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「きみはオフィーリアになれない」 瀧本達郎 前編 #055

 たき火の火に当たりながら流暢に語るかんなを見ていると、自分が感じた、この集団に対するきな臭さのようなものが少しずつ溶解していくような感覚がした。かんなが話していることは難解だったが、確かにそうだと感じさせるようなところもあった。
 あっちに行くと星が綺麗だから、とかんなに連れられ、たき火のそばを離れてふたりで崖の近くまで歩いた。みんなが寝泊まりする宿舎は高台に位置しており、見通しが良いが、脇の雑木林を隔てたところに崖があり、岩肌がむき出しになっている。その奥は荒れ地になっていて、満天の星空が広がっていた。ほら、綺麗でしょ、とかんなは言う。はじめてふたりで自転車に乗って隣町で来た時に見た、町の街灯のことを思い出した。あのときも、普段見ているかんなと、そこにいるかんなは別人のようだ、と思った。ここにいるかんなも、まるで別人のようだ。ここ一年で、お互いすっかり変わってしまった、ということもあるだろうが、また別のかんなの側面が見れたような気がする。
 瀧本くんもここで暮らせばいいのに。ここにいる人たちは、みんなほんとうの家族みたいなんだよ。かんなはそう呟く。そういえば、かんなの母親もここにいるのだろうか。疑問に思い、それを口にすると、かんなは首を振った。ううん、ママはここにはいないの。この共同体にはね、いくつもの支部があって、ここはその一部に過ぎないの。誰がどこにどう割り当てられるかは、あたしたちが関与するところじゃないから。共同体を運営するうえで、何か障害があったりすると、人の入れ替えなどが行われたりするのだろうか、と瀧本は考えた。だが、そんなことはどうでもいいことだった。
 そうね、人はたまに入れ替わるわ。春になると、あたらしい人たちが入ってくるの。出ていく人もいるけど。そうやって、循環させていくの。ぜんぶ。
 空を見上げながら、かんなはたぶん、二度このコミュニティの外には出てこないだろう、と思った。かんなは瀧本を誘っている。だが、瀧本は、ここが最終的に自分の行き着く場所だとはどうしても思えなかった。
 翌朝、瀧本はコミュニティをあとにした。かんなからも、他の誰からも、しつこく勧誘されることはなかった。どこまでいっても穏やかな人たちで、感情の起伏がなかった。季節ごとに、地域の住民と交流するためのイベントなどを企画しているようだが、それ以外ではほとんど外部と交流を持たないそうだ。入会を希望するならいつでもどうぞ、と帰り際に簡素な手書きのパンフレットを渡された。
 夏の終わり、電車で会った青年に電話をした。電話口で、青年はかんなが所属するコミュニティに関する新たな情報をくれた。入会するためには、持っているすべての財産をコミュニティに寄付し、それまでの自分の人生であったすべての嫌なこと、つらかったこと、嬉しかったことなどを告白させられるそうだ。その後、お堂のようなところで五日間の断食をし、現世とお別れとする儀式をするのだそうだ。その後は、さらに文明社会から切り離されたところで生活していく。断食の最中には、洗脳に近いようなことも行われるらしい。瀧本は、コミュニティの、特徴の少ない人々について思い出していた。かんなもゆくゆくはあの中のひとりになってしまうのだろうか。

(つづく)


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