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「きみはオフィーリアになれない」 瀧本達郎 後編 #083

「僕はあらゆる人の意識のネットワークを繋ぐことができます。そして、自分自身が、そのネットワークを移動することもできます。逆にいうと、そうやって意識を繋いでいかないと、その人が死んだときに一緒に消えてしまいます。いくら自分だけの世界がここにあるとはいっても、自分だけの世界に閉じこもっていたら生きていけません。それは、人間であるあなたたちにとっても同じです。ずっと自分の意識の中に閉じこもっていること、それは、引きこもりと同じですよね。
 自分だけの殻に閉じこもって、外界から隔絶された生活をずっと続けていると、どんどん気分が暗くなります。刺激がないので、自分から行動しよう、という気持ちもなくなっていきます。社会と同じです。
 社会生活を送るのって、とても難しいですよね。刺激があったらあったでストレスになるし、刺激がなければないで人生が暗くなる。ちょうど良いバランスを保つことはとても難しいことなんです。
 あなたたちは、『魚の毒』を使って、たったいま、『誕生』した新しい意識なんです。『魚』に噛まれる以前のことを覚えているかもしれませんが、ただ記憶に連続性があるというだけで、あなたたちとは全くの別人のお話です。あなたたちは、基本的にはそれぞれの脳の中にある意識の中で暮らしていきますが、僕がいろんな人とネットワークを繋いでいくので、いろんな人と交流ができるようになります。わかりやすく言えば、実体を持たない、クローン人間のようなものでしょうか」
 スピカと名乗る少年は語り続ける。瀧本は押し黙ったまま、スピカの言うことを聞いていた。
「仮に、瀧本先生、川嶋さん、あなたたちの肉体が死んでも、問題ありません。いまこの瞬間に、脳髄を破壊しても、あなたたちの意識は途切れません。僕が先ほど、『入っていいか』と訊いたタイミングで、意識をネットワークの中に移しましたから。あなたたちの記憶は、肉体を持っていたときと連続しています。だから、肉体が生きていようが、死んでいようが、全く関係ありません。いつまでも、この意識の中で生きることができます」
「その場合、誰の意識の中で生きているといえるんだ?」
「誰の意識でもないです。言うなれば、意識の集合体でしょうね。みんなの脳の領域をちょっとずつ借りてきて、それを使うんです。それをネットワークで結ぶと、意識らしきものが生まれます。
 それに対して、仁科くんは面白くなかったですね。彼は、ネットワークを拒絶した。この世界を、自分ひとりだけの妄想にすることで満足してしまった。他人とネットワークを繋ぐところまでは、彼の関心は向かなかった。精神世界でも引きこもりなんて、哀れでしたね、彼は」
 スピカと名乗る少年はリビングの中を横切り、壁の時計を見た。「そろそろ約束の時間ですね」
 ほどなくして、ノックの音が聞こえた。トン、トンと最初は遠慮がちに鳴っていたが、だんだん、ドン、ドンと叩くような音に変化していく。
「誰か来たようですよ」
 スピカと名乗る少年はわざとらしく言った。

(つづく)


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