日本の工芸文化

造形意識の芽生え《火焔型土器》
■『縄文土器』〜世界最古の焼物〜
 土器とは粘土を野焼きして焼き上げる容器である。日本の縄文土器の出現は諸説あるが、約1万2000年前頃ではないかとされ世界最古の土器だと考えられている。縄文土器は時代の流行や地域の好みによってヴァリエーションが豊富にあり、様式の変遷を目安にして草創期,早期,前期,中期,後期,晩期の6期が編年されている。土器の意匠に独創性が発揮され始めるのは前期である。器の上端部分が波打つような形は早期からあるが、前期では精巧な文様のついた突起物のある土器へと発展する。フォルムは前期中頃までは煮沸用の深鉢が唯一の基本となるが,前期後半から浅鉢などの形式が加わり,さらに中期以降,実用性よりも今日において芸術的な表現に感じられる土器が様々に生み出された。中でも複雑な粘土を土器表面に貼り付けて意匠を凝らしたのが、新潟県馬高式の『火焔型土器』である。用途は定かではないものの、縄文人の日常生活から切り離された祭祀用の土器ではないとされている。中期は力強い呪術的な表象をつけた縄文土器は縄文人の間で多く普及していたが、晩期には土器表面の飾りは控えめになり、隆起線文が減って平面的な土器になる。器形も祭祀のための精製品と日用製品との使い分けが始まり、注口土器,皿,壺など器種が豊富になった。入念に磨き上げられた器に刻まれた工事文文様は弥生時代に流水文となって受け継がれていく。

古代の工芸 《三彩鉢》
■『奈良三彩』〜日本の施釉陶器の夜明け〜
 日本の陶器は土を低温で焼く製法で作られた「土師器」や古墳時代に大陸から伝わった製法によって「須恵器」などが作られ、豪華な意匠が発展していった。土師器は古墳時代から平安時代にかけてつくられた赤褐色素焼の土器で装飾的文様がほとんどつけられていないのが特徴。器形はまり、坏、高坏、坩、甕 、甑 、盤 などがある。須恵器は窯を用いて土器を固く焼きしめる製法によって青黒色で硬質な土器に仕上がるのが特徴である。器形には壺,かめ,椀,杯,高坏,器台などがある。特別なものには,大きな高坏に小さな高坏を取り付けたものや,人物像を取り付けたもの,鳥形や家形のものがあり古墳の副葬品や儀式用に用いられていた。
 奈良時代には大陸から伝わった「唐三彩」をまねて日本で焼かれた「奈良三彩」が作られた。正倉院には57点が残っている。調査によると、寺院の儀式、国家や貴族の祭祀、墓の副葬品として使われていたと考えられている。器形は須恵器などと共通した壺、鉢、瓶、皿などがある。
 奈良三彩は緑,褐,白色の釉 (うわぐすり) を用いて800度程度の低い火度で焼いた軟質の陶器である。世界的に陶器は出土品がほとんどであるが、『三彩鉢』は伝世品として残されている最古の陶器として貴重である。また、素焼きに釉薬をかけて制作する陶器の日本の先駆けとしても価値の高いものであり、日本施釉陶器の転換の起点となる重要な作品であろう。

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