見出し画像

「きみはオフィーリアになれない」 瀧本達郎 前編 #057

 函南はちらりとこちらを一瞥する。函南は黒ぶちの眼鏡をかけていたが、その奥の瞳は意外と幼いな、と瀧本は思った。函南は黙ったまま、自分が書き付けているノートも瀧本に渡す。ノートの文字は、何かの暗号のようだった。意味はさっぱりわからない。これ、何? と瀧本が再度、質問すると、いま書いているプログラム、とぼそっと言った。瀧本は、プログラムの意味がわからなかった。そして、プログラム? と聞き返すと、そう、コンピュータの、プログラム、とまた短い返答があった。質問に対する返答があまりにも短いので、相手の反応に対して質問を重ねていく必要がある。だが、対話は成立した。何度か往復した質問によると、函南は授業中の時間はすべて、ノートにいま自分が作っているプログラムのソースコードを書き付け、自宅に帰るとそれをコンピュータに打ち込んでいるらしい。そんなことをしている生徒をこれまで見たことがなかった。
 函南と瀧本はじきに仲良くなった。函南はクラスの中では完全に浮いていて、誰も彼に話しかけようとはしなかった。学校の勉強に関心を示さず、いま自分が関心の向いているものにしか思考しようとしない。だが、彼は抜群に頭がいい、と瀧本は思った。彼の思考は、明晰で、論理的だった。何かひとつのテーマについて、ひとつひとつの断片を構築していくのではなくて、頭の中ですでに全体図がイメージできているようだった。
 瀧本は自分の本を函南に貸し出した。彼はそれまでに、ほとんど読書をしたことがなかった。小説には彼はあまり関心を示さなかったが、理系の本には強い関心を示した。その頃の瀧本は、生物学にはじまり、宇宙論、物理学、社会学、その他文字のある本ならなんでも読むようになっていた。子どもむけのファンタジーから、もっとリアリティのある活字の世界に身を投じることができるようになったことが嬉しかった。
 函南は生物学に特に強い関心を示した。リチャード・ドーキンスという生物学者の書いた、「利己的な遺伝子」という本に書かれている内容に惹かれたようだった。その本は、物理的な肉体は遺伝子の乗り物にすぎない、と主張していた。本の中で紹介されていた、遺伝子のゲーム理論に彼は共感を覚えたようだった。生存に必要な戦略として、常に相手を攻撃する者、常に相手から逃げようとする者、いろいろな戦略があるが、ゲーム理論によると、常に最高のスコアをはじき出す戦略というのが数学的に導き出されているらしく、それは「しっぺ返し戦略」と呼ばれている。相手に対し、最初は友好的に接し、相手がこちらを裏切ったらこちらも裏切り返す、相手が改心してふたたび友好的になったら、こちらも友好的にもどる、というシンプルな戦略だ。これが生存には最も有利な戦略となるらしかった。函南は、シンプルであるがゆえにあいまいなところがない、理想のプログラムに近い、と言った。
 やがて瀧本は函南の自宅に遊びに行くようになった。彼の自宅は高校のすぐ近くにあり、初めて訪れた時に、瀧本は圧倒された。街中にあるため敷地は広くはなかったが、家の作りがまるで違った。函南の家の玄関が、瀧本の自宅の居間ぐらいの広さがあった。函南はほとんど自分のプライベートなことを話さなかったので、彼の親が何をしているのかなどはわからなかったが、いつ瀧本が自宅を訪れても両親のいずれもいなかった。

(つづく)


サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。