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経済学ってどんな学問?

以下は、『学研・進学情報』(2018年1月号)という雑誌に掲載されたインタビュー記事の草稿です。将来的に経済学部への受験を考えている高校生や関係者の方だけでなく、少しでも経済学に興味のある方はぜひご一読頂けると有難いです。学問としての経済学の特徴や最近のトレンド、数年前にブームとなったピケティ本の要約など、盛りだくさんのインタビューになっています!


経済学は、当事者目線で問題を考える学問です。

安田洋祐|大阪大学准教授

毎年、経済学部への進学を考える受験生は多い。しかし、経済学という学問をあまり知らないまま、「文系だからなんとなく経済学部」と決める生徒は少なくないのではないか。そこで、さまざまなメディアを通して経済学の啓蒙に尽力している大阪大学の安田洋祐准教授に、経済学とはどのような学問で、どのような面白さがあるのかをお聞きした。


“インセンティブ”が経済学の大前提

—— 一般に経済学はお金について考える学問というイメージがありますが、この認識は正しいのでしょうか?

安田  間違いではないですが、経済学部ではお金の話はあまりしません。モノがどう作られて誰の手にわたっていくのか、といったモノの動きが分析の中心です。実は、僕自身が高校時代に素朴に感じていた疑問に、経済学のこの考え方がまさに答えてくれたので、最初に簡単にご紹介したいと思います。

喫茶店でコーヒーを注文するとしましょう。どこか遠い国のコーヒー豆を誰かが収穫して、船や飛行機で日本に運んで、それをまた誰かが焙煎して、・・・といろいろな人の手を渡って一杯のコーヒーが出てきます。当たり前に聞こえるかもしれませんが、冷静に考えると、かなり不思議なことが起きている気もします。今、みなさんがコーヒーを注文することは誰も知らないわけですよね。つまり、我々1人ひとり、潜在的な売り手や買い手はというのは、誰かに命令されるわけではなく、ある意味で好き勝手行動しています。それなのに、なぜかお店に行くと商品がそろっているし、きちんと経済活動が日々営まれている。この秩序は、いったいどういった仕組みによって生まれているのでしょうか。

僕は幼心に不思議だったんですね。この疑問に、まさか自分の進学した経済学が答えてくれるとは知りませんでした。

—— 経済活動がうまく回る仕組みはどう説明させるんですか?

安田  市場があるというのがポイントですね。

個別の売り手、買い手が何をやっているのかわからなくても、価格がどうなるのか、あるいは、いくら売れたか、という情報だけで、各人が秩序を持たせるような形で市場を動かしている。消費者が行動を変え、生産者が行動を変えると、それが価格の形で市場にはねかえる。また、その価格を見て行動が変わっていく、という形の調整が日々行われているんです。

その調整プロセスというのは、全体としてバラバラではなく、きちんと秩序を生み出すような形で動いています。それを一番わかりやすく初歩的な形で示したのが、需要と供給の曲線図で、高校の政経の授業でもおそらく勉強すると思います。縦軸が価格、横軸が数量で、右下がりの需要曲線と右上がりの供給曲線があり、市場がうまく機能していると、交差する部分で価格と数量が決まる。あの世界ですよね。

—— 経済学で最も重要な考え方は何でしょうか?

安田  どんな学問分野にも大前提とするものがあると思いますけど、経済学では「各人が自分のインセンティブに従って行動する」というのが一番の根っ子にある大前提になります。

例えば、消費者でしたら、自分の所得の中で何をどれだけ買うのか自由に決めることができます。第三者から強制されることはありません。生産者も自分の持ち得る技術を生かして、売れるだけ、好きなだけ製品を作ることができます。

このことを「各人が好きなように行動する」と言ってもいいんですけど、少しフォーマルに表現して「インセンティブに従って行動する」と言います。

—— 「インセンティブ」というのがキーワードなんですね?

安田  結局、経済学というのは、当事者の立場に立ち返ってものを考える学問なんですね。これが他の社会科学系の学問との大きい違いです。

例えば、地球温暖化問題で、日本政府は2050年までに温室効果ガスを80%減らすという目標を掲げています。それをどうやって達成するのかを考える際、今日本がやっているように「補助金を出して再生可能エネルギーを高値で買う」という制度を作ったとき、各当事者がどのように行動を変えていくのか、を出発点に分析しようとするのが経済学者なんです。

なんとなく、「制度をこのような形に変えれば、社会全体の空気が変わって、良い結果が実現できます」という発想ではありません。制度を変えたときに、消費者はどのように行動を変えるか、企業はどのように行動を変えるか、外国はどのように行動を変えるか、といった具合に、それぞれの当事者目線で問題を考える。それが経済学の大きな特徴ですね。


経済学のトレンドは実証分野

—— 経済学の最近のトレンドというと何になりますか?

安田  経済学の分野は、理詰めの方法論を積み重ねていくロジカルな理論分析と、現実に手に入ったデータを統計的な手法で活用していく実証分野の大きく2つにわかれます。

最近の経済学のトレンドは、完全に実証分野ですね。理由はいくつかあります。1つは、理論分析に関して、かなりの蓄積がされてきたことです。例えば、企業間の競争ではさまざまな分析の仕方がありますが、理論上、Aという分析スタイルではこのような結果になる、Bという分析ではこのような結果になる、というように、いろいろなことが理詰めではわかってきました。

では、自分の分析する業界にはAモデルが合うのか、それともBモデルが良いのかというとき、職人芸的なところがあって、どちらを選ぶかに関する客観的な基準がほとんど無かったのです。研究者の間での定番、専門家による多数決で決めるような形だったのです。

ところが最近起こっているのは、どちらのモデルが正しいのか、データで白黒つけようという実証分析の流れです。世の中で膨大な情報が手に入るようになってきたことに加え、コンピュータの性能が劇的に向上し、気軽にデータ分析ができるようになりました。それから、統計分析のための方法論も非常に洗練されてきました。

「データ」「コンピュータ」「分析のための理論」の3つの理由から、実証分野がこの20年ほどで劇的に進みました。

—— ピケティがやったことも実証分野にあたりますか?

安田  そうですね。ピケティは『21世紀の資本』の中で、大きく3つの重要な仕事をしています。その1つ目が、データをそろえたことですね。

ピケティは、母国フランスのように、長いケースだとおよそ200年に渡って丹念に所得データを整理しました。100年以上前は、家庭ごとの所得データはどの国でもそろっていないので、他のデータから所得を推計しなければいけません。そこを膨大な調査を行い、ある程度信頼できる形でデータを推計・整理して、非常に長いスパンの経済成長の度合いや格差の進展具合を、見える化することに成功しました。しかも、さまざまな国のデータを整理したので、国際比較ができるようになりました。こくしたデータ整理に対する貢献というのは、誰も否定しません。

2つ目が、理論的な説明ですね。ピケティの仮説は、格差が再び拡大傾向にあるということなんですが、ではなぜ拡大傾向にあるのかという説明を
・「r(資本収益率)>g(経済成長率)」
という不等式であらわしました。つまり、資産をたくさんため込んでいる富裕層は自ら資産を増殖する一方で、平均的にならした経済活動の水準というは、gの割合でしか増えていかないので、格差はどんどん大きくなるということです。このように、経済学に詳しくない人でも理解できる形で理論的な説明を提示しました。ただ、この理論は、インセンティブを考慮していない、とても大雑把な仮説なので、専門家からもさまざまな形で反論があります。

3つ目が、格差を縮小させるための政策提言です。ピケティは国際協調によるグローバルな資産課税を提案しています。これに関しては、実現可能性を問う反論は根強いです。ただ、もちろん賛同する人もいます。


なんとなく経済学でいい

—— 経済学を学ぶことで身につけられ能力で、一番の強みというと何でしょうか?

安田  強みは、当事者目線です。各参加者のインセンティブを通じて物事を見るトレーニングを積めることですね。

経済学を勉強することが、どのようなことに役立つのか、個別具体的な知識をあげることは難しいです。会計や簿記でしたら、会計士の仕事に直結しますし、法学部なら弁護士をはじめとした法曹業務につながります。ですが経済学の場合、ものの見方を教えているような学問分野なので、会計や法律と同じような形で説明することは難しいです。

でも逆に言うと、経済学は一つの方法論、ディシプリンがしっかりと確立されています。考え方の核となるような専門性を身につけて世の中に出ていくことで、いろいろな形で応用が利くのではないでしょうか。

特に最近は、データ分析が日本でもやっと進んできました。経済学部で一定のデータ分析の手法を勉強して社会に出ていくことで、いろいろな企業、組織でかなり重宝される人材になるのではないかと思います。

—— 「なんとなく経済学部」という進路の選び方については、どのようにお考えですか?

安田  経済学部に限らず、進路は「なんとなく」決めて良いものではないかと思います。むしろ、高校までの段階で、大学から社会人に至る長期的なキャリアプランができている生徒のほうが怖いくらいです。

逆に、明確な目的意識を持ってない高校生が大学に入ってきても、きちんと魅力を伝えて、人生を豊かにする一定の学力を身につけさせて卒業させるのは、大学の責任ではないでしょうか。経済学にはその魅力があるし、社会に出ても十分役に立つと思っています。

—— そのときに先生の影響は大きいですね?

安田  大きいですね。僕自身もこうやって経済学部に入って、教員にまでなったのは、大学で最初に受けたミクロ経済学の講義が面白かったからなんです。

当時、東大の神取道宏先生の授業を受けたんですが、先生は教えるのが非常にうまく、目から鱗の連続でした。ミクロ経済学のなかでも、特に先生が専門としているゲーム理論の魅力に取り憑かれました。ゲーム理論というのは、各人のインセンティブを考えるんですけど、お互いにインセンティブがからみあった状況をどうやって解きほぐすか、というものですね。

もし神取先生の授業を受けていなければ、僕は普通に就職していたと思います。

—— 経済学を学ぶのに、向き不向きはありますか?

安田  経済学に不向きな人は基本的にいないと思いますけれど、ただ、より経済学を楽しめるとすれば、やはり常日頃から世の中の仕組みや、特に経済やモノの動きに関して何か疑問を感じている人だと思います。

なぜ景気を浮揚させることができないのかといったマクロ的な問題から、どうすれば有利に就職活動を進められるか、というミクロな身近な問題まで、経済に対する疑問を抱えている。そして、ある程度、自分の頭で考えて、その答えを見出したいと思っている人にはとても向いていますね。

—— 経済学を学ぶのに、数学の能力はどの程度必要とされるでしょうか?

安田  経済学は論理性が重視される学問なので、その意味では、数学が得意な人は向いています。ただ、数学といっても、たくさんの方程式や微積をイメージする必要はありません。数式は苦手でも大丈夫です。

もともと数学というのは論理の積み重ねなんですね。一定の仮定があって、そこから演繹していくという積み重ねのプロセスが数学なので、見るからに複雑そうな数式などは、おまけみたいなものなんです。ロジカルに物事を考えるのが数学の本質で、その能力が高い人は、経済学に向いてますね。

—— 最後に、高校の先生方へのメッセージをお願いします。

安田  最近、一見すると経済に関係のない問題を経済学者がかなり分析するようになっています。なぜ、そのように経済学者が分析の幅を広げているのか、あるいは、広げることができるのかというと、どのような社会の問題でもインセンティブがからんでくるからなんです。それぞれの問題を突き詰めて考えると、本人たちの動機が何らかの形で関係している。結局、インセンティブに基づいて世の中の現象を見つめてさえいれば、ある意味、全て経済学の対象になります。そうしたことを、すべて経済学部で勉強することができるわけですね。

ですから、考えることを放棄して、答えを押し付けるような上から目線になるのではなく、一人ひとりの目線、当事者目線でいろいろな問題を考えてみようという教育を、高校の現場でもチャンスがあればやっていただきたいです。それによって、経済学への興味も増すのではないかと期待しています。

<インタビュー内容をまとめて頂いたライターの沢辺有司氏に感謝します>

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