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「きみはオフィーリアになれない」 瀧本達郎 前編 #053

 しばらくすると、白塗りの軽トラがやってきた。周囲には瀧本以外は誰もいなかったので、迎えだとすぐにわかった。
 瀧本くんね、と迎えにきた人物はそう言った。トラックの運転席から出てきたとき、瀧本はぎょっとした。相手は声からすると女性のようだったが、手術室にいるときの医師のような白衣に身を包み、顔にはマスクのようなものを装着していたからだ。顔がほとんど見えず、外見だけでは性別は判定できなかった。声からして、若い、二十代ぐらいの女性だということはわかった。
 はい、では、持ち物を検査します。白い衣装の女性はそう言った。コミュニティでは、個人のものを持つことが禁止されています。だから、外部の人も同じように、個人のものを持ち込むことを、極力、禁止しているのね。それに、ラジオなどの機械類は厳禁です。本も駄目。時計も外していってね。大丈夫、持ち物は全部、あの小屋で預かることになっていて、帰りにはちゃんと返してあげるから。とにかく、コミュニティに入るときには、それが最低限のルールなの。守ってくださいね。
 瀧本は言われるままに荷物を預けた。そして、これ、と女性はウェットティッシュのようなものを差し出す。これで、全身を拭いてください。あなたの周りについている電磁波とか、そういうよくない電波みたいなものをね、これで拭き取るの。そして、これを着てちょうだい。女性は、いま自分が着ているような、白い衣装を手渡した。要するに、これらの「儀式」を済ませないと、コミュニティには立ち入ることはできない、ということなのだろう。瀧本はそれに従った。そして、女性の運転する軽トラに乗り込み、コミュニティを目指した。
 車内では、女性がときおり、いいところでしょう、とか、秋になると紅葉が綺麗なのよ、などと話を振ってくるが、ほとんど耳に入ってこなかった。道はやがて獣道のようなものに変わり、振動で女性の話を聞くどころではなかった。一時間ほど走っただろうか。軽トラが止まり、ここから先は歩きなのよ、と女性が言った。女性が先導し、軽くなったバックパックを背負った瀧本があとに続いた。あたりはもう山そのもので、道のりはほとんど登山に近かった。岩から岩へ、鹿のように身軽に登っていく女性を追いかけるので精一杯だった。
 ここまできたら、もうそれ、取っていいわよと女性は言って、自らもマスクを取り、そこで素顔があきらかになった。美人だ、と瀧本は思ったが、実はこの人もまだ十代なのではないか、と思った。山を登り切ったのか、辺りは平坦な道になっていて、遠くにコミュニティの居住施設らしき木造の建物が見えた。
 女性について建物に近づいていくと、何人かの人が畑仕事をしているのが見えた。そのうちのひとりがこちらに気付き、手を止め、持っていた鍬を置くと、駆け寄ってきた。かんなだった。髪は長く伸び、真っ黒に日焼けしていたが、栗色の大きな瞳は見間違えようがなかった。来てくれたんだ、とかんなは言った。瀧本は軽く頷く。
 最初に出会った頃とは似ても似つかないが、その頃の雰囲気に戻っているような感じがした。少なくとも、中学校にいたときの、ほとんど親しい友達もおらず、ひとりで机に伏していた頃とは全然違っていた。

(つづく)


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