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「きみはオフィーリアになれない」 瀧本達郎 前編 #051

 あれから一年以上も経ってしまいました。かんなです。わたしのことを覚えていますか。こんなふうに手紙を誰かに書いたことなんてないんですが、書いてみることにします。
 わたしはいま、隣の県の山奥で暮らしています。一番近くの村まで、だいたい車で一時間ぐらい。ここには、だいたい五十人ぐらいの人が、コミュニティと呼ばれるところで、共同で生活しています。テレビもラジオもなし。新聞もありません。住んでいる家も、男の人と女の人が住む建物がそれぞれあって、みんなで暮らしています。
 朝は日の出とともに朝早く起きて、飼っている動物の世話をして、午前中は畑仕事。お昼をはさんで、午後は織物をしたり、ちょっとした家具を作ったりもします。それで、日が暮れると、もう活動をやめて、みんなで歌を歌います。時計がないので、正確な時間はわかりませんが、だいたい八時ぐらいにはもうみんな寝てるんじゃないかな。毎日が穏やかな、その繰り返しです。
 ここの人たちは、みんな、他人のことを思いやって暮らしています。自分ひとりだけで生きている、なんて思っている人は誰もいません。みんながみんなのために働いて、そして、みんなの働きによって、みんなが生かされています。人間だって、自然の中で勝手に生きているわけじゃなくて、自然に生かされているんだな、と感じます。そういうことを、肌で感じることができるんです。
 ここでは、誰も財産を持っていません。みんながすべてのものを共有しています。この便せんも、封筒も、いまこれを書いているペンも、わたしの所有物ではありません。みんなが共有しているところから、わたしが借りているだけです。どんなに小さなものでも、個人のものは持っていません。なにかを所有したい、なにかを支配したい、そんなことを考える人はここにはいません。毎日が穏やかです。
 瀧本くんの町、わたし、最初に来たとき、とても窮屈だった。みんながじろじろとわたしをみて、いつも、評価されてるんだなって思ってた。たしかに、あたしがもともといた町に比べたら、穏やかな人たちが多かったと思う。でも、ここから出たい、と感じている人は他にもいたし、やっぱり窮屈だったんじゃないかな。わたし、イヤな思い出ばかりじゃないけど、それでも、瀧本くんの町を出れて、ここに来れて、ほんとうによかったと思います。ここには、あたしの求めていた暮らしが、まるごとあるから。一度、遊びに来てください。
 瀧本は手紙をもう一度読み直した。手紙は、便せんに三枚あったが、すぐに読み返すことができた。不思議な手紙だった。まぎれもなくかんなから来た手紙なのに、自分のことがまるで綴られていない。かんなはいったいどこにいるのだろうか。手紙からは、かんなの温もりがほとんど感じられなかった。まるで、かんながいま所属しているという団体の、パンフレットみたいな内容で、嫌な感じがした。瀧本は手紙を丁寧に折りたたみ直し、封筒に入れて自分の机の引き出しにしまった。夏休みになったら会いにいこう、と瀧本は思った。

(つづく)


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