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日本学術会議の不思議

ニュースで物議をかもしている「日本学術会議」ですが、自分がちょっと調べて、疑問に感じた部分を提起しておきます。

日本学術会議とは

日本学術会議について、ウィキペディアの説明を引用します。
公にされている文書からなので、公正性が担保されているという認識です。

日本学術会議(にほんがくじゅつかいぎ、英語: Science Council of Japan、略称:SCJ)は、日本の国立アカデミーであり、内閣府の特別の機関の一つである。日本の科学者の内外に対する代表機関であり、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする(日本学術会議法 第2条)。国単位で加盟する国際学術機関の組織構成員(NMO - National Member Organization)になることもあり、それらの国際分担金も担う。アジア学術会議も推進し、その事務局は日本学術会議内に置かれている。

日本学術会議は、日本学術会議法によって規定されている、内閣府所属の特別機関ということです。

さて、今回、問題になった任命については、概要に掛かれているので、そちらを引用しておきます。

内閣総理大臣が所轄し、その経費は国の予算で負担されるが、活動は政府から独立して行われる(日本学術会議法 第1章の第1条・第3条)。
「科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること」「科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること」を職務としている(同法 第2章の第3条)。

日本学術会議は210名の会員と約2000名の連携会員で構成され、いずれも任期は6年で、3年毎に約半数が任命替えされる。会員は再任できない(補欠の会員は1回再任可能)が、連携会員は2回まで再任できる。
会員は内閣総理大臣から任命され、連携会員は日本学術会議会長から任命される(日本学術会議法 第7条・第15条・第17条、日本学術会議法施行令 第1条、日本学術会議会則 第12条)。
会員は特別職の国家公務員連携会員は一般職の国家公務員である。(国家公務員法 第2条)

会員の任命から次の任命までの3年間が日本学術会議の活動の一単位となっており、会長・副会長の任期も同じ3年間(再任可)である。ただし任期中に役員の交代が行われる場合もしばしばある。基本的には3年間の活動単位が一期となっており、現在は第25期(2020年(令和2年)10月 - 2023年9月)。

国際自動制御連盟(英語版)(IFAC)など国単位で加盟する国際学会に対して、日本学術会議内の委員会が組織構成員(NMO - National Member Organization)になることもあり、会員費用も払っている。しかし既存の学会が占めてしまい、新たに申請しても通らない場合がある。委員会は国際学会が開催するシンポジウムの後援をするとともに、国内関連学会の連携を取り持って学術講演会を催すケースもある。

2020年10月の内閣官房長官による発表では、総額は約10億5千万円、「人件費などを含む政府・社会などに対する提言」で2億5千万円、「各国アカデミーとの国際的な活動」で2億円、「科学の役割についての普及・啓発」と「科学者間のネットワーク構築」でそれぞれ1千万円、「事務局人件費・事務費など」で5億5千万円と発表された。なお、事務局には2008年時点で50名のスタッフがいた。

既得権益に固まった、思考硬直に陥っている組織と言えなくもないですね。
法改正の上、組織を解体、または必要部分だけを残して縮小が妥当かもしれません。

私見ですが、会員、または連携会員を任命するだけで、国家公務員になってしまうのは、「学問では食えない」時代の遺物ですね。

会員の選定

会員についての内容については、次の通りです。

日本学術会議は210名の会員と約2000名の連携会員で構成される(2005年の組織改編までは連携会員は存在せず、委員という肩書であった)。
会員は特別職、連携会員は一般職の国家公務員(非常勤)となる。
設立当初、会員は研究者による直接選挙で選ばれていたが、その後1984年からは各分野の学協会推薦方式に変更になり、さらに2005年からは現会員が次の会員を選ぶコ・オプテーション(英語版)方式になっている

最初は、会員は民主的な選挙で選出されていたにも関わらず、身内の学会や協会の推薦による選出方式になり、最終的に、現会員が次の会員を選ぶ方式に改悪されました。

なお、1984年(昭和59年)の会長職は「塚田裕三」氏であり、2005年(平成17年)の会長職は「黒川清」氏です。
また、2004年の法改正(コ・オぷテーション)に関わったのは、小泉純一郎元総理大臣であり、内閣府特命担当大臣の竹中平蔵大臣です。

日本学術会議会長の講演録

なお、平成28年1月15日に開催された新年互礼会のあいさつで、日本学術会議会長(当時)である「豊橋技術科学大学学長 大西 隆氏」の講演録がありました。

「日本学術会議の67年、その機能と意義」講演録(こうしかい第300号)

問題部分を抜粋します。

・1949 年に、日本学術会議法によって、人文・社会科学、生命科学、理学・工学の 3 部体制にて設立された。210 名の会員は 3 年に一度の選挙で選ばれた。公職選挙法といった決まりに則った選挙ではなかったこともあり、組織票や選挙運動などが問題となり、国会や新聞で取り上げられるようになった。その主張が時の政府と対立的なこともあり、日本学術会議を廃止にしようとの声さえ聞こえる状況となった。

・このため、1983 年に法改正が行われ、各学会や各協会から出した被推薦者の中から会員を選ぶ方法に変更。
この法改正以降、日本学術会議は大きく変化していく。会員選考方法はさらに 2004 年の法改正によって、現役会員が、半数交代の対象となる次期会員 105 名を選ぶコ・オプテーション方式へと変更して現在に至る。

・2004 年の法改正の成果を検証するために、担当大臣の下に有識者会議が設けられ、2014 年には、「日本学術会議の今後の展望について」という報告がまとめられた。
日本学術会議の組織のあり方としては、組織が国の機関であるのが良いのかという点が論点の一つ。
内閣総理大臣の所轄の下、内閣府の「特別の機関」として設置されているが、世界的には、設置形態は多様である。
ただ、多くのアカデミーは、政府による財政的な支援を得ている。有識者会議は、諸外国の例も検討しつつ、種々の設置形態の比較を踏まえつつ、現行方式が勝るとした。このほか、活動の強化、広報体制、女性会員や地方会員の拡充なども指摘された。今後、有識者会議の報告を生かしていくことが、日本学術会議として重要な課題となる。

公職選挙法に準ずる選挙制度を作ればよかったものを、身内で固めていく方法に改悪していったために、学術会議の質が、本来あるべきものから乖離した、ということです。

どれだけ国益を損ねてきたか、うかがい知れます。
そして、どの大臣がかかわったかも、重要ですね。
だいたいわかっていますが。

どうせなら、廃止すればよかったのです。
昭和58年(1983年)に。



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