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「きみはオフィーリアになれない」 瀧本達郎 前編 #063

 瀧本が発見したのは、かんなではなく、かんなの母親だった。かんなの母親に会ったのは、かんなを連れて隣町の本屋に行った日だけで、しかも化粧をしていない顏だったので印象が違ったが、間違いない、と瀧本は思った。かんながここにいる可能性もあるのでは、と隅々まで画像を確認したが、かんなの姿はどこにもなかった。瀧本は安堵したが、まだ安心はできない、と思った。かんなとかんなの母親は、そもそもコミュニティの違う支部に所属していたのだ。この画像は、かんなの母親が所属していた支部のものに違いないから、かんな自身が映っていなくても当然なのかもしれない。
 この画像によってもたらされた情報は何もなく、ただいたずらに不安を煽っただけだった。
 瀧本は、絶望的な不安と、身を焦がすような怒りに包まれた。
 だが、その感情のやり場をどこに向ければいいのかわからなかった。
 この人たち、炎の中に飛び込んで、焼身自殺したんだよ。燃えて、自らの肉体を空中に散布することで、世界と一体になる、ということらしいんだけど、それってあんがい、理にかなっているかもね。函南は淡々とした口調でそう言う。この世界の、素粒子の数は、宇宙開闢以来、変わっていないという研究結果があるらしいんだよね。つまり、僕らの肉体は、宇宙の中のある素粒子によって構成されているわけだけれど、いまはたまたま、かりそめの姿として生き物の形を保っているだけで、もともと僕らが食べ物として摂取したものが変化した僕らの細胞になっているだけだし、死んだあとはただの物質になってまた宇宙の中を循環することになるわけで、それって、生命がはじめて誕生してから連綿と続けられてきたことなんだよね。僕は宗教なんてまるで信じないんだけど、科学的なものがなにひとつなかったような時代に、お釈迦様が似たようなことを考えついて、仏教という体系にしたというのは興味深い話だよね。僕は、けっこう、この人たちにシンパシーを感じているんだよ。
 黙れ、と瀧本は低い声で言った。函南が言っている内容が正しいか正しくないかはどうでもいいが、少なくとも今聞きたいような内容ではない、と思った。第一、瀧本はかんなの現在の所在が知りたいだけなのだ。一目でいいから会って、かんなが無事に生きているかどうかを、どうしても確かめたかった。その約束を遂行せず、わけのわからない、本当かどうかもわからない写真を見せつけて満足している目の前の男を、本気で殴り飛ばしたいと瀧本は思った。
 自分の思ったことを言っただけだよ、と涼しい顔で函南は言った。瀧本は函南を睨み続ける。函南はそんな瀧本の様子を見て、これ以上は何も話さないよ、というふうに両手を上げてみせた。
 こいつは、と瀧本は思った。
 こいつは、きっと、心から誰かを愛しいと思ったことなんてないに違いない、と思った。
 確かに生命は、それだけではただの物質かもしれない。しかし、色んな人との関わりを持ち、その他人との関係性を通じて、ただの物質以上の感情を生み出すことができる。これ以上は何を言っても無駄だと思った。ありがとう、参考になった、と言い残して瀧本は立ち去ろうとした。瀧本の後ろ姿に向かって、函南は。やっぱり人を捜すなら、足を使って捜さないと駄目だよ、人に頼ってないでさあ、と言った。その声のトーンには、嘲笑のニュアンスが含まれていた。瀧本はその言葉を振り切るようにして函南の家を出た。

(つづく)


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