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月が綺麗

ご飯を食べたあとにそのまま別れるのが名残惜しくて、君が買ってくれたコンビニのホットコーヒーで手を温めながら歩く線路沿いの道。「この曲好きなんだ。」と片方のイヤホンを手渡される。心地いい音とともに、2人で歩く状況とリンクする歌詞が左耳から流れこむ。私は曲のタイトルを訊ねる。
「月が綺麗って曲。」
「月が綺麗の意味、知ってる?」
「知ってる。」
恋愛経験は乏しいけれど、そこに深い意味がないことは、言葉の温度感で察することができた。
別れ際に「またね。」と握られた手も、ただ人肌が恋しかったのだろう、女なら誰でもよかったのだろう、と少し甘い空気に肩を貸す私がいる一方で、頭の隅ではどこか冷静だった。

彼のことを好きだったか、と問われると言葉に詰まる。ただ確かなのは、一緒に過ごした時間が楽しかったこと。
寒い日に鍋を食べに行った。1人暮らしの私は鍋と呼べるか怪しいほど、具の少ない鍋を食べてばっかりいたから、久しぶりに誰かと食べる具だくさんの鍋はおいしかった。
心に残っている音楽の話をした。学生時代の彼女と別れた時期に聴いていた曲を彼は挙げた。数年前、その曲をライブで聴いて涙したらしい。
私が好きだと話したエビマヨを作ってくれた日もあった。一緒に食べながら、君が好きな映画のDVDを観た。私の好きな映画にもなった。
会うたびに着ている服を褒めてもらえると嬉しかった。

彼は優しかった。「会いたい。」「まだもう少し一緒にいたい。」そんな言葉もかけてくれた。だけど「会おうよ。」とか「まだ帰らないで。」とは言わなかった。決めるのはいつも私。
その度に求められているのは"私"ではなく"側にいてくれる誰か"だと、突きつけられているようで切なかった。

彼とのメッセージが3日ほど途絶えたとき「潮時だな。」そう感じた。私が彼に抱いている感情は恋愛感情よりは依存に近く、このままだと自分が大事にしてきたものを失ってしまいそうに思えた。それに、傷つくことは大人になっても怖い。むしろ大人になってからのほうが怖い。予兆を感じたら先回りして手を打つ癖がもう染みついてしまっていた。

2人を定義する言葉ってなんだったんだろう。恋人も友達もしっくりこないとなると知り合いか。一緒に過ごした時間があまりに短くて、もしいつかどこかですれ違ったとしてもお互い気付くこともないだろうから、それも違うような気がする。学生時代に出会えていたらいい友達になれたかな。

新しいものを手に入れるためにはなにかを手放さなければならないし、もし運命があるのならばきっとまたどこかで会えるだろう。そう思って君との別れを選んだけれど、君だけが使う私の呼び名が少し恋しい。

今は、いつか「この選択でよかった。」と思える日が来ることを願うばかりだ。

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