ある「ギフテッド」当事者の半生(15) どうしてこうなった

初出勤の日。
店舗の開店時間は11時である。遅めに店を開けるのも秋葉原流だ。
10時半に行くと、まだシャッターが完全に閉まっていた。近くのタバコ屋で一服しながら、10時45分に行くとシャッターが半分だけ開いていた。
腰を屈め、店内に入る。1階は真っ暗で、そのまま店内の階段を登って2階へ。
メガネをかけた、とてもガタイが良い人−。どうやらこの人が店長なようだ。
「あっ、◯さん?店長のSですー。みんなギリギリに出勤だからさ。俺が来てシャッター開けておいたよ」
 ラグビー部にでも居そうな体格の人だったが、笑顔がとても柔らかい。この人の下ならやっていけそうかも、と感じる。

その直後に二人が2階に登ってくる音がした。そのうちの一人と眼が合う。
「あっ…よろしく」とその人が言うと、S店長が「お前、ちゃんと自己紹介しろよなー!」と笑いながらツッコミを入れる。
 「Oです…よろしく」。もう一人の男も「Nです」。どうやら二人は口下手なようだ。

 二人はタイムカードを切ったらしいが、私はタイムカードの入力方法がわからない。「後で押し方教えるから、そのときに修正しておくよ」とS店長。
10時55分、開店5分前に朝礼。店長は「今日から入る、Hさん。英語ペラペラ…なんだっけ?免税販売楽になるかもね」と軽い感じで紹介され、私も『Hと申します。よろしくお世話になります』と頭を下げる。

 …従業員、これだけ?秋葉原本店なのに?と思っていると、「今日は正午からFさん。14時からLさんが入りまーす。じゃあ、シャッター開けましょうー」

 なるほど、開店直後からいるのは社員だけか。ちなみにFさんもLさんも、日本人の名前では無かった。Lさんは名前からして中国か韓国系の人だと言うことはわかる。でもFさん?どこの国の人だろう?

 正午から来たFさんは、なんとウズベキスタン人であった。ウズベクは旧ソ連構成国だった国の一つで、中央アジアの国である。
秋葉原という場所柄、ロシア語が話せる彼はとても心強い。
そして14時から入ったLさんは、四川省出身の方だ。当然だが、二人とも日本語力は問題ないし、中国語やロシア語が話せる人は当時のインバウンド消費において必要不可欠だったから、とても心強い仲間だと思った。

その店舗は、1階にスマホとMac、2階にWindows機と一眼カメラのコーナーがあった。私は言われるがまま、1階でスマホとMacを売る事になった − 。


教育以前に、タイムカードの切り方すら教わってないんですけど…。

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