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神様ごっこ

平成初期の小さな街で子供たちの間で密かに流行っていた「神さまごっこ」は、私たちにとって無邪気な遊びだった。しかし、その裏にはきっと古い土着信仰と、街を守る神秘な儀式としての影が潜んでいたのだろう。

遊びのルールはとても単純だった。神社の境内に隠された「神の印」を見つけること。印を見つけた者は、その日の「神さま」となり、他の子供たちから願いごとを聞き受ける役目を担った。そしてもし一つでも願い事を叶えることができた「神さま」には何か良いことが訪れるという言い伝えがある。

ある夏の日、私たちは神社の裏手にある忘れられた祠で「神の印」を見つけた。それは古びた小さな風鈴で、風に揺れるたびに不気味な音を立てていた。最初に見つけた私がその日の神さまとなり、友人たちは私にさまざまな願いごとをすることになった。いつもどの願い事も到底叶えられないようなものばかりであるのは分かりきっていたが、皆からの願い事を聞く立場になるというのは悪くない気分だった。

願い事を聞くために、私は風鈴を持ち、皆が囲む円陣の中心に座った。皆が手を繋ぎ合わせた途端、突然、強い風が吹き荒れ、風鈴が激しく鳴り響き始めた。その音は夏に聞く風情のあるものではなく、徐々に高く、尖ったものとなり、私たちの周りで何かがうごめく気配がした。

風が収まったとき、恐ろしい光景を目にした。神社の境内に古い時代の衣装を着た人々の幻影が現れ、静かに私たちを見つめていた。私にだけ見えているわけではないようで、皆も一様に身動きが取れず固まっていた。

子供ながらに何か良くないことをしてしまったのかと悟った私たちは、悲鳴交じりに声をあげながら散り散りに走り出した。その後はどうやって家に帰ったかも記憶になく、当然のことながら親にもあの出来事を話すことはできなかった。

翌日、私たちが神社に戻ると、その場に放り投げた風鈴は消えており、代わりに古いお札のような木片が残されていた。そこに辛うじて読めるくらいの古めかしい文字で警告のような言葉が刻まれていた。「呼び覚ますな」。

「神さまごっこ」はその後、私たちの間で急速に流行が終わった。遊びだと思っていたものはきっと禁じられていた何かだったのだろう。超常的な現象を目の当たりにした私たちは、その後口にすること自体が禁忌かのように話題にもせず、あの神社に近づくこともなくなった。その夏の日から、私たちはきっと見えない何かを畏れ、軽々しく神を騙るような真似はしないと心に決めた。

今にして思えば警告をしてくれただけ、あの時の幻影は心優しかったのだろう。神という存在を信じられない人もいるだろうが、いたずらに何かを冒涜するような真似は身を滅ぼしかねないということは気に留めておいてよいだろう。

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