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「きみはオフィーリアになれない」 瀧本達郎 前編 #052

 夏、瀧本はひとりでかんなのいる団体を訪れることにした。そのための準備はしていたし、親には、同級生の多くが中学生になるとバックパックを背負って一人旅に出るのだと嘘をついた。バックパックに着替えとラジオ、本を詰めて電車に乗った。ほとんど遠出をしたことのない瀧本は、電車に乗った経験もほとんどなく、切符の買い方すらわからなかった。駅のホームに立っていた駅員が、そんな瀧本の様子をみかねて、目的地をたずね、切符の買い方を教えてくれた。瀧本はこんなので、行った事のない場所に行くことができるのだろうかと不安になった。
 途中で二度、乗り換えをした。瀧本の地元の駅を出て、一度都会の駅に出たが、そこで乗り換え、進むうちに、どんどん人の数は減って行った。色々な人が乗ったり降りたりしていったが、瀧本の座席の正面に位置する座席に座っていた青年は、瀧本と同じような格好をして、バックパックを背負っていた。瀧本が乗り換えの駅に着くと、その青年も同じように電車から降りた。同じ目的地なのだろうか。どちらからともなく、話をした。青年は瀧本に目的地を尋ねた。それなら違う、おれはもっと奥へ行くんだ、と青年は言った。まさかお前、入会するつもりなのか? と青年は言った。入会というのは、かんなが所属するコミュニティのことだろうか。なにか知っているのか、と瀧本が尋ねると、細かいことは知らないけど、あまりいい噂は聞かないな、と青年は言った。何か危険なことでもあるのだろうか、と訊くと、いや、そういうわけじゃない、と青年は言った。
 青年もその駅で乗り換えをするのははじめてのようで、駅員にこのホームからの列車で目的地に着くかどうかを確認してくれた。まだ列車が来るまでに一時間ほどあるという。青年と瀧本はがらんとしたホームのベンチに座り、話を続けた。
 学生運動で革命を夢みていた連中が、結局は何も達成することができなくて、ド田舎に農業コミューンのようなものを立ち上げて、資本主義社会に反したような活動をしている。その団体がどういう出自なのかはおれも詳しくは知らないんだが、最近は、そういう宗教じみたものが増えてきているから、おそらくその手合いだろう。危険なことはないだろうが、長くそういうところにいると、社会復帰がむずかしくなる。おれは、違うよ。ただ、夏休みのあいだ、山にでもこもって、秋になったらもちろん学校に戻る。いまはただの骨休めだ。
 青年はそう言うと、カバンから一冊の本を取り出して、瀧本に手渡した。カール・マルクスの「資本論」という本だった。面白いから、気が向いたら読めばいい、もう時代が変わってるから、そんな本を読んでいたところで別にアカだとか叩かれるわけでもないからな、ま、せいぜい楽しみな。
 瀧本は目的の駅で降り、青年と別れた。目的地の駅は無人駅だった。山のふもとにある駅だが、周囲には何もない、荒れ地のような土地だった。駅も、申し訳程度にホームを作りました、という程度の祖末なもので、切符を入れるところさえなかった。事前にコミュニティを来訪することは連絡済みで、コミュニティの側から簡単な案内があった。それによると、その駅の近くにコミュニティの小屋があるので、そこの近くで待っているように、とのことだった。駅を出たところに、木造の物置のような小屋があったが、鍵がかかっていて中に入ることができない。近くにあずま屋のような建物があり、瀧本はそこで待った。青年にもらった「資本論」を開いてみたが、さっぱり内容がわからなかった。

(つづく)


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