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ウェイン・ショーター私論【その3】: ソロ活動の本格化(1980-90年代)


 惜しくも先日亡くなったジャズサックス奏者/作編曲家のウェイン・ショーター(Wayne Shorter)について、私の思うところを書き連ねておこうと思います。今回は第三回。ウェザーリポート解散からリーダーバンドの結成とその活動についてです。

7. ヤマハ製ソプラノサックスの導入

 さて、ウェザーリポートの最終期である1982年ごろだと思うが、日本人のジャズサックス吹きとしては非常に気になる出来事があった。ショーターがヤマハ製のソプラノサックスを使い始めたのである。私が映像で確認できたのはこれが一番初めかな。ヴィクターベイリー、オマーハキム、ホセロッシーという若者新メンバーのお披露目ライブを1982年のプレイボーイジャズフェスティバルでやって、マンハッタントランスファーが共演する映像です。

 それまでは、他の大多数のソプラノ奏者と同じように、SelmerのMark VIというモデル(コルトレーンが使っていたやつ)を使っていたはずである。そもそもこのモデル、というかほかのメーカーも含めて当時のソプラノサックスというのはキーは動かしにくいわ、キーアクションは変だわ、音程は悪いわと、そのそもの設計から欠陥楽器みたいなものだった(と言いつつ、私自身はその欠陥楽器Mark VIをいまだに使ってるがw)。
 1970年代終わりごろにヤマハがようやくモダンなキー設計のモデル(YSS-61?)を出して、国内で普及し始めていたころだと思う。
 ショーターが使い始めたのは、多分YAMAHA YSS-62SRというモデル。モダンなキー設計を採用し、本体の一番上の管をちょっとだけ曲げた、いわゆるセミカーブドという形状。今でこそ当たり前になっているが、当時の外タレでヤマハを使う人も、いわんやセミカーブドなるおかしな形をしたモデルを使う人もほとんどいなかったので、それなりに話題になったと思う。当時、ヤマハはこれで一儲けしたんじゃないかな。その後も、晩年までソプラノはヤマハ使用を通してたはず。
 個人的には、この新しいソプラノは、その後のショーターの音楽に対して非常にポジティブな影響を与えたんじゃないかと思っている。Selmer使用時はなんとなく棘のあった音が丸く滑らかになり、もともと良かった音程にさらに磨きがかかって表現力が増した感じ。
 まあ、そもそもショーターのソプラノって、適当に吹いているようで異常に音程いいんだよね。極端に強弱や音色の変化を付けたり、好き放題音飛ばしたりしても音程が安定しているのは、矢野顕子の唄みたいなところがある。二人とも天才だな。 

8. ソロ活動再開:不思議なアルバム"Atlantis"

 さて、ウェザーリポートでの活動が明らかに低調になった1985年(解散というリリースは出てなかったと思うが)、ショーターは約10年振りとなるリーダー作、Atlantisを発表する。

 私も当時勢い込んで買ってきた(まだビニール盤LPだった)わけだが、一曲目の Endangered Species を聴いて「ああ、ショーターまで打ち込みピコピコ音楽になってしまった」とショックを受けたことを覚えている。どうもその印象が強烈で、二曲目以降どういう風に思ったのかあまり記憶にない。評伝によれば、これはショーターの「戦術」だったそうで、こんな記載がある。

このアルバムを入手した人が2曲目を耳にした直後に見せるであろう反応について、ウェインは「あれ?店に入った時はディスコだと思ったのに!」と冗談めかして言っている。

フットプリンツ 評伝ウェイン・ショーター P332

 というわけで、私もこの「戦術」にまんまと乗ってしまったわけだ。曲そのものはものすごく格好いいんだけど、それこそディスコのようなビートがいきなり出てきた違和感がこのアルバムの印象を悪くしていたわけで、少なくとも当初はその戦術が上手く行ったとは言い難い。さらに言えば、アルバム通して、いわゆる「アドリブソロ」のパートほとんどが無いことにも不満を感じていた。実際、当時、このアルバムは一部専門家の高評価にかかわらず、売上的には散々だったらしい。
 といいつつも、ライナーなど見ながらそれなりに聴き続けてみると、ピコピコも実はドラムパートは生ドラムだったりすること。ピコピコは実は一曲目だけで、その後は基本アコースティックな美しい曲が続くことなどが理解できて来た。そう感じて改めて聴いてみると、どの曲も美しいメロディ、と良く練られたカウンターメロディ、自然に聴こえるけどなんか不思議なベースラインとコード進行、それを、基本的にはショーターのソプラノ、テナー多重録音(プラス、ヒューバートローズのフルート)で表現していること、などが分かってきた。
 そして、たまに出て来る「ソロ」的なパートは、理論がどうしたとか、タイムがどうしたとか関係なく、まさに作曲の一部のような佇まいで自らの多重録音したアンサンブルと一体化している。一方、いわゆるメロディの部分はソプラノにしてもテナーにしても、実に丁寧かつ自然に唄われており、アドリブの素材として機械的にテーマを吹く一連の「ジャズ」とは一線を画している。というわけで、その1にも書いた「書き譜は即興のように、即興は書き譜のように演奏する」のお手本のような演奏が続く。
 というわけで、このアルバム、私にとっては当初の低評価から一転して、定期的に聴きたくなる音楽に位置付けられたし、なんとなれば、「私が最も好きなショーターのアルバム」かもしれない。サックス吹きとしては、こういう風にサックス吹きたいと思うし、いつかこういう音楽を創ってみたいものだ(無理だけど)。全体としては地味だし、あまり話題にならないアルバムなんだけど、世の中に、私と似たような評価をしている人は結構いるような気がするが、どうなんだろうか。
 いずれにせよ、ジャズのアドリブ云々ではなく、作曲、アレンジ、全体構成、自らのプレイ含めて「いい音楽」を創造する能力を遺憾なく発揮した良作と言えると思う。

9. エレクトリックリーダーバンドの時代

 "Atlantis"のリリース後、ショーターは自らのバンドを結成し、ソロ活動を本格化させる。個人的にはソロ活動開始直後、Gary Willis (B) Tom Brechtlein (Ds)  Mitchel Forman (Key)がメンバーのバンドが格好良くて好きだった。これで確か斑尾ジャズフェスか何かに出てたな、と思ったら映像があった。Atlantisから"Three Marias"をクラークテリー(!)と一緒にやってる。さらに後半では同じリズムセクションにルータバキンとスコットハミルトン(!)が入ってブルースのセッション。ショーターはマイルスバンド時代を思い出させる謎の天邪鬼ソロで暴れてます。面白いw

https://youtu.be/IYTXzTCFKPY

 やはり同じバンドのフルコンサート映像。格好いいなあ。ウェザーリポート当時はバンドでもあまり吹いてなかったショーターがとにかく吹きまくるのが当時は新鮮だった。Atlantisではほとんどやってなかったアドリブソロもがっつりやってます。自らの曲を自らのバンドで、ということで、ソロもあまり天邪鬼という感じではなく、曲調に合致しているように聴こえる。
https://youtu.be/Ekp92RNCpEs

 さて、本格的にソロ活動を再開したショーターは、引き続き、"Phantom Navigator(1986)", "Joy Rider(1988)" と2枚のアルバムを発表する。すべて自作曲、シンセサイザーやシンセドラムを多用したフルエレクトリックで、ある意味カラフルな音楽になっている。
 この時期は、エレクトリックなライブバンド活動を継続しながら、そのバンドメンバーを中心に新たな自作曲をレコーディングしていくというのがルーチンだったんだろう。いい曲もあるんだけど、今聴いてみると音の作りが過剰で、やりすぎ感は否めない。まあ、時代ということなんだろうが。
 Atlantisと同じ様に、凝った構成の曲を凝ったアレンジでやる、ということで、サックスソロやアドリブソロという意味では特筆すべきことはない。書き譜だかアドリブだかよくわからない「ハナウタ奏法」に磨きがかかっているということだろうか。
 上記二作に引き続き、というか、ちょっと間が空いた1995年には、"High Life"を発表する。前二作はエレクトリックであったが、本アルバムではクラシックのアンサンブルーストリングスとホーンセクションーを起用して、ショーター自ら綿密にアレンジしたスコアを演奏させている。本作では、マーカスミラーがプロデュースを担当しているが、評伝によればマーカスの役割は「物事を整理すること」、要は、一旦完成したと思っている曲でも、放っておくとショーターがどんどん新しいアイディアを入れた複雑なアレンジを書いてくるので、それを取捨選択して、一般にも聴かれる作品にまとめ上げる手伝いだったという。
 マーカスの努力もあってか、アルバム自体は佳曲の多い落ち着いた雰囲気になったが、やはり、オーケストラアレンジについては複雑すぎてやりすぎ感がある。リリースされた当時、誰かが「いろんな色が複雑に混じって、結局灰色になっちゃった感じだなあ」と言っていたが、当たっているかもしれない。いいアルバムなんだけど、ネイティブダンサーのような自然発生的な爽快感とか、"Atlantis"のような何度も聴きたくなるような魔力は無いのかなと思ってしまう。私が未熟なのかもしれませんが。
 一方、アルバム制作前後にも、リーダーバンドによるツアーがあったわけだが、David Gilmore(g), Jim Beard (Key), Alphonso Johnson(b), Rodney Holmes (ds)がメンバーのバンドは、ショーターエレクトリックリーダーバンド史上でも最強だったと思う。このバンド、確かブルーノートか何かで観たな。アルバム(High Life) のどんよりした感じとは打って変わって、凶悪に難しい曲でもハイパーフュージョン系のインタープレイてんこ盛りで、私ぐらいの年代のフュージョンファンの琴線に触れる演奏ですな。ショーターのソロも、アルバムのハナウタ交じりとは違って、熱量が高くて燃える。いくつか映像を貼っておきます。

https://youtu.be/QxJ__YF8YTA



【補論】ショーターの「編曲」について

 ショーターがジャズ史上、あるいは音楽史上に残る大作曲家であるということについて異議を唱える人は少ないと思うが、編曲、特に、オーケストラを使ったような大編成ものの編曲についてはどう評価すればよいのだろうか。
 評伝を読むと、音楽を始めたころから、映画音楽が好きで、いわゆるクラシックの作曲についても学び、学生のころにはオペラを書いていた、などという話もあるので、技量的には難なくできる人だし、本来的には好きなんだろう。
 実際、上に記した"High Life"ではオーケストラ向けに相当小難しい編曲をしているし、他にも、晩年のカルテットの"Without Net"のPegasus、という曲とか、"Emanon"のはじめの数曲とかは室内楽団との共演ということで、ショーターアレンジの譜面を演奏している。とはいえ、カルテットの演奏はすべてライブということもあり、若干雑な感じでもあり、アレンジも妙に凝り過ぎの印象もあって、私はあまり魅力を感じない。
 フルオーケストラというよりは、上に書いた"Atlantis"の自身の多重録音中心の小編成アレンジとか、私が"Atlantis"と並んでお気に入りの "Alegria" の Serenata, Angora などに聴かれるやはり小編成の管楽器アレンジなどは謎めいていて非常に美しい。恐らくあまりアレンジの常識では考えられないような音使いをしていたりするんだろう。
 というわけで、今のところの私の結論は、作品そのものの構造に直結するような小編成のアレンジは素晴らしいけど、本格的なオーケストラ作品については評価保留という感じだろうか。亡くなる直前にはオペラ作品を書いて、健康状態の関係で本人は出られなかったらしいが、実際に上演されたりもしたらしいので、その作品が世に出て来るのを待ちたいと思います。

この期間の奏法論について、ちょっと補足を書きました↓。
こちらもよろしく。


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