マガジンのカバー画像

山羊的小説集

27
山羊アンテナ木村 小説全集(2020/6/20~全1巻) 27本収録 ¥0
運営しているクリエイター

記事一覧

固定された記事

夜空の下には僕達しかいなかった

部活はテニス部。都内の男子高に通い、部活をして帰る。 それだけで腹がへる。1日4食から5食。金がない。 おまけにテニスラケットのガットがすぐ切れる。僕の何も考えないプレイスタイル。ひたすらハードヒット&ハードスピン。ガットがすぐ切れる。今のような耐久性のあるポリエステルがなかったので頻繁に3,000円前後の張替費用が飛ぶ。金がない。 バイトをしたいが、テニスもやりたい。腹が減るがテニスもやりたい。 時間がない。 とりあえず夏休みの間だけバイトをやることにする。 テニス部の練

街中華のマトリックス

 街中華と瓶ビール。そして強火を使った食事はどこからか抜け出す力を生み出すのかもしれない。    二月の金曜の夜。西高東低の強い気圧配置が列島を覆う。そこに南岸低気圧が八丈島沖を進み、夜半に雪が降る。それまでは三国山脈を乗り越えた冷たく渇いた風が吹く。  大きな発送ミスがあり、会社の冷え切った倉庫で肉体労働を後輩の佐藤と朝から始めた。体を動かした時にかいた汗が冷気に包まれ体を冷やす。それが何度となく繰り返された。昼飯を取る暇もなかった。  夜八時に終わり、近くの街中華に駆

28歳

28歳。新卒で入った都内のセールスプロモーションの会社を辞めた。退勤は毎日23時を廻る。時折会社に4日間ほど泊まり込む。そんな勤務は少しずつ身体と頭にダメージを与えた。辞めると定収入が途絶えるのでバイトでつなぐ。学生の時にもやっていたテニスインストラクター。それだけでは厳しい。大学同期のKが家業のビルメンテナンス会社に入っていた。声を掛けてくれた。うちでバイトしないか? 新大久保にある小さな会社。少人数で現場を廻る。社名にビルメンテナンスとあるが、要は何でも屋だ。公共施設や

11月の空

 SNSの海であなたを見かけました。10年経っていてもあなたの笑顔はあの時と同じように素敵でした。  ニューヨークにあるワシントンスクェアパーク。一面黄金色に染まった銀杏並木の中にいるあなた。苗字は英語です。僕が聞いていた苗字ではありません。    11月の東京。どこまでも澄み切った青空を仰ぐとあなたを思い出します。アナスイと組曲、BLUE LABELとヒステリックグラマー。趣が違う服を着こなせる。そんな人でした。あなたは僕に何を残したのでしょう。   *  初夏でした。

ハイライト

                    前日の雨で桜の花はほとんど落ち、路面や水たまりに散らばっている。泥にまみれた花びらを踏んで歩く。靴の裏にも花びらはついているだろう。僕はいつからか桜の花が灰色を帯びて見えるようになった。  僕は「クラバート」と言うドイツの児童文学書をビジネスバッグに入れている。といっても分厚い本をそのまま持ち歩く訳にはいかない。なので本をばらし、その日の気分によって何章かを表紙に差し込む。なんだってそんなに面倒な事をするのか、なかなか説明しづらい。もし

月明りの染み

その通りすがりの夜は今でも僕のどこかに沈んだままだ。 終電間際の乗客。彼らは輪郭がぼんやりしている気がする。明かりが足りないからかと思ったが、佇まいそのものが薄い。その輪郭は各々違う。 郊外に向かう車両の窓を霧雨が濡らす。車内の会話はない。皆、スマホを眺めている。席は全て埋まり、立っているのは僕含め数人。この時期僕は仕事が詰まっている。二週間以上遅い時間の帰宅が続いている。でも明日は休みだ。遠距離の彼女が部屋に来る。   電車に乱暴なブレーキがかけられた

二塁を廻れ

晩夏の夜の雨。秋雨にはまだ早い時期だが、この間まで街を包んでいた熱気が嘘のように肌寒い。足を運んだチェーン店の居酒屋。平日という事もあり、客は少ない。 席を案内しようとする店員を制して彼を探す。すぐに分かった。 「元気?」 「まあ、そう言われたら、まあな、ぐらいで返すしかないよな」 テーブルを見るとまだお通ししかない。 「何年振りだっけ」 「卒業した後に一度野球部のOB会で集まったから4年振りぐらいか」 「俺それ行ってないから卒業以来だな」 店の中は冷房が効きすぎて少し寒

ワイルドサイドを歩け

高校の時の担任が亡くなった。 卒業してから10年。随分と良くしてくれた先生だったので、その時の仲間3人ほどに声をかけて通夜に行くことにした。 そいつらと会うもの6、7年振りぐらいだろうか。 雨が強く、駅から10分ほど歩く葬儀場に行くにもスーツが濡れる。参列者は当時の生徒や現役の生徒でかなりの人数だ。男子校なのでほぼ男。 雨の湿気た匂い、思春期特有の匂い、そして少し年を重ねた僕らから匂い立つもので息が詰まる。人数が多いので焼香だけして引き上げる。 4人で駅まで向かう。雨が傘を

闇の中のトトロとパパ活

深夜2時。営業車のような古いバンがドライブインの駐車場に入る。運転がよろよろとしている。一緒に働くマサさんが「ありゃ、飲んでいるな。面倒くせぇ」と言う。 片道1車線。地方の国道。巨大なトレーラーが闇に低音と振動を響かせる。 その国道沿い、古く寂れている個人経営のドライブイン。 ハンバーガーやサンドウィッチ、ホットドッグとコーヒー。 アメリカかぶれのオーナーが建てた。30年。中途半端にうらぶれている。昼の家族連れ、夜の若者、深夜のドライバー、全ての客を取りこぼす。 週4、深夜

夜空に引き上げられる

夜中の病院のオフィス。僕ら2人がいるところだけが明るい。 地方都市の医療法人、250床の急性期病院と100床の老健施設。 経営は厳しい。しかし今の部長が総務部長について2年で改善の道筋をつけた。ベッド稼働率対策、大規模修繕計画の見直し。 借入金の借り換え。これを銀行に納得してもらうための事業計画書の作成をしている。今日中に終わらせれば、月曜午後の銀行との折衝に間に合う。 8割方、終わった。 休憩しよう。 部長が言う。 平野部長は49歳。巨大インフラ系企業からこの医療法人に

恋の行方はフルスイングの果てに

そんな綺麗で聡明な女の子と釣り合う訳がないんだよ、僕は。 * 高校で世界史の教師をしている。授業の評判は普通。寝る生徒はいないけど発言する生徒もいない。僕としては静かに授業が出来れば御の字。 時々隣の教室から盛り上がる様子が聞こえる。現代国語の佐内先生。授業がおもしろいらしい。作文の授業。出だしが良ければ本文を書かなくても「良」以上。でも、この三つを超えるものを出したらの話。 「吾輩は猫である。名前はまだ無い」 「メロスは激怒した」 「さようでございます。あの死骸を見

波よせる場所

海へ向かう道を車で走らせる。窓を開ける。7月終わりの晴れた午後。乾いた風が髪を揺らす。フィアット500というこの車は可愛らしい姿だけど気持ちよい走りをする。 パパに買ってもらった。お父さんではないパパに。 街から郊外、田園地帯を抜ける。助手席には叔母さんの為に選んだシングルモルトとウイスキーグラスの包み、そして紅花を中心とした花束が座る。海に近付くと潮の香りが強くなる。叔母さんに会うのは五年振りぐらいだ。 裕子さん。 海岸に近い林の中にお父さんの姉である裕子さんの家がある。

新宿の雪

 新宿の路地裏。サラリーマンの胸ぐらを掴んで突き飛ばす。 しばちゃんが倒れたサラリーマンを起こす。 「てっちゃん、軽いジャブにしとくね」  しばちゃんはひまわりのような笑顔で言う。  あごを打つ。人間の頭蓋骨は後頭部で首の骨とつながっている。あごを打てば、そこが支点となって『てこの原理』が働き、脳が揺れる。倒れる時に頭をコンクリートにぶつけないように気を付ける。外傷がつくことなく上手に倒れてくれる。 危なそうな時は支えてあげる。  最近は皆、現金をあまり持ち歩かないのでス

月に吹く風

久しぶりにスーツケースとパスポートを用意する。 行先は日本から南へ3,210㎞。 パラオ。 * 九月の空。天気は良いがそこまで気温は高くない。窓の外には作られたような青空と積雲。五時間目。教室に物理の教師のチョークの音がいつもより遠くに聞こえる。 隣の佐伯さんが机にうつぶせになりながら僕に顔を向け、小さな声で言う。 「この感じ、授業なんかどうでもよくなっちゃうし。なんでかな」 教室のカーテンを心地よい風が揺らす。カーテンから床に漏れる日差し。周りには寝ている子もいる。誰か