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「きみはオフィーリアになれない」 川嶋美禰子 前編 #088
世間の普通の人は、自分ほどぼんやりしていないのだ、ということに気付いたのはまだ小学生の頃だった。美穪子は何をやらせても人より遅く、ぼーっとしている、集中力がない、とよく先生に言われた。小学校にあがってしばらく経った頃、世間の普通の人は、ものを見るときに、ものそのものだけをありのままに見ていて、それの裏側がどうなっているのか、その中身はどうなっているのか、そういうことはほとんど気にかけていないらしい、ということを知った。だからみんな、きびきびと行動することができるのだ。それは、美穪子にとってそれまでで最大の発見だった。
近所に住んでいたマリちゃんとおままごとをしていたときのことだ。パパに買ってもらったといううさぎの人形の家を買ってもらったマリちゃんは、上機嫌で美穪子を自分の家に呼んで、ままごとに興じた。
はあい、みねちゃん、ごはんですよー。マリちゃん扮するうさぎのママがキッチンでせわしなく立ち働いている。美穪子が扮するうさぎの子どもは、マリちゃんママに質問をする。
お夕食はなあに?
今日は、ビーフシチューですよ。
やったぁ、ビーフシチューだ。お肉はどこで買ってきたの?
ええと……。近所のスーパーで買ったんだよ。
スーパーはどこにあるの? うさぎでも買えるの?
買えるよ!
お金はどうしたの? どこから持って来たの?
パパがね、お仕事して、持ってきてくれるの。
パパはどういうお仕事してるの?
…………。
ねえ、パパはどういうお仕事してるの? どこで働いてるの? 会社の人? それとも自営業? 警察官? 小説家?
……パパはね、海外でお仕事してるの。だから滅多に帰ってこないの。
どういうお仕事を海外でしてるの? 外国語は話せるの? 話せるなら何語? 外国語を使ってお仕事してるの? 英語? フランス語? それとも日本語が話せる人がいるの?
美穪子が質問を繰り返すと、決まってマリちゃんはしどろもどろになり、しまいには泣き出してしまった。そのたびに、美穪子は途方に暮れていた。
美穪子は、もちろん目の前で展開されているうさぎの人形たちの世界は架空のものにすぎず、マリちゃんも本気でうさぎたちの世界を演じたいのではないということぐらい、理解していた。ただ、頭の中で沸いてくる、そういったイメージを抑えることができなかった。どうしたらそれらを押しとどめられるのか、その術を知らなかった。
そのうち、マリちゃんと遊ぶとき、美穪子は無口になった。じっとマリちゃんを見つめながら、彼女が何を考えているのか、そればかりを考えていた。それを全部口に出してしまうと彼女に嫌われてしまうから、美穪子はそれらを口には出さず、自分の頭の中だけで考えていた。自分の頭の中だけで、マリちゃんと会話をする。美穪子には人形の家など必要なかった。美穪子の頭の中にはもっと鮮明な映像があって、その世界に浸ることができた。自分の頭の中の世界にばかり注意を向けていたから、はたから見れば美穪子の頭脳は停止しているように見えたかもしれない。しかし、静的な見た目とは裏腹に、美穪子の中ではダイナミックな世界が展開されていた。みんなはどうやって自分の内側と、外部の世界の折り合いをつけているのだろうと疑問に思っていたのだが、どうやらみんなはさほど「自分の内側」というものを持っていないのだ、ということにだんだん気付いていった。
(つづく)
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