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心と向き合うアンガーマネジメント ワーク②

 デイケアのプログラムでアンガーマネジメントを習いました。今回は2回目です。

 画像はあえて使い回しです。そのほうがわかりやすいかなと思いました。

前回のおさらい

怒りとは
・一次感情(本音)の表面を覆う二次感情のひとつ。
・理想と現実のギャップが大きければ大きいほど怒りも大きくなる。

怒りのタイプ診断
アンガーマネジメントの意味とは?怒りのタイプ診断とイライラ解消法

 アンガーマネジメントというと、怒りに限定していますが、実際は他の感情にも応用可能です。

 怒りは感情のひとつです。つまり、アンガーマネジメントは心をコントロールする一歩なんですよね、ということに後日気付きました。

 「私の怒りどころ」に記載しています。

衝動的な怒り

・怒りのピークは最初の6秒間
怒りは最初ほど強い。
意識を逸らしてピークをやり過ごす。

・やり過ごし方
方法① 怒りに点数をつける
過去に最も怒った出来事を10点とした場合、相対的に点数をつける方法。
方法② 少しだけ難しい計算をする
100から7を引いていったり、1000から123を引いていたりする方法。自分の難易度に合わせる必要がある。

 ともかく6秒間をやり過ごすことが主でした。たぶん、自分の感情を大事にしている人を前提としているのかもしれません。

 他にも、芸能人のIKKOさんをマネするとか、名曲のワンフレーズを熱唱する方法などがありました。

 私の場合、自分自身に関心が薄く、感情を疎かにしがちな傾向があります。

 そのため、感情がもっとも高まる最初の6秒間に向き合うことができなければ忘れます。

 断言します。そうやって、感情を爆発させたことが何度もありました。

 注意すべきは、最初のピークをやり過ごしたからといって生まれた感情がなくなるわけではないんですよね。

 だから、最初のピークをコントロールしても、ちゃんと感情と向き合って消化しなければ、怒りの衝動を後ろ回しにしただけになっちゃうんです。

 先日、ラーメンが食べたくなったんですけど、なかったので代わりに焼きそばを食べたんです。でも、後日またラーメンを食べたくなっちゃいました。

 ちなみに、これは怒りだけに限った話ではありません。喜びも、悲しみも、どんな感情であれ最初が一番心が動くんです。

 後から振り返ったとき、何で自分があんなに喜んでいたのかわからない、なんてことあったりします。

 他にも、物欲は感情と密接しているので、「欲しい」という気持ちが一番強いのは最初です。

 無駄遣いに対するアドバイスに、本当に欲しいかどうか一晩考えてから買おういうものがあります。怒りと同じ原理なんですよ。

感情はその場で向き合う

 私はなるべく、感情が生まれた瞬間に処理するように心がけています。つまり、ピークの6秒間に怒りと向き合って消化です。

 私の場合、ピーク時に目を逸らすと重要度が薄まってしまいます。

 重要ではないと判断され、忘れられ、生まれた感情が宙ぶらりんになり……と悪循環へハマります。

 また経験上、積年の感情は処理が難しい傾向があります。そのため、できる限り早く消化してしまうのがオススメなんです。

 私の場合は、だいたい1分くらいでしょうか。本音を聞いて労り、次以降の改善策を考えるまですることもあります。

 たとえば、歩きスマホをする人とぶつかりそうになったとします。ぶつかりそうになったということは、相手だけでなく私も不注意だったのでしょう。

 余所見による不注意だったら、罪悪感を消すための怒りかもしれません。急ぐことによる不注意なら、心の焦りによる八つ当たりかもしれません。

 とりあえず、まずは自分の心の声を肯定的に聞きます。いいわけばかり並べ立てるかもしれません。途中反論したくなるかもしれません。

 それでも聞き役に徹します。すると、ある瞬間に心が満足して後ろ向きから立ち直ります。

 その上で、さらに励ましてあげると前向きになります。

 最後に、改善案を考えれば同じことで怒りを感じることが減ります。

 無くならないのは、私が定期的に忘れる人間だからですね。ちゃんと覚えていたら未然に防げますが、忘れちゃうと繰り返したりします。

 注意点は同調と否定をしないということです。同調すると感情が強くなるからです。否定すると心が自分を敵だと認識します。

 そもそも心が望んでいるのは、傷ついている自分への労りです。

 だから私は、悪い自分も受け入れて、かけてほしいと思う言葉をまず誰よりも先に私自身が言うようにしています。

 実は、自分で自分を労ることができるようになると自己受容感が高まるんですよ。理由は、自分を大切にすることに繋がるからです。

 自己否定感が強い人は、そもそも自分で自分を痛めつけてしまうので、その度に自分への信頼度が落ちていきます。

 人は自分を攻撃するのが、たとえ自分自身であったとしても攻撃した時点で敵とみなします。

 だからこそ、自分を労り、誰よりも自分自身が味方になってあげることで信頼度が上がっていくんですよね。

常日頃から自分と距離を置く

 とはいえ、感情と向き合うということと、感情の衝動をコントロールすることは別の話だったりします。

 消化するまで感情は消えません。感情と向き合おうとして、感情の衝動性に流されてしまっては本末転倒です。

 とくに怒りは攻撃的な感情なので、自分や周囲を傷つけてしまう危険性があります。

 特に注意が必要な感情なんです。だからアンガーマネジメントなんてあるんですよね。

 そもそもの話、人間はなぜ感情の衝動性に流されやすいのかというと、普段から感情との距離が近すぎるからなんです。

 感情を川にたとえましょう。川の中にどっぷり浸かって、流されないようにしてくださいと言われても難しいと思いませんか?

 逆に川の外なら、いくら水の流れが早くなっても安全です。ついでに選択肢も増えます。

 今の川は穏やかだから目一杯楽しめるとか、危険だから近づかないようにしようとか、自分が安全地帯にいるからこそできる判断ですよね。

 具体的には何をしているかというと、私はニュートラルに考えるようにしています。

 心理学にリフレーミングというものあるんですけど知っているでしょうか? コップに入った水をどう捉えるかというヤツです。

 「水が半分しかない」と見るのはネガティヴ思考なので、「水が半分もある」とポジティブに考えよう、なんて言われていたりします。

 ニュートラルは「水が半分ある」と捉えることですね。ネガティヴやポジティブなど、心の状態を取り除いて物事を見るんです。

 ただ、これだけだと感情を疎かににしてしまうので、「水が半分しかない」「水が半分もある」「水が半分ある」と私は三視点で捉えるように意識しています。

 これを人に話すと淡白でつまらなそうと言われますけど特にそういうことはありません。

 感情にどっぷり浸かりたいなら川の中に飛び込めばいいだけですから。

 感情との距離が自由自在になればなるほど、省コストでコントロール力が上がります。

 私はまだ道半ばなんですけど、衝動性そのものをなくすことができるので、別のことへ意識を逸らしてやり過ごす方法より楽ですね。

自分の外に自分を置く

 一般的な方法かどうかは知りませんが、自分の外に自分を置くと感情に流されにくくなります。

 ちょっと説明が難しいのですが、私は思春期のころに精神疾患のような状態だったことがあります。一言で表現すると狂っていました。

 当時、正気を失うくらいにボロボロだった私は、いつからか自分を見ている自分がいることに気づきました。

 なぜ心が自分を見ている自分を作るのかというと、何よりも自分自身から私を守るためなんですよね。

 これが他人からなら簡単なんです。物理的に離れたらいいんですから。でも、自分からだけは逃げられません。

 その代わりに、自分の外に置くというか、自分自身に壁を作るというか、自分から距離をおくとか、そうすることで自分自身から守るんです。

 心の防衛本能なのかもしれません。それを知ってから私は、なるべくどんな時でもこのときの感覚を意識しています。

 狂って良かったと思ったことはありませんが、経験はちゃんと活かします。でないと、辛い思いだけをしたことになっちゃいますから。

 たぶん、ビジネス書や心理学でいわれている「メタ認知」とか「自己洞察」という言葉が近いかもしれません。

 専門知識があるわけではないのでよくわからないんですけど、自分を見ている傍観者を作るような感覚です。

 世間ではあまり認知されていないようですが、そもそも感情は他者を傷つける前にまず自分自身を傷つけています。

 感情をコントロールすることは、人間関係を守る前に自分を守ることに繋がるんですよね。

怒りの正体を知る

・価値観とは
物事に対する個人の考え方。育った環境や築いた人間関係など、これまでの経験から「〇〇べき」という価値観が作られる。

・怒りの境界線
①自分と同じ安心
三重円の中心。同じ価値観を共有しているため怒りがない。
②少し違う許容可能
三重円の中心と外側の間。価値観と少しズレがあるためイラッとする。しかし許容範囲内。
③自分と違う許容できない
三重円の外側。価値観が全く合わず、強い怒りを感じてしまう。

・対処法
怒りの境界線の中心と外側の間にある②を広くすると良い。
① 自分の価値観を見直す
② 価値観の多様さを知る
③ 自分の価値観を伝える

怒りの境界線

 怒りの正体は、相手との間にある価値観のズレだそうです。こだわりとか、ルールと言い換えてもいいかもしれません。

 たとえのひとつに、エスカレーターがあったんですけど、地域によって右か左に統一されているらしいですね。

 私が育った沖縄ではそういうことなどなく、みんな好き勝手に右だの左だの真ん中だの、と乗っていました。

 急いでいるからと、エスカレーターを歩くことはできません。そもそもエスカレーターを歩く人が珍しかったりします。

 階段を上り下りするのが面倒だからエスカレーターに乗ったんでしょ? 何でわざわざ歩くの? という感じですね。

 エスカレーターを右か左に寄るのが当たり前なら、たしかにイライラする人がいるかもしれないなぁと思いました。

 私が重要だと思ったのは、自分の持っている価値観をきちんと理解しておくことでした。

 価値観の理解があやふやだと、自分がなんで怒っているのかわからないということになるからです。

 「非常識な人」と曖昧な言葉で怒っても、何に対して怒っているのかはわからないんですよね。

 わからないと対処のしようがありません。怒りの境界線②を広げようにも、何が許せて、何が許せないのかがわからないからです。

 自分の価値観を伝えようとしても、できないなんてことが起こったりします。

 たとえばコーヒーを注文するとします。ホット派ですか? アイス派ですか? 気分派ですか?

 自分がわからないと、相手に「コーヒー飲みたい」としか伝えられません。

 すると、相手もホットとアイス、どちらかわからないので自分の考えを優先してしまいます。そして後から自分が飲みたかったコーヒーじゃないとなったりするわけです。

 自分が気分派とわかっているなら、「今日は暑いからアイスコーヒーを飲みたい」と伝えられます。ホット択一なら、「ホットコーヒー」と言えます。

 でも、価値観であれ何であれ、自分を知るって難しいんですよね。

心は自分だけのもの

 私は、感情を個人の所有物として認識しています。他の方と話をして思ったんですけど、この考え方は一般的ではないのでしょうか。

 人は感じたことや思ったことを誰かと共有したくなる傾向があります。たとえば、悩みを人に話すと楽になるといわれています。

 感情を共有することは、自分の感情を肯定したり、他者に自分を受け入れてもらうなど、いろいろと良いことがあるんですよね。

 それゆえに、感情と他者との境界線が曖昧になっている人もいるようです。

 私が怒りを感じたんだから、みんなもそう思うでしょ? と自分を常識の真ん中に置いたり、どうして私の怒りを理解できないの? とさらに憤ったりしてしまったりです。

 でも、みんなが怒っているから、自分も怒っているわけではないんですよね。自分が許せないと思ったから怒っているんです。

 だから、その感情は自分だけのものであり、他者の感情は誰かのものであって、自分のものにはなりません。

 怒る出来事があったからといって必ず誰かと共有しなければいけないということもないです。

 誰かから怒りの共有を求められたとしても絶対に応じなければいけないという必要もありません。

 たとえ、他者から軽んじられたとしても、自分の怒りは自分が大切にしていれば十分です。

 という前提で、私は感情を捉えていると話したら、「そういう考え方もあるんだね」と言われました。

 この考えを持っておくと、コミュニケーションのハードルが下がるので、自分がコミュ障だと思っているにはオススメです。

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