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生活の近況、春。

春、到来。

新年度、色々なことが始まる時期ですね。
物言わぬ桜にすら祝福の空気を見出してしまうほど、世間全体が舞い上がっています。

新社会人や新大学生、環境の変化に胸を踊らせたり心を疲れさせたり、何かと忙しく大変な時期でもありますね…。

そんな中僕はと言えば、受験に失敗してさらに一年間、モラトリアムのぬるま湯に浸かることが決まりました。今日も今日とて旧態依然、変化の節目の中で変わらぬ日々を過ごしています。

昨年は地元の予備校が合わず爆速で行かなくなってしまったので、今年こそはと通信式の塾を選び、最近またちょこちょこ勉強に取り組んでいっております。

あんまり褒められた状態でないことは確かなんですが、考えようによっては貴重な猶予時間。
なってしまったものは仕方ないので、精神を病まない程度に健全で、心を殺さない程度に不健全な生活を送っています。

差し当たり、先行きを決める出来事として一番大きなことはそれなんですけど、個人的に同じくらい大きな出来事もありました。


・ギターを始めた

去年からず~~~~っとやりたいと思っていた、念願のギターを、ついに始めました。

Ibanez AM93QM-AYS

ストラトでもテレキャスでもなく、最初は絶対にサンバーストのセミアコ、これは決めてました。

小山田壮平がGibsonのCS-336なので、完全にそこの影響を受けてます。同じセミアコでも一回り大きい335と同サイズのものは多いんですけど、336がマイナー寄りなのもあって同じようなものがあまりなく…かなり色々探し回り……。

シェイプ的には336と同じなEpiphoneのES-339と最後まで迷い、結局杢目の華やかが優勝していたため、多少値は張りましたがIbanezのセミアコを買いました。

近場の楽器屋さんとの縁もあり、とても良い形で選べたのでそれもよかったです。同じ機種を取り寄せてもらってふたつで選定させてもらったんですけど、色味も杢目も全然違ったのでやっぱり実物をしっかり見て買うの大事だなって思いました。

336のものとは違うけど、キルトメイプルの杢目が綺麗でかっこいい

明らかに左手の指先がボロボロになっていってます。皮も厚くなったし、お風呂上がりは大抵皮が剥がれてしわくちゃに。

ギター、楽しい。あと音楽の聴き方も変わる。未だに簡単なコード弾きくらいしかできないけど。のんびりと長く続けていきたいですね。

・小山田壮平のライブ

小山田壮平バンドツアー2024に行く予定が、少し先に控えています。この話noteに書いたか覚えてないんですけど、現状人生で一番好きなアーティストの、人生で初めてのライブが当選したのでめちゃくちゃ楽しみ。ライブハウスとか行った事無いんだけど大丈夫かな…。

多分、またライブ後にちょっとしたレポみたいなものもnoteに載せると思います。どこかに感情を吐露せずにいられる気がしないので…。

・最近聴いてる音楽

音楽で言うと、最近はフジファブリック、くるり、踊ってばかりの国、毛皮のマリーズ/ドレスコーズ、eastern youth、bloodthirsty butchersなどなど。色々聴いてます。

フジファブリックは大分前からやんわり聴いてたんですけど、本格的にアルバム聴きし始めたり色々漁っています。中学生の時に家庭教師をしていた先生に勧めてもらったのが初見だったりするんですけど、何が繋がるか分かりませんね。

くるりは、上海蟹だけ知ってて、小山田壮平のツイートで「ロックンロール」を聴いて、そこから少しずつ広げていって色々聴いてる感じです。

最近と言いつつ、この2アーティストは本格的に聴き始めてから結構時間経ってるけど…。有名すぎて最早語ることもあんまりないかも。

フジファブリックやくるりを聴いてる人と積極的に友達になりたいなぁ、という気持ちがあるのは僕だけでしょうか。

なんかこう、両者とも楽曲全体になんとなく素朴であたたかい雰囲気がある気がしています。と思ったら、たまにちょっとおちゃらけてたり。その感じがすごく心地よくて好きです。



踊ってばかりの国、このライブ映像が不思議な魔力と神秘性みたいなものが同居してて素敵です。
結構な曲がサブスク対応してなくて悲しい。あとボーカル下津光史のビジュアル変遷が激しすぎてすごい。


(印象が違いすぎる)




毛皮のマリーズ/ドレスコーズ…というかほぼ志磨遼平についてなんですけど、また色々系統の違うタイプのアーティストって感じでかなり衝撃を受けました。もはやパフォーマーというか……楽曲も魅せ方も、様々な色になれる感じで。

とはいってもそんなにたくさん聴けてる訳じゃないんですけど、「ビューティフル」「ゴッホ」あたりが好きです。

お金じゃないとか言うな
お金って愛の数値化だ
C28のM73 Y18でKが14!

『ゴッホ』 -ドレスコーズ

ここの歌詞、絵描いてたお陰もあってCMYKにメチャクチャピンと来て結構嬉しかったです。すごい表現力してる。

ドレスコーズは、1時間超えのライブ映像をフルでYoutube公開しまくってるのも凄いと思った。“Don't Trust Ryohei Shima” TOURのゴッホが音源版とは違った雰囲気でかなり好き。

その次の「愛に気をつけてね」は、恐らく志磨遼平の一番有名なライブ映像。メチャクチャパフォーマーしてるのでこっちも必見です。



eastern youthとbloodthirsty buchersは、ナンバーガールのラストライブのMCで名前だけ認識してたのを、Youtubeで流れてきたライブ映像からちゃんと聴きました。なんとも言えない熱と哀愁が渋くて良い。



ギターを始めた事で洋楽方面もカバーしなければ…みたいな謎の使命感に駆られて、色んなギタリストやバンドを調べたりも。ツェッペリンとかレッチリとかジミヘンとか、そこらへんの割とクラシカルなロックを掘ろうとしてました。

直近だとRadioheadが気になって、立ち寄ったレコードショップでCDを買ったりしました。(全然クラシカルじゃない)

あとOasisとかも。高校時代に洋楽の入口になったアーティストで、Don't look back in angerとかギャラガー兄弟の掛け合いが好きだったんですけど、他を全然ちゃんと聴いてなかったので…。

やっぱりそもそもの好みが、ギタリストというよりかは現状シンガー志向な感じがあるので、ギタリスト深堀りはあんまり上手くいってないです。ジェフ・ベックとかジョン・フルシアンテとか、すごいな~とは思うんですけど。

まぁその時々に惹かれるものに惹かれるがままでいいか、という感じで落ち着いてます。

あと最近、3周くらい回ってRADWIMPSを聴くことが増えました。公式で「なんちって」とか「ハイパーベンチレイション」のライブ映像が公開されて、懐かしくて古めの楽曲を漁ったり。

色々好きな曲はあるんですけど、前前前世でRADWIMPSをちゃんと認識した僕にRADらしさみたいなものを教えてくれた「ヒキコモリロリン」あたりはかなり思い入れがあります。

というか野田洋次郎、高校生からRADやってる事知ってたまげた…。


あとは、「ベンガルトラとウィスキー」の着想元になったっていう吉田拓郎の「ペニーレインでバーボン」という曲を聴いたりもしました。

(思い立った時に都度文章を書いているせいで、無秩序に話題が連結していきます)

1974年に「ペニーレインでバーボン」がリリースされ、

1984年生まれの小山田壮平がそれを聴いて着想を得て、

2004年生まれの自分が、

2014年に解散したバンドの曲として、

2024年に「ベンガルトラとウィスキー」を聴いている。

小山田壮平と生まれた年がちょうど20年違うのはずっと感じてたんですけど、こう見ると実に50年間の時の流れの中で、なにか因果なものを感じますね。

なんなら「ペニーレインでバーボン」がリリースされた1974年は、僕の父親の生まれ年でもあります。さらに言えば、僕の誕生日は小山田壮平と1日違いだったりします。

自分、ここまで来たらきっかり20年後の生まれであれよと思いますが、小山田壮平誕生20周年の座は鈴木福くん(2004年6月17日生)に譲るとしましょう。


・春

ところで、今回の記事のバナー(?)に使っている写真は、田んぼの隅でひっそり佇む桜の木とお墓たちです。なんだか妙な趣を感じて思わず立ち止まって撮りました。

少し前にTwitter(現:X)にて、四季のうちいつで「死」を扱うかによって作家性が出る、みたいな話が流れてきました。その点で言うと、個人的に春ってとても「死」を感じる季節だったりするんですよね。言うまでもなく梶井基次郎の影響とかは多分にあると思うんですが…。

この春、鳥山明さんや、元・ゆらゆら帝国の亀川千代さんが鬼籍に入られた事なんかも、ふと考えたりします。

樹の下に死体こそ埋まっていなくとも、桜というものが、どうにも儚いものに思えてならないからでしょうか。卒業式や入学式のシーズンに満開を迎えて、少し時間が経って雨でも降ればあっという間に散ってしまう。桜の散る時って、なんだか非日常から一気に引き戻される感じがします。

ひとつ桜から離れてみても、生命溢れる筈の春がなんだか妙にもの悲しく感じる時があります。

まぁ、ここ数日一気に気温が上がって虫の音も目立つようになってきましたが……早すぎる夏の足音……。

心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲模様

(正午の管楽よりもしげく
 琥珀のかけらがそそぐとき)

いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ

『春と修羅』 -宮沢賢治

宮沢賢治『春と修羅』。何かと引用される題材のためかなり有名な作品ですね。本当に本当に一部分だけの抜粋ですが、声に出して読みたい日本語って感じでとても好きな一節。

高校時代、暇な授業中に電子辞書で隠れて読んだりしていました。(よくない)正直、宮沢賢治の深遠な思想を隅まで理解することはとても叶いませんが、高校生だった僕が少し目を通すだけでも感じるものがあるくらいです。

晴れやかな春の空の下で散歩していると、かえって感傷的になったりしますよね。みんな刹那的で不可逆的な、大きな流れの中で生きているのかなぁなんて考えたり。

くるくると踊るように、翻弄されるがまま、流れに身を任せるのも一興かもしれません。

以上、今回の書き散らしでした。



それでは、またいずれ。


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