「経済学の十大原理」って宗教なの?
世界的なベストセラー本として有名な、ハーバード大学のマンキュー教授による経済学の入門テキスト『マンキュー入門経済学(第3版)』。冒頭の第1章で、経済学の基本的な考え方を「経済学の十大原理」という(やや仰々しい名前を付けて)紹介しているのが特徴的です。この“原理”のうちの一つ
・第5原理:交易(取引)は全ての人をより豊かにする
について、[マクシム(経世済民)]さんという方のつぶやきを起点として、Twitter上でさまざまな意見(おおむね、マンキュー教授や経済学について否定的・懐疑的なものが多い印象)が交わされていました。
経済学の教科書を開くと、まず最初に「十大原理」なるものが書いてあるんですよ。
「交易は皆を豊かにする」みたいなのがね。
自由貿易は常に正しいと、まず最初に洗脳するわけ。
そこに理由の説明は一切ない。思想の押しつけ。
経済学は宗教なんだよ。
(リンクはこちら)
マンキュー教授は共和党支持者で、市場メカニズムに関して肯定的な米国の経済学者の中でも、特に楽観的な論者の一人でしょう。そのせいもあって、たしかに“洗脳”的に見えなくもない、ややバイアスを感じる記述は本書の中でも見受けられます。ただ、第5原理に関する上述の批判は、率直に言って的を外しているように感じました。実際に、余剰の考え方を使って貿易の影響を分析したミクロ編の第9章「応用:国際貿易」の中で、「貿易はすべての人々をより豊かにしうる」(が、実際には難しい)という内容をマンキュー教授自身が述べています。以下がその引用です。(太字は安田による)
貿易の分析を終えて、「交易(取引) はすべての人々をより豊かにする」という第1章でみた経済学の十大原理の一つをより深く理解できるようになっただろう。アイソランドが自国の布地市場を国際貿易に開放すると、アイソランドが布地の輸出国になろうが輸入国になろうが、利益を得る者と損失を被る者が生まれる。しかし、どちらのケースでも得られる利益が被る損失を上回るので、利益を得る者は損失を被る者を補償しても厚生が改善する。その意味で、貿易はすべての人々をより豊かにしうるのである。しかし、貿易はすべての人々をより豊かにするのだろうか。それはたぶん無理だろう。実際、国際貿易によって損失を被る人に補償がなされることはめったにない。そのような補償がなければ、国際貿易の開始は、経済のパイを大きくはするが、経済への参加者の一部にとっては前よりも小さな分け前しかもたらさない政策となる。
これでなぜ貿易政策をめぐる論争が多くの場合にもめることになるかがわかるだろう。政策によって、利益を得る者と損失を被る者が生まれるときには、つねに政策論争となる。国が貿易による利益を享受できないこともあるのは、自由貿易から損失を被る者が利益を得る者よりもより組織化されているからである。損失を被る者は、関税や輸入割当てのような貿易を制限する措置を求めて、政治的勢力を結集させてロビー活動を行う。
(『マンキュー経済学Ⅰ:ミクロ編』267〜268ページより)
ところで、交易や取引に関して、経済学者が「常に望ましい」「全員を豊かにする」といった“強い”主張を行っている、と誤解されやすいように感じます。その背景には、我々の教え方や伝え方に問題があるのかもしれません。実際には、コテコテの共和党支持者であるマンキュー教授ですら、上のように控え目(?)な意味合いで自由貿易の利点を述べているわけですから…
ただし、今回ご紹介したマンキュー教授による解説は『ミクロ編』に掲載されているもので、圧倒的に売れているであろう(日本語版)『入門経済学』では直接触れられていません。こうした重大な穴を埋め、舌足らずな部分をきちんと補足するのは現場の教員の大切な役割だと感じます。(入門レベルの講義で単純化“し過ぎた”内容を中級以上で掘り下げることも重要!)
話を国際貿易に戻すと、近年では、長期的な雇用や産業構造への影響に注目し、貿易がもたらし得る負の側面を定量化する研究も進んでいるようです(たとえばこちらなど)。経済学を宗教と形容するのは自由です。ただ、せっかくでしたら、“経典”の中身や内部で進む“宗教改革”についても、より多くの方に関心を持って頂けると嬉しいです。
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