「中国共産党、その百年」を読んで 下

 鄧小平は復職後、党の全体会議で自身の政策「改革開放」を認めさせる。華国鋒は毛沢東の言葉を持ち出して反対したが、あえなく敗れた。
 
 改革開放政策では市場経済を部分的に導入。文化的鎖国もやめ、海外の文化が入ってくる。他国の思想に触れたたことで、人々は政治について議論するようになる。
 鄧は民主主義の広まりを恐れた。「改革開放」は一党独裁の変更ではないことを強調するため、四つの基本原則を打ち出す。
 
・社会主義への道
・人民民主主義独裁
・中国共産党の指導
・マルクス・レーニン主義、毛沢東思想
 
 だが民主主義の勢いはとまらなかった。1989年6月4日。天安門広場にてデモが起こる。鄧小平はこれを軍事制圧。
 この六四天安門事件に、海外から批判が殺到する。改革開放による評価は地に落ち、一党独裁体制への批判が再燃した。
 
 天安門事件の直後、江沢民がただちに鄧小平への賛意を示す。このことで鄧小平の目にとまる。
 鄧小平の死後、江沢民は後継者となり改革開放を継承。経済発展はめざましく、欧米世界も中国の実力を認めざるを得なくなる。
 2001年、江沢民はWTO(世界貿易機構)加盟を実現。中国は「世界の工場」となった。
 
 北京オリンピックが行われると、一党独裁への批判は下火になる。2011年にはGDPが日本を抜いて世界二位となる。2028年にはアメリカを抜き、一位となる予測も立てられた。
 中国共産党に言わせると、これは大国に「返り咲いた」のであり、「のしあがった」のではない。かつて大清帝国は世界一の強国だった。19世紀末、経済力でアメリカに抜かれたのを150年ぶりに抜き返すのだ。
 
 これは考えてみればおかしなことである。共産党は革命をかかげ、既存の勢力と戦い、伝統を破壊した。それが今は漢民族の歴史の継承者を名乗っているのだ。
 百歩譲って漢民族政権であることを認めても、清王朝は満州族の王朝である。20世紀はじめ、漢民族は「滅満興感(満州族の清を滅ぼして漢民族の王朝を再建する)」を掲げて皇帝と戦った。
 突っ込みどころは多いが、政治家の言うことなんてそんなもんだろう。
 
 今、中国では世代交代が起こり、建国の元勲の息子たちの時代になっている。彼らは太子党、もしくは紅二代とも呼ばれる。
 周仲勲の息子である習近平もまた、太子党のひとりだ。周仲勲はかつて八大元老と呼ばれる共産党の長老だった。文革で失脚するも毛沢東死後に復活、鄧小平のもとで働いた。
 総書記・習近平は汚職撲滅のもと、大物たちを摘発、逮捕。インターネットを監視するためのグレートファイアウォールを設置。集権化を進める。
 
 監視網はネット世界だけではない。現実世界にも多数の監視カメラを置いている。こう聞くとディストピア小説みたいな世界だが、必ずしも批判できるものではない。監視カメラのおかげで治安は向上。ネット上でもグレートファイアウォールを使用した独自のサービスがあり、電子決済などに利用されている。
 
 2021年7月、中国共産党100周年式典が開催された。習近平は約一時間の演説を行う。党の支配体制を堅持すること、建国百年までに社会主義現代化強国の完成を目標にすると話した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?