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祖父の記憶

祖父。じいさん。おじいさん。じじい。

二人の祖父は、
私が生まれた時には既に故人であった。

おじいちゃん。
接点があればそう呼んだのだろう。

二人とも写真でしか見たことがなく、
ひととなりも断片的にしか知らない。

結婚して。

その時点で義祖父の一人は故人。
もう一人は健在だった。

挨拶に伺って、義理は付くが、
生まれて初めて祖父と会うことになった。


途上、予備知識を伝えられた。

どうも痴呆が始まっているらしい。
同じことを繰り返しても流すように。

確かに、同じことを何度か言われた。

しかしそれは、痴呆もあるかもしれないが、
大切なことだから繰り返されたと感じた。

赤の他人が一緒に暮らすのだから、
いろいろと喧嘩することもあるだろう。

その時は、
どっちかが我慢しなきゃ駄目だよ。

我慢する側が多かったのかな。
なんて茶化せる雰囲気でもなかった。

この簡潔で直球な教えは、
いまでもしっかりと息づいている。

相方もそうだとありがたいが、ともかく。

これは未だにうまく実践できていない。
まだまだ修行が足りない。


数年後、訃報が届いた。

私の四人の祖父に関する経験は、
この短い挨拶のみとなった。

が、とてもとても大切なものを授かった。
私は幸運だ。


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