肉眼からの解放、記憶装置としての映像

私たちは普段、毎日の生活の中で思い出を積み重ねがら生きている。しかし、全ての情報を記憶しているのではなく肉眼を通して見たイメージを主観的に解釈して脳に記憶している。そしてこれまで数々の芸術作品(文学、絵画、写真など)が作家の表現媒体としてだけでなく人間の思い出を記憶する媒体としても機能してきた。なかでも、映像が革新的な技術の発展によって誕生した時、これまで以上に人間の記憶の保存に関して非常に大きな進歩をもたらしたのではないだろうか。映像の原理が発見される以前の人々は正確にイメージを保存することは困難であっただろう。19世紀になると写真や残像現象に関する研究が行われ、動きを伴う幻影を鑑賞する装置がいくつも発明されるようになる。そしてリュミエール兄弟のシネマトグラフによって家業の写真工場を撮影した『工場の出口』などの短編映像が撮影され、一部の限られた会衆が今と同じように映像を鑑賞した。こうして私たちは脳だけでは記憶しきれない膨大な視覚的情報を「映像」によって記憶することが可能になった。しかし、レンズを通して目の前の風景をそのままフィルムに焼き付けて多くの情報を私たちにもたらしてくれる映像は、過ぎた時間を遡って記録することはできない。その悩ましい課題を解決してくれるのがアニメーションである。

 映像の原理を活用した玩具が多く発明された19世紀ごろ、フランス人で教師であったシャルル・エミール・レイノー(Charles-Émile Reynaud 、1844 - 1918)はスリットを覗くと絵が動いて見えるゾーイトロープを改良し、1876年にプラクシノスコープというアニメーション装置を開発した。この装置はキャラクターの描かれた絵や背景用の長い挿絵を手動で巻き取りながら、集光レンズと鏡を利用してスクリーンに映写をする装置で、映画以前に動く絵を投影して大人数で見ることができる娯楽として多くの人たちの間で楽しまれた。アニメーションは1コマ、1コマ動きの異なる絵を24枚描くことで1秒の映像が完成する。実写ではないイメージを視覚化したイリュージョン的な映像を見て当時の鑑賞者は驚いたに違いない。このように実際には見ることの出来ないイメージを視覚化する機能をアニメーションは有していたのである。そんな魔法のような作品の末裔として挙げたいのがオランダのアニメーション監督マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット(Michaël Dudok de Wit、1953年 -)が制作した『岸辺のふたり』である。幼い時に父と生き別れた女性が成長し老人になるまでを丁寧に描いた8分のシンプルなストーリーだ。本作は全てフルカラーで描かれるセル画のような日本の商業アニメとは異なり白い画面にたっぷりとした余白を生かしながら、手書きの筆致が残る焦げ茶色の線で人物と風景が描かれている。影の濃淡によって奥行きを表現した哀愁のある詩的で幻想的な映像には感嘆する。カメラワークはロングショットを多用し、綿密に考えられた構図と音楽によってキャラクターの心情を表現する美しいアニメーションである。本作がオランダ人の監督によって作られた背景には理由がある。第二次大戦中にドイツに侵略されたオランダ。イギリスに亡命した女王の元で祖国のために戦おうと多くの兵士が小船で海を渡ったという歴史があるのだそうだ。この時、数十万人が海を渡ったと言われているがほとんどの人は帰ってこなかったという。オランダの人々にとっては、かつての辛い記憶が刻まれている映画なのである。記録では写りえない伝承や人間の内面を視覚化するにはアニメーションは非常に優れた機能を発揮するのではないだろうか。

 私たちは物事を記憶する際、視覚、聴覚、触覚などから得た情報を脳に蓄積している。しかし、視覚的な記録がない場合には記憶を頼りに思い出を掘り起こしていくしか無かった。つまり、「映像」の出現によって私たちは肉眼では捉えきれない情報を視覚的に記録することができる記憶装置を手に入れたのである。


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