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レヴィット ミクロ経済学:監訳者「序文」

 ミクロ経済学に待望の中級テキストが刊行された!スティーヴン・レヴィット、オースタン・グールズビー、チャド・シヴァーソンという、シカゴ大学が誇る三人のスター教授たちによるMicroeconomics(Worth Publishers,2013)である。本書『レヴィット ミクロ経済学』はその邦訳で、原書が700ページ以上の大ボリュームのため、読者の使いやすさを配慮して基礎編発展編に分けて刊行することにした。

 『レヴィット ミクロ経済学』の最大の特徴は、初学者でもこれ一冊で「使えるミクロ経済学」がマスターできることにある。経済学の前提知識が無くても、独学で中級レベルのミクロ経済学の使い方をきちんと身につけることができるように、随所で工夫がされている。もちろん、初学者だけでなく、入門書では物足りない読者や中級テキストに挫折してしまった学生が、ミクロ経済学をきちんと学び直すのにもぴったりだ。ミクロ経済学の理論をビジネスに活かしたいと考えている社会人、ビジネススクールの学生にも強くお薦めしたい

 実は、ミクロ経済学の分野では、定評ある初級の入門書はすでに何冊も出版されている。特に、洋書はどれも記述が丁寧で、マンキュー、スティグリッツ、クルーグマンなどに代表されるように、文字通りゼロから学べるテキストが充実している。こうした良書の共通点は、ほとんど数式を使わず、身近なケースをたくさん用いて、鍵となる考え方を繰り返し分かりやすく説明していることにある。しかし、中級レベルのテキストになると、途端に理論重視で無味乾燥な内容になり、詳しい説明もなく、数式や小難しい(ように見える)概念が次から次へと出てくることが珍しくない。さらに、そこで登場する数理的なテクニックが、どのような形で経済学の実践に役に立つのかを示す、具体的な実例が紹介されることもほとんどない。これでは、苦労してまで中級レベルの内容を勉強しようとするモチベーションが湧きにくいだろうし、せっかくコアとなる理論を身に着けても宝の持ち腐れになってしまう。事例が豊富で数式がほとんどない初級テキストと、数式ばかりで事例のない中級テキストとのギャップを埋めるテキストが、長らく求められていたのである。

 本書は、まさにこの初級と中級のギャップを埋める、画期的な中級テキストとなっている。類書でほとんど触れられていない、現実の事例や理論の使い方については、「理論とデータ」「応用」のセクションで、様々な実証研究やデータなどを取り上げることでカバーしている。さらに「ヤバい経済学」のセクションがあるおかげで、常識はずれな経済学の活用法を知ることができると同時に読み物としても楽しめる、というのも他のテキストにはない大きな魅力だろう。では、中級テキスト最大の泣きどころとも言える、数学の多用についてはどうだろうか。残念ながら、入門から一歩進んだ本格的なミクロ経済学をマスターするためには、数式やグラフの理解は欠かすことができない。なぜかと言うと、入門書でおなじみの「言葉による説明」だけでは、内容が漠然とし過ぎていて、具体的な個々の問題に対して答えを導くことが難しいからだ。そのため、本文をパラパラと眺めれば明らかなように、本書でも数式やグラフはかなり頻繁に登場する。ただし、式の展開やグラフの意味などが懇切丁寧に説明されているので、数学が苦手な人でも心配することはない。途中のプロセスを一切省略することなく、ここまで細かく手を抜かずに、数学について解説した経済学の中級テキストはなかなか無い。この非常に丁寧で分かりやすい数学の説明の仕方こそが、独学で「使えるミクロ経済学」の修得を可能にする、本書最大のカラクリと言えるだろう。

 余談ではあるが、数式を使いながらわかりやすさも損なわず、「かゆいところに手が届く」書き方になっている要因は、著者の一人であるスティーヴン・レヴィット教授が学生時代に数学を苦手としていたからではないだろうか。彼の代表作『ヤバい経済学(増補改訂版)』によると、大学時代に一つしか数学の授業を取らなかったレヴィットは、MIT(マサチューセッツ工科大学)博士課程の最初の授業で隣に座った学生に、学部レベルで知っておくべき初歩的な数式の記号の意味を聞いて周囲を驚かせたらしい。当時のクラスメートで本書の共著者でもあるオースタン・グールズビー教授によると、周りは彼を見限り「あいつ、おしまいだな」などと囃していたという(そこからレヴィットは独自の道を切り開き、ノーベル賞の登竜門と言われるジョン・ベーツ・クラーク賞を受賞するほどのスター経済学者となるのだから、人生は面白い!)。自身の体験を通じて、数学の苦手な学生がどこでつまずくのかを熟知していたレヴィット教授だからこそ、先回りして、読者のかゆいところに手を差し伸べることができたのかもしれない

 さて、本書『レヴィット ミクロ経済学』は、昨年すでに原書の第2版が刊行されている。新版では新たに「第13章 要素市場」が追加された他、細かいアップデートが行われた。ただし、この第13章は、初版の第5章の一部の内容を移して1章分に拡張したものであり、見た目ほど大きな変更ではない。書籍全体を通じて、初版から大きく内容が変わっている点も特に見当たらない。なお、原文の意味や説明が分かりにくいところは、訳出の際に、こちらで読みやすいように少しだけ修正を加えてある。最新版の邦訳でないことを気にされる方がいるかもしれないが、ぜひ安心して本書を読み進めて頂きたい

 最後に、本書の翻訳作業を引き受けてくださった翻訳家の高遠裕子氏と、編集作業でお世話になった東洋経済新報社の矢作知子氏に感謝したい。お二人のお陰で、中級レベルであるにも関わらず、非常に読みやすいテキストとして本書を完成させることができた。高遠氏による、堅苦しさを感じない自然な日本語で訳出された『レヴィット ミクロ経済学』を手に、ぜひ一人でも多くの方に「使えるミクロ経済学」のマスターを目指してもらいたい。本書を読了すれば、きっと世界が今までとは違うように見えるはず!

安田洋祐(大阪大学大学院経済学研究科 准教授)

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