生活は環境で決まる、逆も然り。

自宅のインターネット環境がポケットWi-Fiになってから、データ容量を気にしなくてはならないため、いつしか映画を見る機会が減っていた。

データ容量そっちのけで久々に映画を何作か見た。ハリウッドを中心に様々な海外映画を見ることが、留学生活における語学学習のモチベーション維持に繋がっていたことを思い出した。

環境が変わると、習慣も同時に変化することに非常に驚いた。確かに、自宅にいるとき、帰省したとき、留学していたとき、どれも同じ生活という枠組みにあるはずなのに、同類のものとは思えないほど中身の性質が異なる。良し悪しというような一義的に決まるものではない。それぞれにそれぞれの長所と短所がある。

反対に、環境は生活で決まるとも思う。最近、何か気分に靄がかかっていると思ったら、部屋が汚かった。このときの生活は何かと退廃的なものを好み、丁寧さからは一歩引かれたようなものだった。掃除をしたら、気分が晴れ晴れとしてまた頑張れるような気がした。

こういった一定の関係性を、人はよく関数に例えるが、僕は方程式ではないかなと考えている。言い換えると、生活に関わる事柄は、ある要因が他方を絶対的に決める単純なものではなく、その時々でどちらかの要因が支配的になっていくものと考える方が良さそうだ。

さらには適切な領域があり、各方面に閾値が存在し、その中に方程式の各点が入るような絶妙な塩梅で保つことが「良い生活」という漠然な言葉に詰められているのかもしれない。

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