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「きみはオフィーリアになれない」 川嶋美禰子 前編 #089

 急に無口になった美穪子は、みんなに気味悪がられた。両親は心配し、あらゆる病院に連れていって検査をした。だが、誰にも原因はわからなかったし、美穪子も誰にも言わなかった。
 年を追うごとに、美穪子はどんどん孤立していった。美穪子の周りからどんどん人が離れていった。そのうち、自分の妄想の世界と現実の世界との区別がつかなくなり、周りから嘘つき呼ばわりされるようになった。美穪子には嘘をついたという自覚はなかった。ただ、美穪子の中では、きちんと整合性のあることだったのだが、他人からはそうではなかったというだけのことだ。美穪子に友達はほとんどいなくなり、最終的にはゼロになったが、美穪子はちっとも寂しくはなかった。むしろ、普通の世界で情報の渦に飲まれながら生きるほうが、よっぽど苦痛だ、と思った。
 本物のマリちゃんとはやがて疎遠になったが、美穪子の中には永遠にマリちゃんがいた。マリちゃんは、美穪子の中では、小さな時と同じ容姿をしていたが、思考のレベルが常に自分に近く、よく話が合った。美穪子は身の回りのこまごまとしたことや、自分の考えていることなどをマリちゃんと話し、共有した。美穪子は、現実世界よりも、空想の中のマリちゃんがいる自分の世界のほうが心地良い、と感じるようになった。
 あらゆる情報の海から救い出してくれたのは、瀧本と江利子だ。瀧本は本当に根気よく、美穪子の空想の話に付き合ってくれた。空想の世界を否定するのではなく、また肯定するのでもなく、「ただそこにあるもの」としてその存在を認めてくれたのだ。美穪子は、服を着たり、食事をしたり、歯を磨いたりするのでさえ、自分の意思ではなく、『マリちゃん』の指示のままにやっていたのだが、思い切って瀧本にそのことを打ち明けても決して否定せず、受け入れてくれた。
 病気なんていうものは、この世界には存在しない。ただ、生活する上での支障があるだけだ。「他の大多数の人と違っていて、そのことで生活に支障がある」というだけのことにすぎない。きちんと生活ができるのなら、無理に治療をする必要はない。その「存在」と一緒に、生きていけばいいんだよ。瀧本はそのように言ってくれた。だんだん美穪子の中で、マリちゃんの存在は薄くなっていき、自分の要素の一部として感じられるようになった。
 安達凛子の姿を見たとき、なんとなく、マリちゃんのことを思い出した。容姿が似ていたというわけではない。ただ、自分と近しいものを彼女から感じた。
 瀧本のクリニックに初めて訪れる人は大抵、心療内科というところに来たということで不安を抱えている。そうでなくても、心身に不安を感じているからこそクリニックの扉を叩くのだ。
 瀧本が彼女を呼び寄せたという疑惑は、のちに確信へと変わった。瀧本の様子がいつもと少し違ったからだ。おそらく他の人には見分けることはできないだろう。美穪子だけが感じることのできる、微妙な差異。
 美穪子は、安達凛子に対する自分の妄想を抑えることがなかなかできなかった。`

(つづく)


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