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銀座であんみつ

最近、銀座のあんみつの老舗が閉店するとニュースになっていて、そういえばと思い出したことがある。

小学生の頃、母の出張にくっ付いて、よく東京に来ていた。
その当時、母は札幌で仕事をしていたのだけど、仕事だけでは飽き足らず、もっと勉強したいと言って、東京の大学院に通っていた。
平日は朝から晩まで仕事、土曜の朝に飛行機で東京に行って、日帰りか日曜に帰ってくるというハードスケジュールをこなしていた。

親の熱心さは心底尊敬するけれど、一緒に遊ぶ暇など殆どないほど、ただひたすらに働き、飛び回っていたので、子供の私からすれば、「ちょっと待ってくれ」という感じで、「また行くの?」とか「今週もいないの?」とか、文句ばかり言っていたのだと思う。
なんでそんなに頑張るのか、頑張れるのか、理解ができなかった。

そんな娘のわがままに応えるのも面倒になったのか、母が出した結論は、「一緒に東京に行こう」というものだった。

それからというもの、本当に切羽詰まった時でなければ、母の土日東京出張に同行させてもらえるようになった。
母が貯めたJALマイルを有難く使わせていただいて飛行機に乗り、宿泊は必ず東横イン。
今は違うのかもしれないけど、当時はシングル料金に+1,000円で子供用の小さなベッドを付けられたからだ。
しかも朝食が無料というのも偉大だった。
ライバルが多いので、のんびり8時過ぎに行くと品数が少なくなっていることも多く、早起きして朝ごはんを死守するのが母と私のルールだった。
大抵はおにぎり、お味噌汁、ちょっとした野菜のおかずに、ミニクロワッサンや茹で卵というラインナップだったけれど、その時々で微妙に違っていて、「今日は肉じゃががある!」とかそういうのが楽しみだった。

母が行っていた学校は築地の方だったので、人形町の東横インにお世話になることが多かった。
羽田からホテルに向かって荷物を置き、母は学校に行って講義を受けるので、その間私は、空港で買ってもらった本を片手に、母の学校のチャペルみたいな場所で適当に時間を潰していた。
たまに、いかにも優しそうなシスターが「何してるの?」と話し相手になってくれたけど、普段とは違う空気の中で一人きり、そわそわしているうちにあっという間に時間は過ぎた。
一応仏教徒なはずだけど、教会では悪いことしちゃいけないなという本能も働くのか、やたら緊張していた記憶がある。

そうして授業を終えた母と合流し、銀座の方まで出かけた。
何をするというわけでもなく、ただあの大きな通りをつらつらと、高い建物を見上げながら歩いていた。
途中木村屋に立ち寄って、あんぱんをおやつにつまむのも定番で、正直とんでもなく美味しいということではないように思うのだけど、銀座で食べる木村屋あんぱんに意味がある、と幼いながら確信していたように思う。

母は高校を出てから東京の短大に通っていたので、都会に全く馴染みがないというわけではなく、「やっぱり東京は楽しいね」と口ずさんで、嬉しそうに闊歩していた。
そんな母を見て、本当はそのまま東京で働きたかったのかな、なんてことを思った。

そうやって少し歩き疲れた時に行くのが、「銀座 鹿乃子」だった。
昭和から続く甘味処で、1階が売り場、2階が喫茶室になっており、ガラス張りの店内から銀座の街がよく見えた。
その喫茶室であんみつを食べるのが、大好きだった。

あんみつにもいくつか種類があって、一番オーソドックスなあんみつでも、1,000円ちょっとしたはず。
札幌でしかあんみつを食べたことのない私は、「東京ではあんみつ1つ食べるにも、千円札1枚では足りないんだ」と都会の現実を突きつけられて、母に「高いから2人で1個にしようか……?」と持ちかけたけど、「ごはん代わりだからケチらないの」と却下された。
今となっては、1,000円出したって高くはないとわかるのだけど。

「そうは言っても……」と内心家計を心配しながら待っていると、銀座仕込みのあんみつが私の目の前にやってきた。
まっ白の器の中には、白玉とあんこ、寒天などが、各々の位置に律儀にスタンバイしていて、いかにもお上品、育ちが良さそうなあんみつだった。

つやっつやなお肌の白玉を汚してしまうには惜しいけど、食べたい気持ちには勝てないので、遠慮なく黒蜜を回しかける。
でも、黒色がかっても、白玉はまだつやっつやで、何も美しさは変わらずそのままだったから、やはり育ちは大切なんだなと感じた。

あんみつの食べ方は人それぞれ流儀がありそうだけれど、私の場合は、比較的数が多く入っている寒天を1つずつスプーンに乗せ、他の具材とペアにして食べるのがお決まりだ。
寒天とお豆、寒天とさくらんぼ、寒天と求肥、みたいに。
最後に寒天だけ残ったら、下に溜まった黒蜜とまんべんなく混ぜて、一切のムラなく寒天が黒蜜をまとった状態で、寒天を3、4つずつ一気に食べる。
そうやって寒天を軸に食べ進めるスタイルだ。
具材1つずつを別個に食べるのも良いけれど、せっかくあんみつとして同じ器に入れられた仲なのだから、一緒に味わうのが正解なんじゃといるのが自論。

鹿乃子のあんみつも、その流儀に則って、ちまちま丁寧に食べていた。
寒天を1つずつスプーンですくうので、その度に自然と寒天1粒に目が行くのだけど、鹿乃子の寒天は全部きれいな立方体で、端が欠けたり、ちょっとスリムな直方体だったり、そういう凸凹が全くない。
端正とはこういうことかと学んだ。
お味はというと、歩き疲れた体に染み入るしっかりとした甘さで、でもくどくはなくて、格を感じるおいしさだった。
高いものにはわけがある。
1人1個頼まないと独り占めできないんだから、やっぱり母の判断は大正解だった。

窓の外には4丁目の風景が見えて、それが何なのか当時は分からなかったけど、テレビでよく見る和光のビルが目に入った。
街行く人たちをのぞきながら、「この人たちは、皆何かしらの理由で東京に来ているんだな」と思って、東京という街の磁力をなんとなく不思議に思っていた。

上京してからは、銀座という街に縁がなく、仕事で立ち寄ることはあっても、どこに行けばいいのか分からないので、銀座を満喫せずに帰ってしまうことが多く、鹿乃子にもずっと行かずじまいだった。
改めて調べてみたところ、どうやら2020年に閉店してしまったらしい。
今は観光客の活気が戻ってきた銀座だけれど、2020年だと色々大変な時期だったから、そういうこともあってなのかなと、とても残念な気持ちになった。
行ける場所は行けるうちに行かないと、気付いた時には既に遅し。もう行けなくなってしまう。

今年は、少し前まで誰もがマスク姿で街も閑散としていたのに、「あれは現実だったよね?」とちょっと疑いたくなるほど、通常モードに切り替わった1年だったように思う。
年齢的なことも大きいとはいえ、周囲の結婚報告もとても多くて、とにかく暗くて先が見えなかった数年から、世の中のムードが変わってきたのを感じる1年だった。
一方で、世界に目を向けると、何も明るくなんてなっていない現状に、悲しくなる。
たぶん、私ができることは何もないけれど、それでも悲しいことから目を逸らさず、知ることを止めてはいけないなと思う。

年末年始、ごちそうを食べると何だか甘いもので口を締めたくなる。
久しぶりにちょっと良いあんみつでも買おうかしら。
あんみつの甘さを、ただ純粋においしいと感じられる平和な時間が、来年も続くことを願って。


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