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「きみはオフィーリアになれない」 瀧本達郎 後編 #084

「誰だ?」
「誰でしょう。開けてみたらどうでしょうか」
 瀧本は、頭の中を整理していた。仁科から聞いていた話より、現状のほうが飛躍している。
 ここは、自分の意識の中であると同時に、ネットワークの中の意識でもある。
 ということは、もはや、自分を自分たらしめているのは、ここにいる、「自分」という自我しかない。
 仁科は、ネットワークとの接続を拒んだ。自分だけの世界を望んだ。
 そして、彼はあっけなく、死んでしまった。バイク事故で。
 彼は、スピカと名乗る少年の説明するところによると、「意識をネットワークの中に接続」しなかったらしい。
 では、彼は誰の意識と接続していたのだろうか?
 ノックの音は途切れることなく続いている。瀧本はゆっくりと玄関に向かって歩き出した。
「このドアを開けると、何が起こるのかな?」
 試しにスピカと名乗る少年に聞いてみる。だが、ただ肩をすくめるばかりだ。
 開けないという選択肢はあるのだろうか、と瀧本は考えた。おそらく、ないだろう。スピカと名乗る少年は、このドアを開けることを期待している。そして、いまの瀧本が置かれた状況からすると、彼に従うしか道は残されていない。もちろん、美穪子のこともある。
 ドアノブに手をかけ、半回転させる。
 ドアを開けると、向こう側は真っ暗闇だった。
 まるで暗闇を張り付けたかのように、ドアから先は全く見えない。
「こんばんは」
 ドアの向こう側から声が聞こえ、瀧本は驚いた。比較的、至近距離から声を発しているらしく、不意に、知らない人間が背後から話しかけてきたような恐怖を感じた。
「瀧本先生、挨拶をしていますよ」スピカと名乗る少年が淡々とした声で言う。そんなことはわかっている。
「誰が向こうにいるの?」
「訊いてみたらいいじゃないですか?」
「わかった」瀧本は頷いた。「君は誰?」暗闇に向かって話かける。
「僕が誰かって?」
「そうだ」
「あなたは、だれ?」
 まだ若い、こちらも少年のようだ、と瀧本は思った。
「瀧本」
「ぼくはエイジといいます」
 暗闇の向こうにいる少年はエイジと名乗った。本名なのだろうか。だが、そんなことはどうだっていい。ただ、相手が何者なのか、何が目的なのか、それが問題だった。函南に関連している人物なのだろうか?
「クラゲさんはそこにもいないです?」
「クラゲさん?」
「そうです、クラゲさんです」
「誰のことだ?」
「クラゲさんはクラゲさんです」
 誰かのあだ名だろうか。クラゲと聞いても、思い当たる人は誰もいない。
「エイジさん」とスピカと名乗る少年が呼びかけた。「僕はスピカです。エイジさん、クラゲさんに会いたいですか?」
「スピカさん」とエイジが繰り返す。「あいたいです」
「僕ならクラゲさんに会わせることができますよ。クラゲさんのところに連れていきましょうか」
「クラゲさんにあえるんですか?」扉の闇の奥から弾んだ声が聞こえてくる。「ほんと?」
「何をするつもり?」瀧本がスピカと名乗る少年に訊く。
「いえ、『繋ぐ』だけですよ」スピカと名乗る少年は淡々と言う。「瀧本先生や、川嶋さんにしたのと同じことです。ただ意識の海に『繋ぐ』。彼もネットワークの一部に加えるだけです」

(つづく)


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