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「きみはオフィーリアになれない」 安達凛子 前編 #013

「だいぶ会議で絞られてたって話だよ。ほら、最近、売上げ悪いからさぁ」
 会議というのは支店長以上が参加するエリア会議のことで、各支店の収支報告をする会議だ。管理職ではない凛子は、そこでどういったことが話し合われているのかはわからないが、チーフの恩澤は売上げの低迷を受けて発破をかけられているのかもしれない。支店長の安江は、人柄は温厚なのだが、気が小さいのか、ちょっとしたことですぐに機嫌が悪くなる傾向にある。恩澤も繊細な人柄なので、支店長から八つ当たりでもされて、ストレスが溜まっているのかもしれなかった。
「そうなんですか。じゃあ、もっと大型の提案をしないといけませんね」
「またぁ、そんなこと言って。売上げは二の次、まずはお客様の声を聞くこと、接客業で売上げ主義になっちゃ駄目だよ」
 凛子は入社してカウンター業務をやるようになってから、ひとつ年上の恩澤に仕事のイロハを教えてもらった。一見の客が多い支店と比較して、住宅地の合間に位置するこの店は、リピーター客が売上げの中心になる。恩澤はかなりのリピート客を顧客として持っていて、お客様ごとの記念日などもかなり記憶している。凛子にも固定の客はついてはいるが、数では恩澤にかなわない。
「恩澤さん、戻らなくていいんですか?」梶原が横から遠慮がちに口を挟む。
「いいよ、だってまだ時間内だし。梶原さんたちが早くきただけじゃん。あと五分ぐらいしたら行くから」
「そうですか。すみません」
「いや、別に謝らなくてもいいよ。ただ、いまはちょっと仕事したくない気分なんだよねぇ」
「今日はお客様も少ないですしね」
「午後は反動で増えるかなぁ」
 恩澤と梶原が他愛もない会話をしているのを聞きながら、凛子は弁当を口に運んでいた。左手首の袖口まできちんとカフスを留めているが、二人はこの包帯に気付かないだろうか、と少し心配した。
 そろそろ戻るかな、と恩澤は言い、席を立った。部屋には梶原と凛子だけになり、テレビがついているのに、ちょっとした静寂が訪れた。
「安達さん、お弁当、毎朝ご自分で作られてるんですか?」遠慮がちに梶原がそう聞いてくる。
「うん、そうだよ。梶原さん、それ、自分で作ってるんじゃないの?」と、梶原の弁当を指す。凛子の弁当箱は、女性向けのごく小さいものだったが、梶原は小柄なわりに、女性にしては大きめの弁当箱を持ってきていた。まるで料亭の重箱でも持って来たかのような、立派な弁当だった。冷凍食品ばかりの凛子のものとはあきらかに違う。
「ええ、自分でつくることもあるんですけど。お弁当、作ってくれる人がいて。自分で作るよりよっぽどうまいから、ついお願いしちゃうんです」
「え、何? 料理人の彼氏とか? そっちのほうがよっぽどうらやましいよ」
「いえ、違います。身内のような人で」
 自分から水を向けたわりには言葉尻を濁すので、凛子は、ふうん、としか返すことができなかった。彼女が派遣社員だからというわけではないが、他人のプライベートなことにはなるべく立ち入らないのが凛子の流儀だった。

(つづく)


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