて動かすのは難しかった。
そして発達が遅れている子が起こすひっかき事件。何件も繰り返してしまい、止められなくてめちゃくちゃ悩んだ。
そんな時に話を聞いてくれたり、私はこうしてるというのを教えてくれたり、先生の姿を見て学んだりした。
特にお集まりでピアノでリトミック的なことをしているのが勉強になった。命令の声かけでするのではなく、音や歌で。
ドレミファソで立つ、ソファミレドで座る。
姿勢を伸ばす歌を歌う。
そうすることで楽しく出来るのかなと思った。
そして、発達支援の先生の巡回?でのアドバイスで環境が良くないと言われ、即座に変える姿をみて尊敬した。
②一番多く入った1歳児のクラスのC先生
同い年で子どもが3人いるお母さん先生だった。
時間のやりくりが上手かったり、
製作やデザインのアイディアが素敵だったりする。
保育士資格を去年取得して、担任をもつのは初めてだけど、8年くらい働いているし子育て経験もあるので、おどおど悩むことなく判断が早くしっかりしてて、いろんなところにも気がきいていた。
そして、子どもの午睡中に「こうしたい!」という思いを話してくれた。
⭐室内環境を変えたい、
⭐手作りおもちゃを作って遊びを充実させたい
⭐床でするおままごととはいかがなものか、おままごとコーナーを充実させたい
私とも共通する想いを持っていた。
それが嬉しかったのとびっくりしたのと。
そして私のしたいことも自由にやらせてくれた。環境を変えるためにいろんなおもちゃを作った
壁面のおもちゃ(アイディアを採用してくれた)
ボール転がし
段ボールで机
牛乳パックで絵本棚
いろいろ子ども園に思うこともあるけど、実際の現場の先生は想いがあって、頑張ってるんだ。
この先生たちがいたら今後もっといいこども園になるんじゃないかと最後は思えるようになった。
実際、1歳児クラスも4・5歳児クラスも、私がいる期間でも室内環境を変えていて、先生たちも日々勉強してよりこどもたちにいい保育が出来るように工夫していることがよく分かった。
子どもたち
ちなみに子どもたちの姿も、私が働いた京都の保育園の子とは違った。まだ他の園を知らないので何とも言えないが、この園に限定するものだけでなく徳之島または伊仙町の特徴なのだと思う)
☆牛大好き。牛に関する遊び(牛小屋の掃除や、闘牛ごっこ)をする子どもたち
☆何か高いところがあればすぐ登る子どもたち。5歳児は登り棒もすいすい登れてた。
☆大胆でわんぱくな子
そして大きく違うところ
☆兄弟児が多い。子どもが3人いるのは普通。4人5人いても普通。くらいの世界だった。
大人たち
これもおそらくこの園というよりも島の大人たちの性格なのかもしれないが。
小さな怪我や噛みつきに寛容。先生も保護者も。
これにはめちゃくちゃびっくりした。
私
そして、自分の理想と違うからとか、やっぱり変えるのか難しいとか、暑くて本気になれないとか、文句もたくさんだったけど、徐々に変われた気がする。
ある時、プライベートで行った溝畑宏氏の講演会で「目の前のこと、言われたことで結果を残せ」と言われた。
ひっかき事件多発の時に思った。
理想とは違うかもしれないけど、この園で出来なきゃいけないことを出来てないのは違うんじゃないか?
このひっかきを止められてない自分は果たしてどうなのだろうか?
理想ばっかり見て目の前の子どもを見れてないよね。
この園で何も成せてないのに他で何か出来るはずがないよね。
そこから、A園の仕事に前向きになれた気がする。その園の方向性に乗ってみることにした。
そして自分の未熟さにも改めて気づいた。私は、決めつけで言ってしまって、子どもの話を聞くことが出来てないことがあったので、これから子どもとじっくり話すことを気を付けたいなと思う。
また、やらなきゃいけないこと、掃除などの作業に追われてしまって、今はこういう状況だったからもっと子どもと関わるべきだったと思うことがあった。
最後に
どんなに私の思いと違おうが、先生たちも子どものことを考えてその保育をしてることは確か。
そして私の思いと違ってそうに見えて、対話してみると私が大切にしていることも大切にしていて、同じ熱い想いをもってもいた。
それに気づくことができた。
そして、4か月しかいない私にお別れの場を作ってくれて、子どもたちの踊りを披露してくれたり、プレゼントを用意してくれたり。
もらった時は泣きそうだった。
自分の未熟さを受け入れて改善しつつ、次の園でもいろいろ学んでいきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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