「中国共産党、その百年」を読んで 上

 この本の作者は毛沢東に好意的だ。
 本書を読んでいる間、常に比較対象にしていた本がある。「真説 毛沢東」著者はユン・チアン。文革時代の当事者であり、祖母と母は貧困時代を経験している。彼女の描く毛沢東はどこまでも悪辣な暴君だ。
 対して本書では、毛沢東を英雄視する。このギャップは印象深い。

 今回は二部構成で記事を書く。前半では「真説」と比較し、毛沢東の書き方の違いを浮き彫りにする。後半では時系列に従い、今回新たに得た知識をもとにこの時代を書く。

 毛沢東の扱いの違いだが、特に目立った三つの要素について書いていく。

一、古参幹部の扱い

「真説」では、毛は自ら幹部たちを粛清した。古い付き合いであろうと、たてつくなら容赦はしない。拷問も処刑も嬉々として行う。
「その百年」では、古参幹部らの失脚は毛が望んだことではない。権力抗争に敗れたにせよ、支持を失ったにせよ、毛沢東が粛清したのではなくただ失脚したのだと書く。毛は古い同志たちが失脚していく中、ひとり理想を実現するため戦い続けたのだと。

二、軍事面

「真説」では、毛沢東は日本の侵攻を歓迎していた。当時は国民党の支配する中華民国政府と敵対していたから、敵の敵は味方、ということだ。
 また、毛沢東は戦果をあげたことはない。部下たちの手柄を自分のものとしただけ。遊撃戦や長期戦も毛のアイデアではない。むしろ毛はそれらに否定的だった。しかし結果が明らかになるにつれ手のひらを返し、自身の軍事的才能を宣伝した。
「その百年」ではこれと正反対のことが書いてある。
幹部への扱いはともかく、こと軍事に関しては「真実」のほうが信用できると思う。「その百年」では抽象的なことしか書いていないが、「真実」では個々の作戦、その結果、指揮官が具体的に書かれているからだ。

三、建国後の政治。大躍進政策と文革。

 大躍進政策は1958年から三年間行われた。農産物と鉄鋼製品の増産政策だ。それによって兵器を作り、軍事大国を目指した。
 大躍進計画の裏にあるのは「立ち遅れれば、やられる」というスターリンの言葉だろう。毛沢東はこの言葉をよく引用した。軍事力で遅れれば、西洋列強にやられる。
 結局、大躍進では食料の増産はできず、三千万人以上の餓死者を出して終わる。
 「真説」では毛沢東の悪性を示す出来事として語られる。毛の目的は世界帝国の覇者たらんとする野心であり、そのために人民がどれだけ餓死しようが知ったことではない。
 対する「その百年」では、毛を悪役としては書かない。
 人民たちはあくまで自発的に働いたのだ。毛への敬愛のため、身を粉にして働き、食料を供出。党の幹部たちも同じだ。毛のためにこそ、人民を酷使し、計画は順調に進んでいると偽の報告をした。毛は直属の人間から計画がうまく行っていないことは知っていたが、「人民の熱情に水を差してはならない」と計画を続行。毛は自ら暴君となったというよりも、暴君となることを支持されたのである。

 文革も同じだ。前者では政敵を粛清するための演出だとし、後者では党の刷新をはかるも理解者がいなかったために起きた悲劇だとする。

 どちらがより真相に近いのかを判断するのは難しい。しかしどちらの本にせよ、だれが、どんな目的で書いたかは頭に起き、割り引いて読むべきだろう。

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