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「きみはオフィーリアになれない」 瀧本達郎 前編 #054

 かんなは先導していた女性と二言三言、言葉を交わすと、来て、案内してあげる、と瀧本の手を引いた。ここがみんなが寝泊まりしている宿舎で、あっちが講堂。こっちが牧場。ここにいる人たちのほとんどが若く、十代、二十代の人たちが大半を占めていた。かんなと一緒に歩いていると、ある男性から話しかけられた。かんなは瀧本を紹介する。男は、どうかごゆっくりしていってください、と瀧本に言った。ここには何もないが、同時にすべてがある、ここは、人々が最終的にたどり着く場所なんです、と言った。瀧本にはその意味がよくわからなかった。
 見て、とかんなは宿舎の横に作られた花畑を指差す。綺麗でしょう、と嬉しそうに笑顔をみせた。花畑の隅のほうに、赤い、ハイビスカスのような花が植えてあった。これはね、カンナっていう花、あたしの名前とおんなじ。あたしの名前の由来の花なんだよ。そう言って笑った。
 夜、日が暮れるとみんなは作業をやめ、コミュニティの中央にたき火が焚かれた。どこからともなく、ギターやマンダリン、二胡などを持った人がやってきて、みんなで低い声で歌った。英語ではない外国語の歌詞で、内容がわからない。この歌はね、パーリ語っていって、仏教の、お釈迦様の言葉をね、そのまま表現しているものなの。ここにきた人は、こうやってまずは歌を通じて、お釈迦様の教えを学ぶのよ。仏教についての講義もあるわ。ここでの暮らしが、仏教の実践そのものなのよ。
 色即是空、空即是色、そういう言葉って聞いたことない? 仏教のね、これは、原点を漢語訳した般若心経の一節なんだけど、この部分が、すべての世界の真理を表現しているの。どんな物にも、色ってついているでしょう? だから、「色」っていうのは、この世の物質のこと。でも、空気とか、原子とかって、人の目には見えないじゃない。だから、それを「空」と呼ぶの。
 でも、すべての物質は、その見えないもの、原子とかの素粒子でできているのね。つまり、「色」っていうのは、「空」から成り立っている、ともいえるの。つまり、「色」も「空」も、本質的には同じものなのよ。目に見えているすべての「色」は、実は今はたまたま仮の姿をしているだけで、常に流動しているのね。あたしたちの、細胞は常に循環しているのよ。あたしの細胞が、死んで、また別の物質になって、そして巡り巡って、また私の細胞になる。途中で、瀧本くんの細胞になってたりしてね。世界は、そうやって色と空を行ったりきたりしながら、流れるように、循環していっているのね。
 お金もそうよ。お金だって、目に見えないじゃない。たとえば一万円札がここにあるとするでしょう。お札それ自体に、一万円の価値があるわけじゃないよね。日本の銀行が、それを「一万円分の価値があります」と認めてくれているから、それを一万円札として使うことができるわけよね。ということは、日本の銀行がぜんぶなくなっちゃったら、お金としての価値はなくなるの。もともと、お金に実体なんてないの。価値があるような気がしているだけ。お金の価値も、絶対的なものじゃなくて、色と空のあいだを揺蕩ってるの。ここでは、誰もお金を持たないから、そういうものに縛られることはない。ぜんぶ自分たちで生活すべてをつくりなおして、共同で生きていき、学ぶという、修行なのよ。

(つづく)



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