アニメーションの可能性

 本稿ではアニメーションにおいての「一回性」を提起したい。そもそもアニメーションとは、動かない対象を動かし命を宿らせるという意味の言葉である。私たちの視覚は1秒間に24コマの絵を連続で投影されると絵が動いて見えるようになる。この原理はアニメーションだけでなく全ての映像において共通で実写はカメラを用いてレンズ越しに動いている対象ないし現象を撮影していくことで映像を作り出す。

 しかし、アニメーションによって映像を制作することは容易なことではない。草創期のアニメーションは1コマ1コマ動く対象を描いていた。こうした手作業によって生み出されたアニメーションは不思議な魅力を視聴者に与える。神は細部に宿るという言葉の通り、コマを描くという時間の要する作業が積み重なり、そこに魂が宿るような感覚であろうか。こうした独自の制作技術によって作られた作品は、私たちに特別な体験をさせてくれる機能を有しているのではないだろうか。

 例えばマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィッド の「岸辺のふたり」は父と娘を主人公に物語が展開する短編アニメーションである。セピア色の世界で、手書きの筆致を残した繊細な線でキャラクターの動きが丁寧に描かれている。小舟に乗って旅立った父の帰りを待ち続けるひとりの女性の人生を自転車の車輪と重ね合わせる演出は見事である。

 本作がオランダ人の監督によって作られた背景には理由がある。かつて第二次大戦中にドイツに侵略されたオランダはイギリスに亡命した女王の元で祖国のために戦おうと多くの兵士が小船で海を渡ったという歴史があるのだそうだ。この時、数十万人が海を渡ったと言われているがほとんどの人は帰ってこなかったという。オランダの人々にとっては、かつての辛い記憶が刻まれている映画なのである。このように、実写では写りえない伝承や人間の内面を視覚化するにはアニメーションは非常に優れた機能を発揮するのではないだろうか。

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