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上がれ、私

4連休2日目。

ようやくのんびりできる休日を迎えたのに、どうしても気持ちが上がらない。
気を抜くと、色々なことが悲しく思えてきてしまう。
気分転換に友達とご飯を食べたかったのに、このタイミングで自粛要請。

顔を合わさずに、文字だけでのやりとりをすると、時に正しく気持ちが伝わらずに、余計に落ち込む事態も引き起こす。
ネガティブモードの時には要注意。

顔を見ながら、文字よりもたくさんの言葉で、今の気持ちを語れたならば、きっと、友達との会話のやりとりも、ほぼ間違わずに進むだろう。

でも、文字の向こうの友達の顔は見えないから。
相手は今、別の友達と楽しいおしゃべりに夢中かもしれない。
家族の相手で大わらわかもしれない。
とにかく、私ではない誰かと楽しい時間を過ごしている時かもしれない。
そんななかで、私が出すSOSは正しくキャッチしてもらえるか?
そもそも、このSOSは、会って顔を見て、30分でいいからリアルで会話ができれば、スッと昇華されていく「人恋しさ」という悩みがすべてなのかもしれない。大した事件があるわけではないのだ。
文字で書くと、本当に軽いのだけれど、この「人恋しさ」にはりつく「寂しさ」が、でも、本人としては、なかなかにつらくて、助けが欲しい・・・

単純に「誰かとしゃべっていなくて寂しいYO!」というレベルではない。

寂しくて、虚しくて、明るい望みが持てなくて。
平たく言うと、私、いる意味ある?になってしまう。
もちろん、正しく言うと、「当たり前じゃん!」なんだけど、それは、責任だったり、義務的なことであり。倫理であり。
私個人として、どう?と自問自答してしまうループに陥っている。

「お子さんがいるからいいじゃない」
よく言われる。
でも、そうじゃないんだよ。
「子ども」が「いる」だけで、解決できる人は、本当に幸せだと思う。
私もそういう人生がよかった。
「子ども」が「いない」ことで寂しい気持ちの人もいるのはわかっている。
でも、「子どもがいる」は万能ではない。

一番そばにいる誰かとうまくいかないからこそ、苦しんで、ふらふらと心がさまようことにもなるんだよね。

どこかに根を張りたい。受け入れられたい。
根が張れなくても、心を休ませる場所が欲しい。
誰かと空を見て、海を見て、花を見て、言葉少なでそれらを愛でたい。
月を見て、夏なのか、秋なのか、冬なのか、そういったことを誰かと感じたい。

恋人や夫だった人がそういうタイプだったら、きっと今頃私はもっと幸せな奥さん生活だったと思う。

でも、話そうとしたところで、「そういうの、俺はわからないから。」と先に壁を作られた。
いや、大げさに語られても嫌だけど、「きれいだね」とか、「そういう季節になったね」とか、ちょっと目を細めてそれらを見てくれるだけでいい。
でも、花畑を見た時に、「興味ないから」と言いながら、花も見ずに抱きしめられるというのは、私には寂しいことでしかなかった。
私は今、嬉しそうに「きれいだねぇ」って言いましたよね???
それに対してそうきます???
興味ないとしても、「ほんとだね」くらい、どうですか。
心が通わせられなかったな・・・

まぁ、これは異性が相手とした場合の話。
同性になると、子どもの話とか家族の話とか、とにかく結婚が分岐点となり、置かれた環境が違うから、共感を得るのはなかなか難しい。
不幸話合戦になるのも違う。お互いの話を、話している人の順番ごとにちゃんと聞こうよ。自分の話をぶっこんでいくのやめようよ。
大勢でやる飲み会の場なら、これはこれで盛り上がるし、大勢がいるそんな場で真剣に人生相談もできないから、そういう時はいいけれどね。

で、二人きりで会った時でも、それは起きるんだけれど、軌道修正は文字だけよりはしやすい。何について悩んでいるのか、どういう気持ちを持てあましているのかを伝える時間と余裕をもらえる。

画面上では、私も彼女たちの寂しさと虚しさを理解できていない。文字だけだと、一方的なテンションで話して、自分の主張が終わったら適当なところを見繕ってそこに落としどころをつくって、そこで「またね」で終わっちゃう。

会っていたら違うのに。

やっぱり、会えるって大事。
文字も大事。いろいろな人と出会いのきっかけにもなる。今までだったら声をかけることすら勇気が出なかった人ともつながることができる。
「ごめんね」も「ありがとう」も言い出しやすいかもしれない。
でも、その後、実際に会えるなら、会ってきちんと言葉を伝えたいけれど。

やはり、毎回は無理でも顔を合わせたい。
できれば、握手でも、肩をたたくでもいいから、少し触れたい。


助けて。
誰か助けて。

そんなことを思いながらこれを書き始めたけれど、少し落ち着いた。
リアルでは会うことのない誰かが聞いてくれていることで救われる。
これはこれで、とてもありがたいことだ。
ずっと書いてきたことと矛盾しているようだけれど、本当のこと。
こうやって、気持ちが少し落ち着く。
そして、実際の世界に戻って、「何か今までと変えてみよう」と考える。

大きなことはできない。
ただ、今は自粛期間でもあるし、人と会うのはあきらめるとして。
スマホを見ないで「何かをする」時間を少しだけでも作ろうと思う。
スマホを握る時には、普段は疎遠になっていた人たちに、挨拶してみようかな。会うにはハードルが高い人たちでも、まずは、文字で。
そして。
会える日が来たら、会う約束ができるようにしていく。
これが今、私にできる精いっぱいの「前向き」かな。

別に、文字での発信を批判しているわけではなくて、「その先」が欲しいという話。
「その先」につながるために、会いたい人をもっと増やそうと思った。

とにかく、今、私が落ち込んでいるのは「寂しい」んだ。単純にそれだ。