新しい生活を押し付けるな

コロナ禍がようやく収束に向かい、首都圏や北海道に残された「緊急事態宣言」が明日解除される見通しのようです。

解除後も、ウィルスは無くならずに、私たちの生活パターンを変えましょうという提言も為されていますね。いわゆる、「新しい生活」云々です。

人とは接近しない。常にマスクを外さない。面と向かってではなく、横並びになって会話する。バイキング形式では食事しない。顧客と相対する時にはアクリルやビニールで遮蔽する。可能な限り移動しない、集まらない、叫ばない、騒がない、群れない。

等々です。
~~しない、ない、しない、しない の連続です。

これを言葉を変えますと、あなたは汚れているかもしれないし、相手も汚れているかもしれないので、互いに触れ合わないで信じ合わないで避け合って、疑い合って生活しましょう、と。こういうことですね。

人を疑えということです。
世界はウィルスに支配され、我々はウィルスの奴隷となります。
あるか無いかもわからない、生きているか生きていないかもわからないウィルスという存在に怯えているだけではありません。
自分自身も含めた、この世にあるすべてのものに疑ってかかれ、と言っているのです。

こうしたことが、かつてあったでしょうか?

世界大戦がそうであった?
いや、違いますね。
戦争の時は、多くの人は自国のことは信じていたのです。
敵のことを疑い、疎み、傷つけ、殺しました。自国民は、殺しません。
ですが、ウィルスに関しては、今人は、隣人を疑い、遠ざけ、交わりません。そうしてくださいと、国が、お上が、決めているからです。
ある意味、戦争以上の悲劇ともいえるのです。

ウィルスはいけないのか。
そんなに恐ろしいのか。
目に見えないものを恐れるというのには、それなりの根拠がなくてはいけないのです。そうでなければ、お化けや幽霊と何が違うのでしょう。
そして、少なくとも今この日本では、壮大なお上の干渉で幾千万、億の人々が苦しんでいるのに、はっきりしたコロナ死者はわずか数百名です。
1億数千万のうちの、数百人です。
では、癌の死者は?
インフルエンザは?
生活習慣病は?
自殺者は?
交通事故は?
まさに、それらのほうが桁違いの多さなのに、幽霊のように恐れなくてはならない。

そして、滑稽な「新しい生活パターン」を押し付けられる。
およそ人の自然の行動パターンとは正反対のパターンを。

押し付けるな。
そして、根拠を示せ。
そう声を大にして、言いたいです。

押し付けるな。





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