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シン・エヴァの感想(話のテーマとかそこら辺)

初めに

この記事はネタバレとネタバレとネタバレでできています。

まだ見てない方は是非とも読まずに、パンフレットと入場特典は手にしつつも上映終了後まで開封せずしっかり映像を見ていただきたいと思います。






本題


まず1回目に見た時は特に難しい事は考えずに見ようと心がけていました。

自分が考えたことは合ってるかなーとかそのくらいは考えてましたが、まずは今の制作陣がどういう形でケリをつけるのかをちゃんと見た方が良いと思いまして。

冒頭

これまでのヱヴァンゲリヲンから流すんかーい!ってのが最初でしたね。そりゃ序から14年経ってますからね…いや経ち過ぎやろそりゃいたいけな中学生も立派なフリーターになりますわ。

冒頭は当日の日付変更直後に見たものままですね、0706作戦でも見てますから特に新鮮な驚きってのはないです。この後2時間くらい新鮮な驚きというか知らんシーンばっか見るからありがたいっちゃありがたい。

…とまぁここで、ヴィレの姿を見てある事を以前の自分は考えてたわけです。

「シンジは一人で背負い込んで何かをするべきではない。」

「一人だけで何かを成そうとする奴は失敗する。」

と、破〜Qのシンジに対するアンチテーゼとしてこの冒頭はあるのだろうと考えてました。

ヤシマ作戦は日本中の電力を集めて、沢山の人の助けを貰って使徒を倒し綾波を助ける事もできました。反面冒頭の冬月が仕組んだと思われるヤシマ作戦の焼き直しは失敗しヴィレにパリ市街の復元を許します。

破のラストにシンジが独力と強いエゴでエヴァを覚醒させた結果、使徒こそ倒せましたがサードインパクトが起こりました。結果としてこれはニアサードインパクトとなり人類全滅とは行きませんが、世界は殆ど滅びたようになります。

Qではカヲルやアスカの静止も聞かず槍を2本とも引っこ抜き、見事にフォースインパクトを起こして鮮やかにカヲルが爆死します。

シンジが一人で何かを決めて突っ切ると大抵碌な事になりませんね。ミサトがシンジにリリスを見せて「皆で戦ってる」事を強く押し出した時とは大違いです。

そもそもネルフのエヴァというのが独力の象徴にも取れます。自律稼働であったり、それ一体が世界の全てを塗り替えるようなモノであったり。

ヴィレのエヴァはあくまで戦力の1つでしかなく、実際に戦い何かを成すのはあくまでも人であって沢山の人の力を合わせて戦うのがヴィレのスタイルです。

槍で世界を復元できなかったシンジと、人間の力で世界を復元したヴィレがこの冒頭で明らかに並べ立てられてるなとそう思ったわけです。


オープニングから先の話


赤い街を歩くアスカ御一行に合わせてオープニングですね。

「いやそこで予告のシーン殆ど使うんかーい!」でしたけどまぁエヴァの予告なんてそんなもんです。破の予告のシーンも大体海洋研究所とマヤの出勤のとこでしたし。予告のシーンが存在してるだけマシです。

総監督 庵野秀明のシーンでは5枚の通行止看板、この作品より先は無いという意味なんですかね。わざわざこんな事するからには何かしら意図はあるでしょうし…閉塞感を出す演出とも取れますが。

オープニングからのシンジはもはや泥ですね、言葉も発さないし歩くのも惰性感マシマシです。オープニング終わりでいよいよ生命維持装置が切れかけてもうんともすんとも言わないのは、いくらなんでもやられ過ぎだろ…と思いますが、まぁあんな事があればなとも思うわけで。しかも全部自分のせいですし。

そしてそこに迎えが来ます。ここに出てくる防護服はこれまでに出てきたネルフ職員が使ってるものですね、漫画版でレイがアルミサエル取り込んで自爆した時にはリツコも着てたアレです。ヴィレクルーのプラグスーツ型と比べると何とも動きにくそう。

聞き覚えのある声はまさかのケンスケ、そして起き抜けにシンジに話しかけるのはまさかまさかのトウジ。

「生きてた!!!よかった!!!!」とここで既にボロ泣きしてましたね、Qの事があってからサードインパクトで無残に死んだ物とばかり思ってたので…。と同時に生きてるのにあんな事するとはゲンドウは悪いヤローだとも思いますが!


第3村、生き残った人々

そこで描かれたのはサードインパクト前と同じ緑の大地に、赤くない水で暮らす人々の姿。「戦時中かよ」みたいな風景や様式ですが、他の所が真っ赤な世界ではそれもそうか…という謎の納得もあり。

第3村と云うらしいそこには1000人くらい人が居るらしく、他の村もそのくらいの規模としたらまぁ3000人くらいは少なくとも生き残りが居て、交易があるという事はそれなりに数もあるだろうというところ。

まさにヴィレの働き(封印柱ですね、冒頭にも出てたアレ)で復元され、人々が既に生きている世界がここにあったわけです。

つまりQでシンジか躍起になって槍抜く必要なんか全然無かったんですね。

当然ながらアスカはこの村の事を知ってますし、ヴィレのクルーも全員こういう村がある事を知ってます、ヴィレの下位組織KREDIT(クレーディト、信用という意味です。英語のcreditと同じですね。)が運営支援してるから当たり前ですが。

だから皆、「シンジがエヴァに乗って世界の修復に乗り出す必要なんか無い」ことはミサトも含めてわかってたわけです。「そうすればミサトさんだって…!」に結ばれる台詞がホントに空回り一本なのがよくわかりますね。

そこでは昔ながらの農作業が行われてます。「昭和か!」って思ったり「そんな衰退する事あるか???」って思いましたが、考えても見ましょう。

我々が見てたエヴァ世界の科学力って≒ネルフの科学力なんですよ。

そもそもエヴァの世界自体2000年(旧作準拠)にセカンドインパクトという未曽有の大災害が起きて世界の人口が半減したり、現東京や横浜といった主要都市が水没してる世界です。

第3新東京市に限ってはネルフの科学力の恩恵をバチボコに得られますが、ミサト含めて人々の暮らしぶりというのは我々が今現在生活してる世界とそこまで大きく差はありません。

そしてその科学力の大元のゼーレやネルフは今どうなっているかというと、全然敵になってます。

ヴィレには医療機器等のテクノロジーは残ってるようですが、生き残り全員の面倒を見れる程の余裕はありません。

この第3村の人々の生活の中心は廃列車です。風呂も図書館もそこにあり、ケンスケは山奥の廃駅を改造して家にしています。

発電ができる大きなものが電車くらいしかないと言う事になりますから、電気や燃料を使うテクノロジーは最低限かつ集中させないといけないわけですね。トウジの「贅沢させてもろてる」ってセリフとかヒカリパパのお叱り(シンジが飯も食わず塞ぎ込んでるとこに貴重な飯を食わないのは失礼だと怒鳴ります。)を見ても、KREDITの支援込みで相当キツイ状況なようです。

この後には黒波は村の一員として農作業に従事するわけですが、「ノルマがある」というおばちゃんの発言やケンスケが「なんでも屋をやる代わりに基幹産業の農作業を免除されている」という事を後に言う事も含め、この第3村は他の村を含めた食料基地の役割があるのかもしれません。その分衣類とかは他の村がやってるとかも有り得そうですね。

アヤナミレイ(仮称)、黒波の変化

黒波はネルフを離れたこの村での生活の中で、挨拶やお礼、仕事や命令なく生きる事など、色んな事を知ります。 

赤ちゃんを「人を小さくしたモノ」と捉えるのは綾波シリーズの出自を考えればなかなかな発言ですね。人の産まれる過程すら知らんのです。

ここで黒波の教育係は目出度くトウジと結ばれてツバメという子供まで授かった旧姓洞木、現鈴原ヒカリです。

いやぁこれも良かった、旧アニメではトウジが弁当食えず、漫画では死別と悲恋ばかりの委員長がやっと幸せになれたわけですから。

料理の出来る良い嫁さんになったようで、トウジからは「世界一の嫁さん」とまで言われております、幸せになりおって…。

この二人が結ばれたきっかけはケンスケからシンジに伝えられます。

「ニアサードインパクト後の苦労が二人を結ばせた、ニアサーも悪い事ばかりじゃない。」

ケンスケはネルフ職員を父に持ち(この父はニアサードインパクトでは生き延びるもその後に事故死した事が判明し、その墓参りにシンジとアスカを連れて訪れるシーンがあります)、常日頃からそのデータを盗み見てたような奴ですからシンジがトリガーになった事も知ってるでしょう。そもそもヴィレクルーが知ってるのでほぼ周知の事実というのがありそうですが。

そのヒカリは幼児の如くアレは何これは何だ今言った言葉はどういう意味だと聞いてくる黒波に、ひとつひとつ意味を教えていきます。

おはよう、おやすみ、さようなら、握手…我々が普段からしている何気ない事ひとつひとつに人と関わる為の想いがあるとヒカリは教えるのです。

その他畑仕事を手伝う子供に物を拾ってもらったら礼を言う、拾った物は返す、とごくごく当たり前の事を学び、本を読む事にもついに関心を示します。

命令ならそうする、が口癖だった頃が嘘のように沢山の人と関わり寝食を共にし、ついには誰に言われるともなく笑顔を浮かべる程になります。

そして恥ずかしい、照れるといった感情すら学び取っていきます。

「何だこれは…」と言いたくなるような、嘘みたいに暖かくて優しい日常シーンの中で黒波にどんどん興味を引かれてしまうんですね…我ながらちょろいもんだ…。


一方その頃我らがシンジくんはケンスケの家で三年寝太郎したりアスカのDSSチョーカー見てトラウマ掘り起こされてゲロったり、余りのだらしなさにキレたアスカにレーション(不味そう)を罵詈雑言と共に口にぶちこまれた後家出するなど、黒波と対象的に孤独を極めていこうとします。ていうか何でレーションパンチする時アスカはプラグスーツだったんだろ…。

暖かな黒波の日常と、まるでクソみたいなシンジの日常は平行線のまま進みますがこの家出を機にちょっとだけ話が進みます。

その先にあるのも、シンジが一人になっても良いことはないという題目に沿った話になって行きます。



ここまでの感想

前半を見て1つ安心できたのは、「人と関わる事が正解なのは変わらない、エヴァのテーマとして生きてたんだ」という事ですね。

こういう非日常な日常のシーンが映画全体の解になるやり方自体は特に珍しい物では無いと思いますし、バトル系だとよくやるものだと思います。

ただ今回、他人との関わりがあるべき形という大元は変わらないものの「他人への恐怖がありながら、それでも他人と関わる」旧作とは違い「簡単な事で、もっと人は関わっていける。難しく考え過ぎるのも良くない」という形に変わってるな、と。

「時代が変わったんだなあ」と思う反面、「あぁ、庵野監督元気になったんだなあ、良かったなあ」とも思うんですね、後半は割とマジですよコレ。

「シンジは旧作と変わらないけど、周りの人の関わり方が違うから違う物語になる」というのを旧作→新劇場版というフォーマット移行と破→Q移行の時間軸移行で二重にやってる形でもあります。旧作のシンジくんは今シンエヴァの世界までズルズルと来てしまった形になります。

長くなってきたので今回はここまで。

次回は思いついたら書きます。


あ、あとブラックジャックのOVA版のU-NEXT配信が今月いっぱいで終わるので早く感想記事書かねえとともなってます。こっちもなんとか書きたい!

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