好き嫌いと善悪はイコールにして裁いても幸せからは遠ざかる

気に入らない物を悪として【正義感と錯覚して相手を叩いて回る】事が平時でもそうでなくても起こる上にそういう輩によって酷い目に遭わされた結果正義が嫌いになった人間なんて老若男女問わずに考えたらきっと私が思っているより多いかもしれない

気に入らない人間のやってる事が気に入らずイチャモンの付け入る隙をたまたま見つけた為に「こいつは悪いヤツだから叩こう」と言う不条理を味わった経験がオーソドックスな物だろうか、何度も体験して溜まるか。

無理解な外野は外野で「嫌われるような事をするお前が悪い」と更に追い打ちを掛けて運の悪かった人間は居場所をジワジワと剥奪されていくのである、ただ少し【気に食わないから】と言う理由で。

そうなってくると「正規の方法なんてアイツらが自分の都合で好きに変えてくるし、わざわざ行儀良くルールを守って抵抗するのも馬鹿らしい」と言う考えにいずれ行き着いて、犯罪行為だろうがその後の罰則も有ろうがお構い無しの仕返しすら辞さなくなる場合もある。

何故そう言いきれるのかと言うと「実際私がいっそうなってもおかしくない」と日々実感している上に恥ずかしながら幼少期に不幸にもクラスの中心女子にイチャモンをつけられて、恨みが晴れずに仕返しに彼女の顔に青アザをつけさせようとした時の心情が大人になった今でも鮮烈に残っているのだ。

「どうせ何をしようが私が悪いと言われるくらいなら、いっその事何でもしよう。同じ罰を受けるくらいなら酷い目に合わせてから受けた方が気分が良い」

と言う大人からすれば小さく見えるが当時の私には暗澹とした復讐心である事は未だに忘れようもない。

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