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「きみはオフィーリアになれない」 瀧本達郎 前編 #062

 一瞬、函南の言っていることがかんなの所属していたコミュニティにいた連中と重なり、瀧本は一瞬、言葉に詰まった。理想の社会、理想の人生。そうやって嬉々として語る人はいるけれど、そんなものはみんな、幻想ではないのか。本当にそんなものがあるとしたら、なぜ、かんなみたいに苦しんでいる人がいるのだろう。
 函南も、瀧本のそんな様子を察したのか、すぐに口をつぐんだ。あんな連中を救うことができるとしたら、きっと、対話以外にないだろう、と瀧本は思った。思想で思想をねじ伏せることはできない。もしそんなことができるとしたら、この世に軍隊など必要ないはずだ。
 瀧本は、病院で自分が周りの人たちに話しかけたことを思い出していた。ただ静かに、彼らの言うことに傾聴する。自分の全神経を、彼らの会話の行方に集中させる。そして、揺れている振り子を鎮めるように、彼らの心を鎮めていけばいいのだ。それを繰り返していけば、いつかはすべての悩みは消えてなくなる。
 捜して欲しい人がいるんだけど、と瀧本は函南に言った。捜して欲しい人? と函南は繰り返す。パソコンに精通する函南なら、もしかしたら、かんなに通じる情報を入手できるかもしれない、と思った。函南は、瀧本の知るかぎりのかんなに関する情報を聞くと、ふうん、と鼻を鳴らした。ずいぶん興味深い人と知り合いなんだね、と感想を言った。
 函南は、ふた晩で、瀧本の欲しい情報を探し当て、教えてくれた。瀧本はまた、函南の家まで行き、函南が調べてきてくれた内容を聞いた。わかったのか、と瀧本が聞くと、まあね、と函南は言った。函南の部屋は最初に来た頃とほとんど変わりはないが、少し音楽のCDや本などが増えているような気がした。函南は椅子に深く腰掛けたままなかなか本題に入ろうとしない。瀧本は焦れて、見つかったのか、見つからなかったのか、と強い口調で言った。函南は表情を崩さず、手を顎に押し当てた姿勢のまま、けっこう簡単なことではないんだよ、人を捜すのって、と言った。
 厳密に言えば、ピンポイントで見つけたわけじゃなくて、可能性が高いってことなんだけど、と函南は言い、パソコンのディスプレイを指し示した。大勢の人間が、大きな穴を取り囲んでいる写真だった。穴の中心に焚き火のような炎が燃えていたが、それがキャンプファイヤーのための火でないことぐらいはすぐに見てわかった。みな一様に白い装束を纏っていて、一目でかんなが所属していたあのコミュニティの人間だとわかった。穴を取り囲んで、何か儀式めいたことを行っているのだ、と思った。
 まあ想像できると思うけど、と函南は言った。これがこの人たちの最後の姿となったらしいんだよね。撮影者は、この集団の関係者だったそうだけど、カメラなんかは持ち込めないらしかったから、どこかに隠し持っていたのかもね。
 彼らは、マントラのようなものを唱えながら、集団でたき火の中に飛び込み、集団自殺した。もちろん警察沙汰になったけれど、あまりにショッキングな事件だったから、大々的には報じられていないそうだ。瀧本は、食い入るように画面の写真を見つめ、その中にかんながいるかどうかを探した。画像は解像度が低く、ぼやけていて、細部までは良く見えない。三十人は下らない人数の、端から順に丁寧に顏を確認していった。途端に、見覚えのある顏に行き当たり、瀧本はあっと声を上げた。いたの? と函南が言う。

(つづく)


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