見出し画像

何もない金曜日

金曜日は定時に上がれたことがない。こういう切り出し方は何となくニュアンスが違う。決して上司に残業を命じられたり、無言の帰りにくい雰囲気が職場に漂っているわけではない。仕事の出来る社員は、定時までに仕事の段取りをつけて速やかに帰っている。ただ来週の月曜日、来たるその日の自身のために、金曜日のちょうど定時に退社することを勿体無く思ってしまうのだ。今少しだけ頑張れば、月曜日は仕事の舵取りが上手くいくだろう、そう思って体が動いてしまう。

来週の月曜日、仕事のスタートをスムーズに運ぶために、金曜日少し頑張っておく。その程度の残業が理想的だ。金曜日に残業した分だけ月曜日が感動的にスムーズかと言えば、未だそう感じたことも実は無い。逆説的に考えてみて、月曜日の仕事がこの程度のドタバタで終えられたのは、金曜日にある程度頑張っておいたからだろう、とポジティブに考えて前に進むことは出来ている。

金曜日の話に戻ると、会社から出る瞬間は自由さと解放感に包まれる。すぐに家へ帰ろうと、どこかに寄り道をしてから帰宅しようと、それは自由なのだ。今夜自由に過ごし、明日の朝早く起きれなくても誰にも迷惑をかけない。自由に過ごせる日、誰かと会う約束をすることは少ない。残業かもしれないので、人と約束はしたくない。一人で自由に過ごすのだ。コロナ禍であるから、いや、もしそうでなくても、一人で過ごすのだ。誰かから金曜日の予定を聞かれたらと、「待つ気持ち」も頭の片隅にとって置いてある。忘れてはいけない気がする気持ちだ。今のところこの心の準備は、準備のままだ。人気がない。

自由な金曜の夜、定期券圏内の寄り道。途中下車して少し歩くのは良い気分転換になる。お茶をしたい、美味しいディナーをいただきたい、買い物をしたい。そして足を運ぶ先は全てが揃う街。街に着くと、急に脚が迷ってしまう。入ってみたいお店の前まで行ってみるのだが買い物はせず、ディナーは躊躇し、通い慣れたカフェへと向かう。カフェの前にに着いても、少しの間周辺をふらつきながら考える。やはりディナーにするか、お茶程度にしておくのか。何か買いたいものは他にないかと自問自答する。買いたいものはあるには有るが、それを購入すれば、生活が追い込まれる。真の追い込みグループ
メンバーは、時にこの自問自答の末に買い物をする。しかし大方回避している。回避した日はカフェに腰を落ち着かせて、お茶の時間をゆっくり愉しむのだ。お昼休憩のように時間制限も無く、待ち合わせの調節の様に忙しない訳でもない。自由に時間を消化できるお茶の愉しみは、金曜日だからこそである。安心感がある。何でも揃う街のカフェには、色んな人が居て、聞く気が無くても会話が耳に届くものだ。お仕事の愚痴の席、夜の街に繰り出す前の浮かれた席、ビジネス勧誘の席、都会に住まう老夫婦の席、趣味の会のグループ席、そして一人でお茶をする人の席。一度にこんなに集まることはないけれど、週替わりで入れ替わるように、こうした人々と空間共有をすることがある。小一時間お茶を満喫したら、風紀の良いこのカフェは早めに閉店時間を迎えるのだ。

帰り道、セブンイレブンに寄ってお菓子とホットコーヒーかアイスコーヒーを買って、まいばすけっとに寄ってお惣菜を買って、マツキヨに寄ってファブリーズを買う。

平和な金曜日だ。

いつもより1時間遅いだけの帰宅だ。窓を開けて、空気洗浄機のスイッチを押して、換気扇も回して、晩御飯の準備をする。そしていつもより1時間後ろに倒れた金曜日の夜が、あっという間に過ぎていく。物語が半分ほど進んだ金曜ロードショーの映画を途中から観たりして、気がつけば食事を終えた食器がカピカピに乾いていて、眠ってしまっていたことに気づく。1週間の疲れはこんなにも素直に顔を出すのものかと思う。食器を片付けて、お風呂に入って寝ようとするが、また次に気がつくのは土曜日の朝5時半なのだ。

何もない金曜日なのだが、他の曜日には無い過ごし方なのだ。

この記事が参加している募集

#週末プロジェクト

4,762件

#多様性を考える

27,987件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?