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次の放浪先:宝達山

2020年6月21日の夏至のタイミングで、この地を訪れることになる。
この山は、いろいろな意味で面白い場所である。
しかも、30年近く前からの、因縁の地でもある。

宝達山の山頂には、現在、放送局、電話局の電波塔が幾つも建てられている。単に、周辺で一番高いということだけでなく、石川県側の羽咋エリアの一帯と同様に、富山県側の平野部が一望できるのだ。これは、この山に特殊な役割を与えた。

1)海を行く道標
羽咋側の海は、北前船の航路であった。政商で有名な銭屋五兵衛が活躍していた土地柄であるし、河北潟周辺は物流基地として非常に栄えていたので、当然、海路を行く船が多かったことだろう。山頂でかがり火を焚けば、灯台よろしく、非常に遠くからでも見えたはずである。

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山頂には、手速媛神社の社が鎮座している。
実は、この社の管理者は輪島市に在住している。30数年前、たまたまこの社に参拝したとき、神社のお祭りの後片付けの最中であった。せっかくだからと、責任者だった管理者のおじいさんが、「どうぞ、お参りしてください」と招いてくれた。いつもなら、写真のように扉が閉まっていて中は見えないのだが、片付けの最中で扉が開いており、社の中がよく見えた。
中には、様々な石や石像が安置されていた。後述するが、この地は戦乱に焼かれており、元のご神体は失われているのかもしれない。だが、明らかに中国の経済の神様、関羽雲長(関聖帝君)の石像が置かれていた。
管理者のおじいさんに、何処から来られたのか聞いたところ、輪島市からということであった。

北前船は、松前から九州の島津を経由し、中国大陸まで経済圏を広げていた。石川からは米が輸出されたであろうし、富山の薬売りの漢方薬は、中国大陸からもたらされたものだ。
だから、関聖帝君として関羽雲長が祭られていたとしても、不思議ではない。

2)宝の山
宝達山という名前は、根拠無く付けられたものではない。この山の裾野には、あちこちに横穴が存在する。今は閉鎖されてはいるが、戦国時代は、金が産出したそうだ。だから、宝が達つ山、宝達山、というわけだ。

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この方向は、富山県側で、礪波市から高岡市、富山市までが一望できる、物見には絶好の場所だ。
戦国時代、富山の佐々成政が前田利家を攻めるため、この地に侵攻したことがあった。七尾城と金沢城が前田利家の支配下にあったが、その分断を図るためだったらしい。宝達山から富山側が丸見えなため、佐々成政は真っ先にこの地を蹂躙したようだ。
近くの出城には、奥村助右ヱ門が城主として守っていたようで、有名な前田慶次(前田利益)の漫画にも合戦の様子が登場している。

3)UFOの飛来する山

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ここは、もう一つオカルトで有名だ。
羽咋といえば、UFO。
この場所は、遠くまで見通せる眺望の良さもあり、UFOをよく見かけるという『ウワサ』がある。
私はUFOを見たことはない。しかしこの場所なら、UFOの港となっていても、あまり驚かない。何せ、山頂には、『山の竜宮城』と呼ばれている場所があるし…

そしてもう一つ、山頂からちょっと下ったところに、湧水が沸いている。
今回、この水も汲んでくるのだが、場所が特定できる写真を載せると、水場を荒らす愚か者が出てくるので、あえて出さない。
以前、話に聞いたのだが、この泉の水は霊水で、癌などに効くという『ウワサ』があるらしい。事実、霊効を求めて水を汲みに来る人がいるのだ。藁にもすがる思いだろう。
しかし、この湧水は不思議だ。どこを通って湧き出すのかわからない。山頂近くでは、地下水を保つ場所がないと思うのだが…
この時期、冷たい水が得られる場所は、とてもありがたい。

4)楽しみなご褒美が…

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今回は、山頂にある駐車場で一夜を明かす。
車はコンパクトカーだが、ハッチバックで後ろの座席に荷物が詰めるし、フラットにすれば寝袋も使える。
白山に登っていたことがあるので、山装備が使えるのも大きい。コンロがあるだけで、キャンプはがらりと変わる。それに、コンロ用の新兵器も導入した。キャンプ用のテーブルもチェアも準備万端整えた。
おいしい水で入れたコーヒーや紅茶は、ずいぶん旨いだろう。インスタントラーメンだって、全く味が変わるのだ。

40年前のテレビCMで、『わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい』というナレーションと、太いボンレスハムをワイルドにナイフで切り、フォークに刺して焚火で炙って食べる…、というものがあった。
私は、これに随分憧れていた。
キャンプの時は、いつもソーセージやハム系をもっていって、炙りながら酒を飲むことを、自分へのご褒美としてやっている。

今回も、是非、ご褒美をもらいたいものである。

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