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【平井拓郎インタビュー】「バンアパじゃなくてサザンっていうのが僕の中でツボだったんですよ」

インタビュー企画「街場のクリエイターたち。」のお時間です。第6回のクリエイターさんは、ロックバンド「juJoe」の平井拓郎さんです。

クリエイター:"ロックミュージシャン" 平井拓郎

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ロックバンド「QOOLAND」でデビューされたロックミュージシャンで、現在はjuJoeというバンドで活躍中です。

2022年春に映画化も予定されている小説「さよなら、バンドアパート」の内容についても触れながら、ロックバンドとして活動されている内容や、創作論などを幅広く伺いました。

*インタビュー内では、一部、小説の内容に言及している箇所があります

(インタビューは、某日、都内の喫茶店「珈琲西武」で行われました)


イントロダクション

やひろ:本日はお越しいただきありがとうございます。

平井:よろしくお願いします。珈琲西武は音楽関係者も結構きますから、よく知ってます。

やひろ:普通、インタビューっていうと、雑誌とかのインタビューが多いですか?

平井:そうですね。でもネットメディアとか雑誌のインタビューでうまく話せた記憶があまりないので、「会心!」と思えたインタビューって2、3回ぐらいしかないです(笑)。

やひろ:しかも、インタビューって、普通宣伝のためにやるじゃないですか。僕の場合は、インタビューっていうか、ただの雑談みたいなもんなんで(笑)。

平井:他の方のインタビュー、読み物として面白かったです。その他のnote記事とかも、かなり読ませていただいてます。

やひろ:ありがとうございます。記事数だけはたくさんありますので(笑)。平井さんも、かなり書かれてますよね。

平井:僕もいっぱい書いてますけど、やひろさんまでは書いてないです。


「さよなら、バンドアパート」、自伝小説だと思ってました

やひろ:平井さんの小説、「さよなら、バンドアパート」読ませていただきました。時系列がバラバラになってる小説だと思うんですけど、最初の2回は普通に読んで、そのあと時系列順で読みました。書かれたときもあの順番で書かれたんですか?

平井:いや、執筆時はもっとバラバラでしたね。「時系列飛び飛びすぎじゃない?」って編集の方に言われて、ある程度なだらかな感じで再構成したりしました。

やひろ:執筆段階はさらにバラバラだったと(笑)。あれは自伝小説と捉えていいんですかね?

平井:自伝小説ではないですね。それっぽく書いてはいますけど、自分が体験したこととは違います。

やひろ:平井さんと僕って同じ1987年生まれなんで、作中で起きてる出来事とかが、肌感覚でよくわかりました。だから、読みやすかったですね。その時期に一緒に体験してることなんで。

平井:平成に起きた事案とか流行を作品の装置として意図的にやってます。例えば2006年の話でデスノートを出すとかAKB48の黎明期を出すとか。思い返すと2006年当時ってAKBもまだそこまで売れていない時期だったんですよね。

やひろ:完全に自伝小説だと思ってました。

平井:近い部分もあるかもしれないですけど、ほぼ嘘、フィクションです。
当時の僕のmixiの日記を読み返すと、「さよなら、バンドアパート」の主人公・川嶋ほど心境が切迫していなかったんです。
「バイト辞めちまおうかと思う」みたいなことがダラダラ書いてあったり、めちゃくちゃ貧乏なのに、やけに人生に対してあっけらかんとしてるんですよね(笑)

やひろ:寄稿されてるオビを読んで、世間とうまく折り合いがつけられないバンドマンの話なのかなと思って読み始めたんですけど、そういう面がありつつ、主人公の川嶋って真面目だなーって思って。

一応、アルコールに溺れたりする時期はありますけど、バンドがダメになっても、川嶋って一生懸命レーベルに営業とかするじゃないですか。真面目ですよね。もうちょっと音楽と距離感があれば、あんな風にならないんじゃないですかね。

平井:川嶋は真面目ですね。クソ真面目なタイプだと思います。比べると僕はもう少しうまくやってきているかもしれない。

やひろ:作品の後半の方で、「クラウドファンディングやりたくない」みたいなくだりがあるじゃないですか。あれはどうしてああいうのを入れたんですか。

平井:実際、僕はクラウドファンディングめちゃくちゃやったんですよね。複数回に分けて600万円ぐらい集まりました。当時所属してた事務所をやめた理由もクラファンをやりたいからっていうのも大きかったです。

当時、クラウドファンディングってバンドでやってもそんなにうまくいくような時代じゃなかったんですけど、海外ではSUM41とかのビッグネームもやってるし、っていうことで挑戦してみたんです。そのアルバムはチャート10位に届きました。

出資してくれたファンは共同制作者でもあるので、アルバムをお店でちゃんと買ってくれるんですよね。僕は川嶋と違って完全にクラファン肯定派です。小説でクラファンのことを書いたのは「川嶋はクラファン絶対やらないだろうな」って思って。実際、彼みたいなタイプだとやってもうまくいかないと思います。

やひろ:大阪の話とか、生い立ち的な部分はどうなんですか?

平井:ネタとしては使ってます。地元なので。作品内で明記はしていないけど、僕が大阪の十三じゅうそうに住んでいなかったら書けなかった内容は多いですね。十三じゅうそうに行けばフグのキモも普通に食べられますよ。淀川の花火大会があるんで、その話もありますね。
僕は当時26歳の人と付き合ってたんですけど、小説の中とは違って、一緒に花火は見てくれなかったです(笑)。

やひろ:小説の中で夢叶えた、みたいな(笑)。


「『おもんないな、お前の小説』って。」

やひろ:小説はずっと書かれてきたんですか?

平井:もともとものを書くのは好きだったんですけど、2015年ぐらいに、面倒見てくれていた会社の人が「本出すといいよ。クリープハイプの尾崎世界観も出してるし」って言ってくれたんですよね。

「そんなうまくいかんやろ」ってそのときは思ったんですけど、とりあえず日記はじめますって言って、ブログをはじめました。確か、500日ぐらいは連続で更新しました。

その中で、鬼束ちひろさんのアイコラの話とかがちょっとピックアップされて、出版社の人が来て、「お前、本出さへん?」と。

やった、本出せる!ってなったんですけど、「noteのエッセイじゃなくて小説がいい」っていうオーダーだったんで、仕方なく書きはじめました。でも、書いて見せてみたら、「めっちゃおもんないな」って言われて。

やひろ:ええ?

平井:「おもんないな、お前の小説」って。で、「どうやったら面白くなります?」って訊いたら、「こうやったらどう?」っていうのが返ってくるんで、その通りに愚直に直して、の連続で。

でもやっていくうちに、なんとなくルールというか、「執筆の法則」みたいなのがほんの少し見えてきた感じがしたんです。それが見えたから面白いものが書けるかって言うとまた別ですけど。でも、こんな10万字以上の長い作品の執筆は、はじめての経験ですね。

やひろ:すごいですね。

平井:「流れるように読める文章がいい」っていう記事をやひろさんが以前noteで書かれてたじゃないですか。こんなに文章書いてる人が僕の文章読んだらどう思うんやろって、それが聞きたかったんですよね。

やひろ:いや、すごい読みやすかったですよ。僕もインターネットで、いわゆるアマチュアの小説を読んだりすることもありますけど、やっぱり最初の壁は、体裁がどうこうというよりはオリジナリティの問題があったりします。

要するに、市販で出回ってる商業作品って、「売れる型」みたいなのがあって、設定が酷似してる作品がゴロゴロ出てくるんですよ。

平井:異世界転生ものとかですか。

やひろ:そうそう、そういうやつです。ちょっと読んだだけで、自分のオリジナルじゃないな、っていうのがわかるんですよ。でも平井さんの作品を読ませて頂いたら、そういう特定の型にはまってなくて。そして、会話がいいなと思いましたね。

平井:会話でいくしかないって思ってたんで、嬉しいです。

やひろ:あと言い方は悪いですけど、目立ったストーリーの起伏がないじゃないですか。

平井:ないですね。フグ食う食わないで一生ベラベラ喋ってるみたいな。しょうもないことを作品内で彼らは超一生懸命やってるのがシュールかなあと思っています。

やひろ:目立ったストーリーの起伏がないんで、逆に作ったようなところがない。ストーリーってやっぱり、こういうやり方だったら泣かせるとか、こういうやり方だったらスカッとするみたいな、そういう「作為的なもの」じゃないですか。そういうのが全然入ってないんで。

平井:神社の話が一番物語としてポップかもしれません。

やひろ:2001年の、同級生の女の子と一緒に寂れた神社に行く話ですよね。あれ、確かにいい話だなって思いました。

平井:あの神社、こないだライブで大阪に帰った時にレンタカーで行ったですよ。セルフ聖地巡礼に。そしたら草が信じられないぐらい生えてて、朽ち果ててまくってました(笑)。景色とか風景どころか草で何も見えなかったですね。まあ現実はこんなもんだよな(笑)。

やひろ:僕にとっては、2001年ごろの話が、一番リアルに感じました。あの頃って、まだネットとかもそんなに普及してないんで、ちょっと隔世の感がありますよね。オリジナル曲を作ってもせいぜい、自分の作った曲をMDに録音して、人に聞かせるしかないっていう時代じゃないですか。

実際、あのアナログな時代って、自分たち世代にとってじつはすごい短いはずなんですよ。MDって、90年代前半ぐらいにできて、2000年代後半ぐらいにはもう終わってたじゃないですか。せいぜい10年ちょっとの時期しかなかったはずなんですよね。

平井:なんであんなに分厚く感じるんですかね。たしかに2010年ぐらいからは、もう普通にパソコンを使って音楽とか落としていたような気がします。それまではもちろんMD主体でした。TSUTAYAにCD借りに行ったりして。


「最近は、ネットによっていろいろ可視化されてる分、いろいろむき出しになってる感じはしますね。」

やひろ:2010年ぐらいから、YouTubeとかニコニコ動画とかに自分の作品をアップする行為が一般的になって、世界は広がったんですけど、2000年代前半の、MDに録音して知り合いに聴かせてたような頃の純粋さはちょっとないような感じはしますよね。

平井:そうですね。「物理的フィジカルに渡す」っていうのは、大変ですけど良いんですよね。作り手としても、その人個人に聴かせるために作ってるんで、アンチが入ってこれないのがいいんです。自分の曲が入ったMDを彼女にずっと渡してましたけど、その恥ずかしさに気付かないで気持ちよくなれる(笑)。

やひろ:2010年ぐらいってニコニコ動画とかも結構盛り上がってて、アマチュアでやってた人がプロになったりするのが加速した時期な気がします。でも、裏を返すとネットって人気が一瞬でわかっちゃうんで、民主的ではあるんですけど、人気がないもの=ダメみたいな風潮はありますよね。

平井:それはより顕著になったんじゃないですかね。リリース前から人気がわかる、みたいな。プロでも、評価するうえでは「再生回数がどうだ」みたいな話がめっちゃ多くなってますし。

昔は、対バンするときには、バンド自体が「かっこいいか」「かっこよくないか」っていう話しかなかった気がするんですけど、最近は再生回数で価値を語られることが本当に多くなってきています。

振り返るとライブしても「何人動員した?」みたいな話はあんまりむきだしにしていなかった気すらします。数字を直接聞くのはマナー違反だったのか、面と向かって、「お前ら年収なんぼ?」みたいな無礼さに近いのかもしれません。でも最近は、良いか悪いかは別にしてネットによっていろいろ可視化されてる分、むき出しになってる感じはしますね。

やひろ:アーティストの中でも、そういう数字は意識するんですか。

平井:再生回数を意識するのは当然になりました。ただ、自分の場合は再生回数が少なくて悩むみたいなのはあんまりなくて、「どうやったら増えるだろう?」みたいな、プラスの悩みが多いですね。

やひろ:「音楽との向き合い方」みたいなところで言うと、小説の主人公の川嶋と、平井さんの中で違いってあります?

平井:うーん。川嶋は音楽が完全に目的になってしまいますよね。音楽しかやってきてないから、手段と目的が混同してしまって、グチャグチャになってる気がします。

僕は音楽以外の表現も好きなので、今回の小説もそうですけど、「音楽しかやらない!」というこだわりはありません。川嶋は他のことに目が向いてないんで、そこが一番違うかな。

あとバンドはどんなバンドでもいい時期と悪い時期がある。極端なこと言うと、Mr.Children ミスチルですらいい時と悪い時があるんで、悪い時期にどう過ごせるかが大切かと思っています。たとえばライブがあんまりできない状況だった場合に無理やりに決行するのは危険かなと。バンドが「死なないように」やってますね。ただ、QOOLANDが解散するかどうかっていう状況のときは、僕も川嶋みたいにずいぶん悪い状態、というか病気になっていました。

やひろ:音楽をはじめたきっかけはなんですか?

平井:小説でも漫画でもよかったんですけど、なんか表現できたらいいなあって思ってましたね。なので、音楽は「作る」ことに重きを置いてました。わりと音楽を始める子どもは、好きなバンドマンに憧れて、それを追いかけていくと思うんですけど、特に追いかけるものはなかったんですよ。

「なんか作りたい」っていう衝動だけで、中高で500曲ぐらい曲を作ったんですけど、Fコードを弾かないまま300曲ぐらい作りましたね(笑)。Fコード、大変すぎるので、なんとかFを使わずに成立する曲作りを模索してました。作れりゃなんでもよかったんです。

やひろ:Fは確かに躓きやすいですけど、ハイテンションコードではだいたい使いますからね(笑)

平井:基本的に使わない方向で。どうしても使わなきゃいけないところだったら、カポ使ったりしてカバーしてしました。

音楽でお金いただけるようになってからもFはあんまり使わなかったです。たぶん、ロッキンフェスでも一回も弾いてないんじゃないですかね。

あれだけいろんなアーティストがいる中で、F弾いてないやつなんてほんまにいないと思いますよ(笑)。

やひろ:そういうところも、僕となんか似てる気がしますね。とにかく作るところが出発点っていうか。人の音楽を聴くときも、まず自分が作曲する上でどう参考にするか、みたいな視点で見てますからね。

平井:確かに、音楽聴くときは「どうやったらこの歌作れるんだろう」って視点で見てますね。「さよなら、バンドアパート」のタイトルにもなった、the band apartを初めて聴いた時は本当にどうやって作ってるのかわからなかったです。ご本人に会った時に聞いたら、「誰も反対しないからそうなった」って言ってましたけど(笑)。

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「バンアパに許可もらってきますって言って、許可をもらいました。」

やひろ:あの小説、まずタイトルが衝撃的でした。「さよなら、バンドアパート」って。他人のバンド名がタイトルにくるって相当特殊だと思います。

平井:そのタイトルを出版社の人に提案したとき、「the band apartに怒られるからやめてくれ」って言われました(笑)じゃあ別のってなって、いろいろ考えたんですけど、どれもしっくりこなかったんですよね。

で、最終的にバンアパに許可もらってきますって言って、許可をもらいました。しかしタイトルつけるのって難しいですね。「さよなら、バンドアパート」もタイトルの意味を聞かれて、まだ上手に答えられたことがないです。

やひろ:受け手からしたら、なかなか衝撃的なタイトルですよ。

平井:深い意味がそこまではないんですよね。理屈じゃなくて、「バンド」と「アパート」ってちょっとこう、連想するアイテムとしては良いと思ったんです。「なんか楽隊ものかな」とか、「ファンタジーじゃなさそうだな」とか。読者にそれぐらいの弾力が伝わればまあいいかな、って。

やひろ:でもエゴサーチしたら、バンドアパートふたつ出てきちゃいますよ(笑)。

平井:確かに(笑)。タイトルの付け方として、「最後の一行を書き終えたあとにストンってくるものがいい」とは思ってました。音楽活動をやっていくうえで、「表現」と「セールス」という対立する要素を満たしていかないといけない。

そういうときに、わりと「表現」は槍玉にあげられてしまうので、折り合いをつけながら守っていくのか、っていう葛藤は描きたかったです。そういう話は事実、あるので。

やひろ:「表現を殺すのか、売り上げを伸ばすのか」っていうせめぎあいですね。

平井:川嶋はアホなんでわかってないと思うんですけど、実際のところは「表現をいじくってじゃあ売り上げが上がる」っていう単純な話は存在しないんですよね。

やひろ:僕もそのあたりのことは考えたことがあって。「表現を曲げて売り上げを伸ばす」っていう考え方は当然あるとは思うんですけど、自分のやりたいことを曲げてるやつのことを誰が見たいと思うのか、と。

平井:いや、その通りですね。自分のやりたいことをやってる奴にみんなお金を払いたいですよね。ただ、数字が足りてないときに、固執してるプライドを捨てる勇気があったら、さらに上にいけるぞ、みたいなことなんでしょうけどね。

川嶋も作中で、「リスナーをバカにしたらわかる」と言ってますけど、実際、「お前らどうせこういうの好きでしょ?」みたいなユーザーをナメた物作りしたら見抜かれます。

やひろ:ただ、表現=コミュニケーションとして考えたら、「言いたいことを曲げる」必要はないですけど、「伝える努力をする」ことは必要ですよね。

平井:それは確実にそうですね。表現してても、伝わってないことは多いですからね。伝わらないと意味がないとも思います。でも川嶋の場合は、ちょっとそれ以前の問題ですね。むちゃくちゃしょうもないところで葛藤してるんですよね。飯を食うのにも、ものすごい謎のこだわりがあったり。

まあ「さよなら、バンドアパート」自体は読み物なんで、読み応え的に面白ければいいと思うんです。「おもろかったな」って思えてもらえたら嬉しい。読んだ後に暗くはならないでくれたらより嬉しい。

やひろ:まあ、そんなに悲劇的なことは起きてないですからね。なんだかんだ、ちゃんと立ち直っていく感じはあるんで。


「その気持ちよさに何度でも浸りたいから、アルコールに手を出し続けてしまうところはあると思います。」

やひろ:主人公がアルコールに溺れていく描写は平井さんの経験からですか?

平井:これは実体験が大きいです。アルコールについては、自分自身で人体実験したところがあります。どうしても一人でいるとやっぱ危険ですね。つらいと、そういう風になっちゃいます。

やひろ:平井さんがお酒を飲まれてた時期っていうのは、やっぱり前のバンド解散されてからなんですか。

平井:そうですね、解散するって発表したときからかもしれないですね。解散しますって12月に発表したんですけど、ライブがいっぱいあったんで、実際に解散したのは翌年の4月なんですよ。そのあいだ、月間10本とかやってましたけど、その期間ずっと飲んでましたね。ウィスキーとかずっと飲んだりしてて。あれは改めて危険な飲み物だと思いますね。

やひろ:精神病院の「ゆうメンタルクリニック」のインタビュー記事も、ネットで検索して読みました。アルバムのジャケットにも「ゆうメンタルクリニック」って出てくるじゃないですか(笑)。

平井:あれも、ご本人から許可をいただきまして(笑)。先生の話では、心の病とアルコールがセットになるというケースがほとんどらしいですね。咳と鼻水みたいな感じで、セットなんでしょうね……。

やひろ:なんでですかね?

平井:お酒が簡単に手に入るからじゃないですか? これがアメリカみたいに、買うときに身分証がちゃんと必要、みたいになったらめんどくさくなって、あんまり手を出さないんでしょうけど。簡単に手に入りすぎる、というのがよくないと思いますね。

やひろ:僕は全然お酒飲めないんで、ちょっとそのあたりはわからないですけど。

平井:飲まないにこしたことないです。

やひろ:まあ「弱い」っていうのがもちろんあるんですけどね。でも、アル中の人って、酔うのが目的なわけじゃないですか。酔うのが目的ってことは、そもそも弱い人も中にはいるんですかね?

平井:弱い人はいますよ。でも、耐性としての強い弱いがあった上で、「慣れ」というのもあります。毎日ガンガン摂取することで慣れてきて、それを「強くなった」と表現する人はいますね。

でも、内臓の強い弱いで二日酔いのレベルが変わってくるんで、それに耐えられる内臓かどうか、というのがある気がします。でも、やっぱり本質は「酔う」のが目的です。

酔っ払うと万能感が出て気が大きくなるじゃないですか。その気持ちよさに何度でも浸りたいから、アルコールに手を出し続けてしまうところはあると思います。

やひろ:抜け出せたんですか、そこから。

平井:僕的には、もう抜けだしたというような感覚ですね。お医者さん的には「まだまだ。一生無理」と言うかと思います。

やひろ:それは、仕事がうまくいくようになったから、ということですか?

平井:あると思いますね。それと深酒が「いけないことだ」と思うのが結構大事なことやと思うんです。アホな話なんですけど、ちゃんと思うんです。

後は薬も合ったのかと思っています。レグテクトっていう薬があるんですけど、これはアルコールを飲んでも気分の高揚があまりなくて、飲んでも気持ちよくならないんです。で、シラフの時もあんまり落ち込まなくなります。この気分の浮き沈みを揃えらるようになって、けっこう落ちついて来ました。

やひろ:「気持ちよくなること」ってそれ自体が麻薬ですからね。最近、サウナとかで「キマる」みたいなの、流行ってるじゃないですか。サウナで思いっきり過酷な状況に耐えて、水風呂で締めて、またサウナに行くみたいな。

あれやると、脳が戦闘状態になっていくらしいんですよ。強制的に闘争本能を刺激して、アドレナリンが出てきて、気持ちいい、っていうループなんで、ちょっと危険だなと思ってるんですよね。

平井:欠乏して、「また足さないと」っていう循環にハマって社会生活が送れなくなると危ないと思います。アルコールよりはその可能性は低いだろうけど。

やひろ:なので、僕はどっちかっていうと、「自分の気持ちをアゲるもの」ってちょっと警戒してるんですよね。むしろ「アガリ過ぎないようにする」ことが多いです。

noteの記事とか書いてても、もう1000本以上書いてるんで、「今日はめっちゃいいの書けた!」みたいな興奮とか、もはやないですからね。

平井:「会心の一作!」とかないんですか。

やひろ:ないです。というか、あることはあるんですけど、あまり意識せず、ひたすら淡々と書いてます。

平井:そうやって淡々とやっていくのが一番火力があるというか、頑強ですよね。一時的にワーッとやるより、「続けること」のほうが力がありますよ。僕はやっぱりドーパミンに脳をやられているので、気持ちいいことが好きなんです。本書いてたら気持ちよくなる瞬間というのも何度かありましたね。「小生くん」が出てくるあたりとか。

やひろ:あんなやつおるか?!って感じですけどね。個性的すぎるやろ!っていう。

平井:賛否ありました(笑)。


「めちゃめちゃ、承認欲求の塊だったからですね。」

やひろ:あと、印象に残ったところでいうと、これもしかしたら平井さんの深層心理かもしれないですけど、「自分がこれええやろって見せたものが他人に受け入れられないのが怖い」っていうくだりですかね。わりと川嶋ってそこが根底にあるじゃないですか。

平井:川嶋には「自分が良いと思っていた神社が友達に否定される」っていう中学時代のトラウマがありますからね。でも、僕個人は物を作るときに、「がっかりされる勇気なく作ってはいけないな」と思うんです。怖いですからね、がっかりされるの。これまでがっかりされ続けてますけど(笑)。

やひろ:でも、期待に応え続けるのは無理じゃないですか。

平井:それは無理です。やはり期待するのは相手のほうですから、コントロールできません。応えたくても。

やひろ:バンドに対してだと、「デビューのときはよかった」とか、ファンが勝手なこと言って、どんどん変わっていっちゃうじゃないですか。そういうのはありますか。

平井:そりゃあります。ただ、曲の評価っていうのも、セールスっていう概念が入ると、楽曲に対する「質」への評価じゃなくなってきます。2013年にアルバムを出すことになって、製作費として20万円ぐらい必要になったんですよ。

そのとき、結構有名な会社がお金出してくれる話になってたんですけど、やりとりする中、途中で連絡が途絶えてしまって。結局、「別の大型新人が見つかってしまったからお宅にはお金出せません」って結論になりました。

で、その年に、そのとき作ったアルバムの中の曲で、ロッキング・オンのコンテストで優勝したんですよ。そしたら「やっぱうちに来ないか」と手のひらがくるりと返ったんです。曲はまったく一緒なのに、コンテストで結果を出す出さないで評価が変わるのは少し面白い現象かもしれません。

やひろ:そういうのマジであるんですね。

平井:フェスカルチャーや音楽ビジネスがゴタゴタしていた時代だな、という感じはしますね。2012年ぐらいからフェスとかも増えましたし。いまは、コロナで状況もずいぶん変わってきてるんで、「売れる」っていう定義も複雑化してますね。「バンドで偉くなる」っていう道筋も増えているので、そこは豊かになった気がします。「さよなら、バンドアパート」はちょっと前の時代の小説の感じがします。

やひろ:バンドで食ってくことって可能なんですかね?

平井:数年前は大御所にならなくても、結構それなりに食っていけるっていうのが見えた時代だったかもしれません。僕もある時期にバイトを辞めることができましたし。

そのときの自分たちは武道館でライブするとか、誰もが知っているミュージシャンというわけではないけど、多少のお金を手にしていました。でもあれはたぶん、景気がよかったり、事務所がかわいがってくれていたりとバブルだったのかも。たかだか数年前ですが、「時代」な感じがします。

やひろ:でもそれが2010年台後半になって、いまもコロナ禍ですけど、収益構造はいまはどんな感じなんですか?

平井:投げ銭とか、スパチャとかも多いんじゃないですか。僕の活動はCDを無料で一万枚配ったりと収益構造がしっかりしていないところが多いです。

やひろ:なんで一万枚配ろうって思ったんですか?

平井:めちゃめちゃ、承認欲求の塊だったからですね。一万枚分なんで制作費だけで200万ぐらいかかりました。

やひろ:いや、でも、たとえ承認欲求でもそれに200万も払いますかね?

平井:もう一回復活してバンドをやるにはそれぐらいしか思いつかなかったっていうか。ちゃんと考えていなかったのもありますが。

やひろ:それはあえて、配信じゃなくて、ってことですよね。

平井:「店で一万枚配ろう」って思ってやったんで。いっぱい積んである、っていうのがネットニュースにもなってたのは嬉しかったです。

やひろ:効果ありました?

平井:これが要因でめっちゃ人気者になったか? って言われたら、全然そこまででもないんですけど、あれを見たっていう人はやっぱり多くて、ちょっとずつでもトリガーにはなってたんだろうなって気はしますね。

やひろ:別の視点から見ると、いまの時代でもわざわざタワレコに行く人って相当な音楽好きですからね。

平井:めっちゃ音楽好きだと思いますね。タワレコ行くレベルの音楽好きって少ないですからね。

やひろ:CDって、もはやフィジカルだと、どれだけ売れてるのかって思いますもんね。

平井:本当に売れていないですよ。タワーレコードも、docomoの100%子会社ですし、収益目的ではやってないんでしょうね。タワレコ自体がメディアになってるというか。

やひろ:でも、そうはいっても音楽好きは大勢いて、コロナでフェスとかもなくなってライブもなくなって、寂しそうですけどね。早く再開してくれって。

平井:僕はコロナ前はぎゅうぎゅうづめになったフェスで歌ってたわけですけど、あれがぎゅうぎゅうづめじゃなかったら、やっぱりなんか同じようにはできないような気がしますね。

でも、コロナが明けて、またぎゅうぎゅう詰めになる未来がくるのかって言われたら、やっぱりピンとこない、っていうのはありますね。

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「小説って書くものだと思ってたんですけど、実は組み立てるものだったんだなって書いてみてわかりました。」

やひろ:ミュージシャンとして純粋に音楽だけやってたら難しい、みたいな時代において、小説を書いた手応えってありました?

平井:手応えはやっぱり「表現は面白い」ってところですかね。小説って書くものだと思ってたんですけど、実は組み立てるものだったんだなって書いてみてわかりました。

作る工程が音楽と同じだってわかったんで、何かでトラブって人生から音楽を奪われたとしてもテキストで創作欲を満たすことはできるなと思いましたね。さらに、セールスという観点で言うとCD売ることと比較したら、流石に小説のほうが可能性はあると思います。

本屋さんに行ったら、よく知らない自己啓発本が5万部とか、10万部とか売れてたりするじゃないですか。何百万部って売ってる本の著者でも、その作家の名前そのものはそれほど知られてないケースがある。

一方、CDの売り上げでトップの人は絶対知られている。誰が歌っているかよく分からないCDがトップになっていることってないんです。本は「誰が書いてるの?」ってベストセラーがたくさんある。それに本が5万部とか、10万部はあっても、CDが5万枚とか10万枚っていうことは絶対ないんで。本はタイトル自体が有名になれば一人歩きしていくようなところがありますよね。

やひろ:じゃあ、また書きますか。

平井:依頼とか話があれば書きたいです。たぶんすぐに案を10個ぐらい出しますね(笑)。

やひろ:あと、LINE@できた質問に答えていくっていうのやられてるじゃないですか。

平井:あれ、僕は好きなんですけどね。あれ本にならへんかなって思ってます。でも、なんか最近質問こないですね。飽きられはじめたのかもしれないです(笑)。

やひろ:お話ししてて、「似てるな」って思うのが、小説を書くのも、音楽を作るのも、僕の中であんまり変わんないんですよね。note書くのもそうですけど。

平井:抽象化すると結局同じなんですよね。

やひろ:音楽って、表現としてすごい抽象的じゃないですか。もちろん、歌詞とかでメッセージ入れることできますけど、どちらかっていうと歌詞でメッセージ伝えるのって音楽の力じゃなくて「歌詞の力」じゃんって前から思ってて。

メロディとか、雰囲気で伝えていくのが音楽のあり方かなと思うんですけど、でもそうやって考えていくと、さらに抽象的になるんですよね。なんのメッセージも入っていないんで、そこには。具体的に表現できるのが小説かな、と思ってて。

平井:文章は通信手段ですからね。かなり具体化できますよね。そして物語で伝えると伝わり方が素直になるというか。たとえば小さい子に「贅沢はだめだぞ」って言っても響かないけど、「アリとキリギリス」読ませたら一発で刺さるみたいなことがあるんで、やはり物語の力は偉大だなと。

やひろ:「進撃の巨人」の諌山創先生が前に、面白いことを言ってました。「進撃の巨人」って結構ハードな話なんですけど、「人を殺しちゃいけない」って人に教えるときに「人を殺してもいいんだ」というメッセージをこめて話を書いたら、読んだ人が考えるだろう、と。

平井:なるほど。

やひろ:人を殺してもいい、というメッセージはこめてもいいんだ、と(笑)。そういう乱暴なことができるじゃないですか、小説なら。

平井:そうですね。逆に出版上の注意、禁止ワードみたいなのと付き合って作るのも面白いんですよ。

やひろ:書いちゃいけないこともあるんですか。

平井:「さよなら、バンドアパート」にサクライさんというキャラが出てきますけど、同じことを言いまくるんですよね。「もう帰るよ、もう帰るよ」でキーをあげていくから、同じ歌詞で転調するからサクライさん、っていうニックネームなんですけど、NGになりそうでした(笑)。

やひろ:駄目なんですかね。

平井:「もしミスチルの櫻井さんが読んだら気分を害されるのでは」ということを指摘されました。それは絶対大丈夫ですって言いましたけど(笑)。

あと、表現でいうと、「乞食」もだめです、っていうのもありましたね。日本は「最低限度の文化的な生活が送れる国」という前提になっているから、国家反逆にあたるみたいです。「物乞い」に変えました。

やひろ:だいたい同じことだと思うんですけどね(笑)。

平井:そんなに規制コードあるの(笑)って思いましたけど。後は、「さよなら、バンドアパート」では人が死ぬ話はやめておこかなと思いましたね。

やひろ:展開として安直ですからね。人が死ぬっていうのは。

平井:編集の人に「ラスト、川嶋、殺します?」って言われたんですけど、川嶋ってなんていうかちょっと「殺す」ほどでもないな、と思ったんですよね。むしろ創作としては「死」ってむしろ普通になる可能性もあるので、それだったら三人称視点で小説を終わらせようかな? と。最後の出てくる人は川嶋なんですか? って問い合わせは多かったですね。

やひろ:そこは読者にお任せ?

平井:というパターンですね(笑)。


「やっぱりミュージシャンからしたら、クラファンでいくのはちょっと『ロックじゃない』って風潮もあるのかなと。」

やひろ:繰り返しですけど、僕はどうしてもクラファンのくだりが気になるんですよ。このクラファンの要素いる? って、かなり気になってて。

平井:実際問題として、クラウドファンディングをやれっていう会社は多いですよ。当時の僕は「クラファンはやらせられない」と言われていましたけど、今は反対に「やってくれ」となっている話が多いです。事務所やレーベルで予算がとれないから、「アーティスト自身でお金を集めてこい」っていうことなんですよね。

一方、クラファンやれっていうと反発するバンドマンは多いかと思います。「さよなら、バンドアパート」内ではそういう川嶋にとっての「反発の装置」として機能させていますね。「バンドマンにとってのいかにも今風の活動」みたいな。最新ベースなら「Tik Tokやライブ配信やりまくれ」に相当するのかな。

やひろ:クラウドファンディングっていうワードがちょっとうさんくさいじゃないですか。

平井:確かに。「ファンディング」部分がうさんくさいっすね。

やひろ:僕もなんか知り合いのアーティストがクラウドファンディングとかやりだしたときに、ちょっとうさんくさいな〜とは正直思いました。投資とはちょっと違うじゃないですか。

投資っていわゆる、株式投資とかだと、有望なものがあるからお金をだして、事業を育ててリターンをもらう、っていう感じですけど、クラウドファンディングってもっとこう、投げ銭感覚っていうか、ファン依存じゃないですか。

平井:そうですね。一応、リターンとしての贈り物はありますけど。

やひろ:リターンって別に事業で得た利益を分配じゃなくて、「お礼」みたいな感じじゃないですか。

平井:そうですね。物々交換みたいな感じ。

やひろ:あれになんかうさんくささを感じる人はいるんじゃないかと。

平井:多いですね。ある種、ちょっと極端なニーズの偏りが起きてて、歌詞の原本とかが一万円とかで売れるんですよ。そういうのって、一般的にみたら大した価値はないですけど、欲しい人がいたら売っていいわけですからね。僕もリアムギャラガーの歌詞原本があれば数万円出しますし、そういう独特のマーケットが一瞬できる、っていうのがクラファンかもしれないです。

やひろ:確かに。

平井:これが募金系のキャンペーンだと失敗します。「助けてください」みたいなの。

やひろ:みんな明確にリターンが欲しいんですかね。

平井:そもそもマスじゃなくてクローズドなんで、「みんな」かは分からないけど、クラファンの成功はリターンの品質で決まりますね。みんな買い物感覚なんで。上手にリターン組めば、知名度はあまり関係ないかと思います。

やひろ:やっぱりミュージシャンからしたら、クラファンでいくのはちょっと「ロックじゃない」って風潮もあるのかなと。

平井:めちゃくちゃありますね。クラファンやるようになったら終わりや、っていう人もいます。

やひろ:いまお話ししてみると、思ったよりクラファンに対する肯定的な意見が出てきて戸惑ってます(笑)。

平井:さっきも言いましたけど、僕めっちゃクラファン肯定派なんです(笑)。自分が肯定派なんで、あえて逆側の人間を書きたかったんですよね。

やひろ:でも、川嶋のクラファンが嫌いな理由が、「キムタクに似てる」みたいな。「そうか?」と(笑)。

平井:彼も否定する理由がもうなくなってきてるんでしょうね(笑)。僕自身は選択することが苦手で、川嶋はわりと決断が早いんですけど、それもちょっと自分とは逆の要素かもしれませんね。

川嶋って子どもの頃は賽銭箱に1000円入れる入れないでガタガタ言ってますけど、それ以降はフグのキモ食い出したりとか、会社辞めたりとか、決断が早くなってるんです。そこが主人公としての成長の要素かな、と。


「バンアパじゃなくてサザンっていうのが僕の中でツボだったんですよ(笑)」

やひろ:小説って不思議な魔力があって、登場人物は実在してないのに、実在してるみたいな感じになることってあるじゃないですか。例えば、僕が何かエッセイで書いたとしてもそれは僕の意見でしかないけど、「この小説の中で誰かが言ったこと」も、「名言」みたいな感じで語る文脈があるじゃないですか。

でも小説の人物は、作家が書いた架空の人物なんですよね。あくまで作者が創造した人間でしかないのに、その人間が発言したことをとりあげて、「この人がこう言ってるよ」みたいにやるのあるじゃないですか。あれってすごい面白いなと思って。

平井:確かに。そっちのほうがパワーありますね。そういう感じのセリフを散りばめられたのが面白かったです。音楽では、それはやりづらいですね。

やひろ:音楽って逆に、自分でやらなきゃいけないじゃないですか。バンドマン自身が生き様を見せて、そのうえで言わないといけないですからね。

平井:確かに、それ面白いですね。小説の冒頭で出てくる、「バンアパは理想が低いからサザンを目指せって」いうのも、あれ本当は「いい言葉」として言われたんですよ。

所属していた事務所の人にすごいいい方がいて、「バンアパいいですよねー」って言ってたら、「サザンぐらいいこうよ!」みたいな励ましだったんです。バンアパじゃなくてサザンっていうのが僕の中でツボだったんですよ(笑)。俺とマジで全然関係ないやん! っていう。

やひろ:あと、すごい川嶋って真面目じゃないですか。なんか営業とかもすごい頑張ってて。平井さんも、営業とか、あんな感じで頑張られたんですか?

平井:僕も川嶋と似たことはしましたけど、川嶋のほうが頑張ってますね。川嶋が言ってた、「権利を全部あげるからお金出してくんない?」っていう営業は実際に使ったんですけど、そこであるグッズ会社の社長さんが助けてくれました。一生の恩人ですね。

やひろ:なんかひたむきに頑張るところがぐっときましたね。川嶋って読んだ一回目はちょっとダメなやつかなと思って読むんですけど、二回目、三回目読んで行くと、そういう努力的なところが目についてきました。めっちゃ頑張ってるやん、って。

ライブもちゃんと年間何十本ってやってるじゃないですか。あともうひとつ、小説読んで思ったのが、バンドものの作品って、要素として仲間との対立とかってあるじゃないですか。でも、それがあんまりないんですよね、この小説。

平井:そうですね、確かに。

やひろ:わりとみんな一生懸命やってて、途中であっさり辞めてくメンバーがいる、みたいな。

平井:あっさりやめてくのがリアルかもしれません(笑)。確かにバンドものを書くなら対立を書くでしょうね。最初は、もっとメンバーもモブみたいに影薄かったんですよ。あくまで川嶋の話なんで音楽は二の次だったんです。編集さんに「メンバーの会話とかもっと増やしてください」って言われて、増やしましたね。でもたぶん川嶋のワンマンバンドなんでしょう。

やひろ:もう自分が全部やってく、みたいな。そこはQOOLANDと比較してどうだったんですか?

平井:QOOLANDはあんまり苦労しなかった方だと思います。ワンマンというほどでもないけど、決める時になると対立することも少ない。曲作りは元ネタを作って持っていって、あとはみんなで作るっていうやり方なんですけど、元ネタの段階でわりと全パートを録音して持って行きました。

「このままでもいいし、自分で作ったのでもいいよ」って言うほうがスムーズなんです。最初から白紙ブランクで持っていくと、なかなか進まなかったです。7年ぐらいの活動で10枚ちょっとぐらいリリースしたので、優秀かなと。

やひろ:解散の理由はなんだったんですか?

平井:表現としての価値観の違いが出てきたのが一番ですね。もちろんお金もあります。メジャーデビューして盛り上げていくしかないなっていう結論になって、ユニバーサルと契約しました。

西武の、ちょうどここの下の席でメーカーと話したんですよ。「メジャーデビューさえすれば勝手にタイアップがきたり、月収が入ってくる」と甘々なことを考えていました。もちろんそんなことはなくて、困りました。そこでもう現場でなんとかするしかないな、ってなって、ゲリラライブっていうのをやりはじめたんですよ。当日解禁でライブしまくるというのを超過密スケジュールでずっとやってたら、ドラムとギターが辞めたいってなって、「じゃ解散しよう!」ってなりましたね。

やひろ:メジャーとメジャー以外って、どういう違いがあるんですか?

平井:メジャーデビューの定義って、「日本レコード協会に登録されている外資のメーカーからCDが出たよ」っていうだけなんですよ。厳密に言うと国産のメーカーであるエイベックスからしかCDが出てない浜崎あゆみってメジャーじゃないんですよね(笑)。キングレコードもトイズファクトリーも国産です。

やひろ:トイズもだめなんですか。

平井:だめっていうか(笑)、その定義からは外れるって感じですね。要するに事務所に所属してとかいうことではなくて、そのCD一枚が外資メーカーからリリースされるかどうか、というだけなんですよ。

やひろ:一般の人が思ってる印象とちょっと違いますよね。

平井:まあそうですね。まあ、一般の人が思ってるのがメジャーデビューで僕はいいと思いますけど。概念がもはや意味をなしてないんで。

やひろ:あんまり関係ないですね。じゃあそうなってくると。個人の力が大事っていう。

平井:完全にそうです。米津玄師がどこの所属か知らないですもん。

やひろ:(笑)

平井:最初、怪物だなと思いましたもん。こんな人間いるんだ、と。大谷翔平的な衝撃でしたよ(笑)

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「で、『もっといきものがかりみたいのほうがみんな聞くと思う』みたいなことを言うんですよ(笑)。」

やひろ:noteというものの魔力を感じますよね。だって、僕らって本来、会わないじゃないですか、こういうツールがないと。

平井:普通、すれ違わないですよね。インターネットさまさまですよね。こういう活動してて、たまに依頼とかきたりしますか?

やひろ:たまにきます。ただ、僕は本当にただの会社員なんで、会社の人とかがnoteやってるってことも知らないですし、曲書いてるとか、小説書いてるのっていうのも誰にも言ってないです。

平井:そこは、分けてるんですか?

やひろ:分けてるっていうか、一種のコミュニケーションですね。例えば、「作曲やってる」っていうと、お世辞で「聞かせて〜」とかのやりとりって、あるじゃないですか。

平井:お世辞っていうか(笑)、シンプルに聞きたいんだと思うんですけど。

やひろ:でも聞かせても、その人に刺さるかどうかってまた別の問題なんですよね。単にクオリティだけの話じゃないというか。

平井:そうですね。

やひろ:聞かせたときに、なんか気を使わせてしまうっていうか。気を使わせてしまっているのがわかってるんで、じゃあそもそも「作曲してる」なんて言わないほうがお互いのためだ、みたいな結論になっちゃってるんですよね。

平井:めちゃくちゃ分かります(笑)。そういうの、いらないやりとりですからね。たとえばバンドやってて新譜が出ると、自分の親が買うんですよ。で、「もっといきものがかりみたいのほうがみんな聞くと思う」みたいな謎の感想を言うんですよ(笑)。

いまでは笑い事になってますけど、かつては相当ダメージ食らいましたね。こっちは必死でやってるのに、いきものがかりか……みたいな(笑)。でも「人生かけて、いきものがかりになれなかったら後悔するから。それなら今のまま死にたい」って言って許しを得ました。

やひろ:でも抽象化すると、会社員もわりと似たようなところありますよ。やっぱり、なにごとも自分で決めるのってすごい大事じゃないですか。人に言われたことをやってうまくいったらそれはそれでいいんですけど、うまくいかなかったときに、その人のせいにできるかって言ったらできないですからね。

平井:心の中ではしちゃいますけどね(笑)。会社員でもそういうのってあるんですか?

やひろ:ありますよ。会社っていろんな人がいるんで。上司とかお客さんに、「こうしたらいいんじゃない?」って言われることはあるんですけど、もちろん誰も正解なんて持ってないですからね。

それを素直に聞くのも大事なこともあるんですけど、最終的には自分で決めないといけない。自分で決めるかどうかで、責任の重さが変わってきますよね。人のせいにしているとどうしても、どこかで行き詰まってしまうんで。

平井:自分でちゃんと決められてる時期と、そうじゃない時期がありましたね。で、振り返ると「決めれられてない時期」にバンドもダメージ受けてましたね。最初、コンテストにバンドが応募するってのもロックじゃないしダサいって感じもありましたし。

やっぱり決めずに正解するより決めて失敗するほうがましなんですよね。ただ三十歳になってくると、自分にとって「ここは譲れない」っていうものがめちゃくちゃ少なくなりました。

若い頃と比べると、「まあ譲れるよ」みたいなものが増えてて、付き合っているうちに想定外のところに連れていかれるっていうか、気がついたら変な場所に立ってたっていうことがわりとありますね。まあ、駄目だと思ったら「譲れません」と言って定位置に戻していくんですけど。

やひろ:それは音楽性とか、そういうことですか。

平井:音楽性はわかりやすいですね。。例えば、シンプルに楽曲を速くして、とか、キー高くして、とかですね。昔は速くして高くしたら売れるって言われました(笑)。もうちょっと速くできない? みたいな感じで。やってみたら悪くないこともあるんですけど。

やひろ:最近よく考えるのが、「みんなどういうときに音楽聴くんだろう?」っていうことなんですよ。みんな、どういうときに音楽聴いているんですかね。

平井:めっちゃ気になりますね。


「そういう『聖なるもの』がないと、自分が『それを目指してるんだ』って陶酔できない気がしますね。」

やひろ:音楽聴いてますか? 今。

平井:車の中でしか聴いてないですね。コンポないんで、車の中でしか聴かないですね。

やひろ:一度、音楽プロデューサーに会って話したことがあるんですけど、全然CD買わないんですよねって話をしたら、プロデューサーの人も僕も何年買ってないか、みたいなこと言ってて、あんたは買っとけよって思ったんですけど(笑)。

平井:やひろさん、月10冊ぐらい本読まれるじゃないですか。そこまで行かないにしても、あんまり本とか読まないような人種でも、「前に本買ったのいつ?」って訊いたら、だいたい一年以内に何かは買ってるんですよね。
でもCDって本当に、みんな買ってないですからね。サブスクやYouTubeもあるけど、なんなら、新しいものもあんまり興味ない、みたいな。僕は自分が作ったものを聞きますかね、やっぱり。ここは中学の頃から変わっていなくて、自分の曲を聞いて、ちゃんと「いいな」と思えるんです。

やひろ:いや僕もよくわかりますよ。自分の曲ってけっこうよく聴くんで。自分が気持ちいいと思ってるから曲になってるんでしょうね。自分のツボに入るようになってるんですよね(笑)

平井:そもそも、音楽というコンテンツから得られるものが減ってる気もします。

やひろ:僕もCD買わないのは買わないんですけど、サブスクでも音楽聴くシチュエーションって限られてるな、って思ってて。やっぱり移動中が多いですよね。

もともと中学高校のときはMDに録音して、通学時間とか僕電車で通学してたんで、そのときずっと聞いてて。でも、通学時間一番長いですよね。聞いてる時間としては。

平井:スマホがいろいろできすぎるんですよね。機能がすごすぎる。そこらへんiPodとかは音楽聴くことしかできないから良かった。

やひろ:本読むときとかに音楽聴くにしても、うるさい音楽だとちょっと集中できないんで。そうなると、ロックっていつ聴くもんなんや、と。

平井:ですよね。2000年ごろと比較するとロックを聴く人口は減っておますよね。今、中学生だったら、商売としてロックを選ばない気がしますね。昔は、なんかCDとか、ライナーノーツとか、そういうアイテムに神秘性を抱いてたんですよ。

どうしてもスマホでアクセスすると、「聖なるもの感」がめっちゃ薄れる気がします。そういう「聖なるもの」がないと、自分が「それを目指してるんだ」って陶酔できない気がしますね。

やひろ:僕もCD作ったことあるんですけど、やっぱりプロじゃなくて、プレスで作ってくれる会社に発注してやってもらって、自分の手で売ってたんですけど、最初来た時感動しましたね。

普通に店で売ってるのと同じような感じでくるんで。CD-Rの裏ってちょっと色ついてるけどプレスのやつだとない、みたいな(笑)。

平井:それ、めっちゃ重要ですね(笑)。この違いのためだけに発注したんやって思いながら。キャラメル包装とか。

やひろ:僕は高二のときにそれやったんですけど、やっぱり感動しましたね。できたぞ、プロと一緒だって。

平井:あのビニールがあってこその音楽だったんだなあって。

やひろ:デジタルで音楽を聴くっていうことが、音楽を殺してますよね。

平井:恩恵もすごいんですけどね。めっちゃ便利になったけど、やっぱりかなりの犠牲を払ったんじゃないかなって思いますね。iPodまで、ダウンロードまでが結構ギリギリラインだったのかも。

やひろ:僕はそもそも、ダウンロードが「アウト」だったんじゃないかって思うんです。やっぱり、CDって「買いに行かないと聴けない」っていうのが大事だったんですよ。買ってきたCDの包装をはがして、一連の儀式を経てはじめて「音楽を聴いてる」って感じが得られるんで。

平井:確かに。茶道的な感じですよね(笑)。そういう一連のものがあって「音楽を聴く」だから、それがアクセスが早すぎると価値は下がりますよね。

やひろ:サブスクだったら、なんとなく「いいな」っていうアーティストがいたら、ダウンロードでボタン押すと、勝手にダウンロードされるじゃないですか。で、落としてある数千曲の曲でシャッフルかけるんですよ。

すると、ダウンロードされてる数千曲のやつがミックスされて流れ出すじゃないですか。僕、そんな感じで最近は音楽聴いてますけど、そうやると、楽曲をダウンロードした本人やのに、そのときに流れる歌が誰の歌かわからないんですよ。

ずっと聞いてて、たまにええ曲やん、って見るんですけど、自分がダウンロードしたことすら忘れてるんですよ。

平井:ほー。

やひろ:自分でダウンロードしたはずなのに、誰それのなんの曲っていうのを知って、これええ曲やな、って、そういうレベルなんですよ。自分でもひどいなって思います(笑)。

平井:ひどいっていうか、超簡素化されてますよね。いまバンド始めますってなったとしたら、アルバムで聞いてもらうことの難易度は相当高いと思います。そういう意味でいうと、2013、14年ぐらいの頃は、まだギリギリ、アルバムで聞いてくれる時代ではありました。サブスクはその頃なかったですからね。

だから、それをやれたアーティストをやっていたのは贅沢かもしれない。15曲ちゃんと聞いてくれるファンがいるっていうのはありがたかったんだな、って。現代だと15曲微動だにせず聞いてくれる人が少ない気がして怖い。

やひろ:いや、いまでも15曲ちゃんと聴いてくれるファンはいると思いますけどね。それって、小説の世界でも考えたことがあるんですよ。いま、小説を読む人が減ってるので、じゃあどういうのを書いたらいいんだろうっていう話で、「なるべく短くて読みやすいものを書く」っていう方向性があるじゃないですか。

それって一見すると理にかなってるし、正しいんですけど、僕はそれだけが正解じゃないと思ってます。なぜかというと、「ライトなものを書いたからといって、人々が読むわけではない」からですね。

ライトなものを書いたほうが読まれるんじゃないかっていうのは読みとしてはちょっと浅くて、「いまの時代でもあえて小説を読もうとする層」は、よりヘヴィなものを求めてるんですよね。

だから、普通の人が小説を読まなくなった、だからライトなものを書くんじゃなくて、読まなくなったからこそ、ヘヴィなものを書く必要があるんじゃないかと僕は思ってるんですよね。

平井:確かに。その通りですね。

やひろ:15曲黙って聞いてくれる人はいないって言う中で、細切れになったら、結局僕のサブスクみたいになって埋もれていくこともあるじゃないですか。だから15曲聞かないとわからない仕掛けが入ってると、じゃあ聞こうか、ってなる人がいるかもしれない。


「自伝の定義は、『私の人生はこうであるということを伝える』ことだと思うんですけど、この小説はそうじゃないです。」

平井:書いたことで小説の話をちょっとできるようになったんで、作り方に関していろいろ意見をもらえるのは嬉しいですね。

自分の殻があるせいで音楽だと他人の意見を聞くのが難しいんです。「ああせいこうせい」っていう意見に対して、頭固くなってるんですよね。意見が文句に聞こえる。そこんとこ小説は素人なんで、他者の意見を聞くのが面白いんですよね。

やひろ:どうしても、若いときから「まじめに」作品作ろうとすると、どうしても「型」からいっちゃうんですよね。

平井:僕は、対話から作ってたかもしれないですね。

やひろ:人との対話?

平井:とにかくキャラに喋らせる感じですね。「さよなら、バンドアパート」の舞台設定は音楽業界ですけど、これは必要不可欠ではなかったです。ただ僕自身、職業漫画が好きなんで、音楽業界にしただけです。取材もいらないし。

やひろ:でも自伝じゃない、と。

平井:もはや自伝か自伝じゃないかの差が何かはわかんないですけど。僕の中の自伝の定義は、「私の人生はこうであるということを伝える」ことなんですけど、この小説は全然そうじゃないです。

やひろ:あと、小説を終わらせるのも難しいですよね。

平井:終わらせるって作品を作る上でものすごく大切です。音楽も「いいリフを作れる人」とか「いいメロディを作れる人」とかいっぱいいるんですよ。ただ、仕上げられないケースが多い。いいパーツを作ることと、仕上げてまとめるていいものを作るって違う次元にあるんですよね。「さよなら、バンドアパート」も仕上げが大変でした。

やひろ:作り出すのってノリでいけるとこあるじゃないですか。でも終わらせるには、なんかこう、最初のアイディアからは転調した何かがいるじゃないですか。

Aメロできてもサビがなきゃだめだし、サビができても、そのあとのCメロっていうか、転調したところがないと、作品として成り立たないじゃないですか。そういう構造みたいなのがすごい大事ですよね。

平井:「さよなら、バンドアパート」は「主人公の感じ方が変わった。よって終わり」っていうのに決着させました。物語の冒頭で川嶋は「何も面白くない」って言ってるんですけど、最後のページでは「面白かった」って書かれている。感じ方が変わった、っていうところで帳尻を取りました。

やひろ:最初から意図していたというよりは、書きながら見つけていった、という感じですか。

平井:そうです。最初は見つかんなかったです。川嶋がどうなるかも分かんなかったです。「キャラが一人でに動く」ってのは本当にあるんですね。

やひろ:でもすごいですよ。本当に。なかなか書けないです、あんなに。

平井:ありがとうございます。


「『どんな話なの? 要するに?』って聞かれたことがあって。要せないんだよな、と思いまして。」

やひろ:あと、ミュージシャンって、サラリーマン的な人が嫌いじゃないですか。

平井:まあそうですね。川嶋も正社員がめっちゃ嫌いですね。お前何されたんだって言う(笑)。

やひろ:川嶋って、思ったほど正社員嫌いじゃないんですよ(笑)。

平井:最初のほうのシーンでは、めっちゃ嫌いやって言ってますよ。

やひろ:言ってはいますけど、なんか全体を通して見てみると、そうでもないな、と。でもバンドやってる人って僕みたいな会社員をどう見てるのかな? というのはありますね。

平井:僕個人は多少遠慮はありますよね。そっちの世界のちゃんとした暮らしのビザを持ってる人に対して、申し訳なさってのがゼロではないです。僕がプラプラやっている間にこの国を元気にしてくれているんだな、とも思っています。でも、そっちになることももうできないし、っていう感覚ですよね。

やひろ:複雑ですね。僕も、大学生ぐらいまでは学生中に文学賞とってデビューして、サラリーマンにならないでおこう、と思ったんですけど、結局なってるんですよね。でも、なる前となった後では、サラリーマンに対する印象が違うんですよ。

平井:なる前は、「社会の犬」みたいなイメージでした?(笑)

やひろ:そうそう。なってみたらそうでもないな、とは思いましたよ(笑)。「犬」かもしれないですけど、犬って言ったら大人はみんな犬じゃないですか。

平井:たしかに。

やひろ:なんかしらみんな反抗はしているはずなんですよ。僕だって、口では会社のために、とか言ってますけど、会社のためにやってないですからね。自分のやりたいように仕事してるし。ネットの世界ではnote書いたり小説書いたり作曲したり、って自分のやりたいことやってるし。

平井:会社員の人たちは会社に属する状態なわけですけど、会社って冷静に考えたら、労働力をお買い上げしてる商取引、契約上の相手ですよね。

やひろ:そうなんですよ。会社員ですけど、ある意味自分という会社を運営してる代表でもあって。バンドもやっぱりそうだと思うんですけど。メジャーで出したって言ってもやっぱり主体は自分で、自分が経営者のようなもんじゃないですか。

平井:そうですね。

やひろ:サラリーマンもやっぱりそうで、僕は転職を二回してますけど、転職するってのは要するにその会社の契約を打ち切るっていうことなんで。

平井:そうですよね。それで別の会社に行くのは悪いことでも何でもない。

やひろ:そう。契約を打ち切って、別の会社にそれを提供しにいく、っていうことをやってるわけですよね。いまの会社、そんなに悪い会社じゃないんでしばらくはいると思いますけど。もしここで学べるものは何もない、っていう状態になったら次の会社に行くと思います。

平井:なるほど。

やひろ:小説書くってなったときに、いわゆる一般的なプロットを立てたりはしなかったんですか。

平井:プロットの立て方、教わりはしました。でも、やってないですね。

やひろ:僕は、そういうプロットみたいなのはないほうがいいと思ってて。僕もそこに超こだわりがあるんですよ。小説書くとき、僕長いやつだと18万字のやつ書きましたけど、メモは全くしないっていう制約を自分にかけてやってました。

平井:なんでですか? 何か損なわれちゃうんですか?

やひろ:メモにすると、自分の本当の考え以外が投影される気がするんですよね。note書くときも、一切メモしないんですけど、アイデアのストックもしないんですよ。

そのとき思ったことをそのまま書くっていうのにすごくこだわってて、メモにしちゃうと、自分が考えてた以外のところに引っ張られちゃうんですよね。だから絶対残さない。

平井:僕は時系列をメモしたりはしてましたね。2001年ことを書くならその時の時代考証が必要だし、2006年のことを書くならその時に流行っていたものを調べたいといけないし。ということが多かったです。作中に、SEKAI NO OWARIの歌が「ドラゲナイドラゲナイ」って町中で流れていた風景を作中で書こうと思ったんですけど、調べるとその時点ではまだリリースされていなかったんで使いませんでした。ゴールデンボンバーにしました。

でも、あんまり細かく作っていくのもどうかと思います。正しさに囚われすぎちゃうところがあるかもしれないです。ちょっと違っていてもいいんだ、というのも必要なのかなと。長い話ですし。

やひろ:小説って10万字ぐらいあるわけですからね。

平井:宣伝でラジオとか読んでもらった時に「この本、どんな話なの? 要するに?」って聞かれると「要せないんだよなあ」と思いましたね。アルバムをリリースするのとまた違いますね。

やひろ:僕は、そこにプロットを立ててないがゆえの「略せなさ」を平井さんの小説に感じたんだと思いますよ。要約できない。理解するには、ありのまま、あれを読むしかないっていう。

平井:要せないし、略せないから読んでよ、と(笑)。

やひろ:魅力に感じるのはそういうところかもしれないですね。プロットとかに落としていくとディテールないですからね。

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ゲストの平井拓郎さん、いかがでしたでしょうか。なかなかリアルな声が聞けないロックバンド事情について、かなり詳しい話を伺えたと思います。

平井拓郎さん、本当にありがとうございました!


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