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シカを見て考えた私の傾向

先日、奈良の興福寺から春日大社に向けてぶらぶらしていました。
そういえばさだまさしさんの『まほろば』って歌は、♪春日山からぁ〜、飛火野あたりぃ〜♪って始まるけど、
春日大社にお参りしてふもとに帰ってくる道すがらの歌ってことかーなんて思いながら歩いていたら、
そこここに鹿たちが、集団だったり単独だったりでうろうろしていました。
鹿せんべいを持っている人間たちに群がるヒトたちもいれば、遠巻きにしているヒトたち、
メーメーって鳴いちゃっているヒトもいれば、ただただだら〜って座っているヒトたち、と、
みんな違ってみんないいって感じだったのですが、
どうしても気になるのは、道路の付近で渡ろうかどうしようか、なんて雰囲気で立っているヒトたちです。
鹿たちはこれだけ長いあいだ奈良で人間と共存しているのに、信号の青とか赤はまだ分かっていないヒトが多いみたいで(分かっているヒトもいるに違いないけど)、
信号が青になって人間が渡り出したら、一緒に渡りだすヒトもいるけれども、渡らずに道路わきでうろうろしているうちに、また信号が赤になって車が走り出す、というヒトもいて、
気いつけなあかんでーってシカのヒトに心の声をかけながら、私は先をゆくのですが、
あのこ無事に渡れたやろか、と、いつまでも気になってしまうので、ダメなんですよね。

で、そんな鹿たちを見ていると、私が奈良の鹿だったら毎日どうやって過ごすやろって思ってしまいます。
観光客が一番多い大仏殿のあたりで鹿せんべいを持っている人間を求めて歩くのか、
そこよりは、若干人間少なめの興福寺あたりでゆっくりするのか、
飛火野あたりの広場で鹿たちと過ごすのか、若草山でのんびり草をはむのか。
個人的には、道路が怖いのであまりふもとには出てきたくないのですが、
たまには鹿せんべいを食べたい気分になるかもしれないので、
山からあまり出ることなく、春日大社の本殿に近いところで、山の斜面でうろうろしながら、たまに灯籠のと灯籠の隙間から顔をひょこっと出して、人間に写真を撮らせてあげてうまいこといくとおせんべいをもらう、という毎日がいいかもしれないな。
次回、鹿に生まれ変わったら。生まれる時は安全重視で、なるべく鹿園での出産をお願いしたいかな。

ついでに、ですが、
映画の『タイタニック』を観るときもいつも考えてしまいます。
私が乗客やったらどこで死んでしまうやろ、と。
おそらく、私は最初の衝撃ですぐに避難しなくちゃ! と思うタイプではなさそうなので、
周囲を見渡したり、しっかりした同行者に早く! とか言われてやっと動き出して、甲板に出たらもうどえらいパニックになって、わーどうしよう〜と思っていたら、
楽団の人たちが逃げることなく、演奏を始めるのを聴いて、感動しつつもどうしようどうしようと慌ててるうちに船が傾いて、たまたま手すりに捕まることができて、必死で手すりに体ごとつかまって落ちないようにしているうちに、船の傾きがだんだんひどくなってきて、
ほぼ垂直になったときに近くで手すりにつかまっていた人が、わーって落ちていって、それを目撃したショックと風圧に押されて、冷たい海に向かって真っ逆さまのパターンやろな、と。
生き残る側の生き残り方は、今のところは想像できていません。

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