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日課となっていること
日課となっていることって、結構ありますよね。
私にも、いくつかあるのですが、やらないと気持ちが悪いというか、しっくりしない。
そういったことを書きながら、ブラウンライティング(書きながら発想を刺激し、多様な発想を導き出すこと)につなげてみたいと思います。
あ、今は(23時を回ったところ)、コーヒーサロン的場面です。
起床後すぐに行うこと
起きてすぐ、腕にはめるタイプの血圧計で血圧と心拍数を計測し、タブレットの記録アプリに記入しています。
もう、1年以上続けていますが、きっかけとなったのは「心不全」でした。
最初は、動悸がするなぁと、軽く考えていましたが、次第に顔がむくみ始め、体を動かすこともしんどくなったので、自分で運転して病院に行きました。
看護師さんに「こんなになるまで放っておいて!救急車で直ぐ来なきゃダメでしょ!」と、結構キツく怒られました。
ある数値が、通常の1000倍以上あったらしく、普通なら倒れて動けない、そうです。
それでもまあ、無事に乗り切ったようで、担当医師の指示ではないのですが、自分で血圧を測るようになりました。
そう決意すると、不思議なもので、物がそろいます。
腕で血圧を測る血圧計が50円で、手元に来ました。
金額は、間違っていませんよ。
あるお店の目玉商品として売り出されていたものを、私がたまたま、ゲットできたということです。
血圧は、自覚の有無に関わらず、大きく変動しました。
現在もそうです。
薬の飲み忘れは、顕著に反映されることは、はっきりしました。
後は、体温チェック。
これは、最近の武漢コロナウイルスの関係もあって、自分で自主的にやっていて、これもタブレットに記録しています。
朝の祝詞の奏上
これは、捧げている水(ぐい飲みに2つ)を交換して、奏上しています。
これも、始めてから2年目に入っています。
神社では、この祝詞の簡略版で奏上していますが、朝は簡易版といってもフルバージョン。
禊の大祓いの他、稲荷祝詞2編、三種太祓、竜神祝詞、般若心経と、神棚の前で奏上しています。
別に、正式に習ったわけではないので、自己流です。
ただ、声のトーンが、体のチャクラにスイッチを入れていくのがよくわかります。
特に、般若心経は、共振」で体の周りのオーラが燃えるように活性化するのがわかり、これが、死者のための経ではなく、別の目的であることが、よくわかります。
私の行動って、結構自己流が多いです。
スピリット系は、途中まで教えてくれる人もいましたが、もう前例がないことが多いので、自分で実施しながら微調整する方法しかとれません。
昔は結構手探りで不安を抱えながら実施していましたが、今は、聞く存在がいるので、安心しています(と、義理で言っておきます)。
夜の祝詞の奏上
朝の祝詞と同じように、夜も、体の汚れを落としてから、神棚で奏上します。
朝は「今日も一日お願いいたします」という気持ちを込めますが、夜は「今日も一日ありがとうございました」という、感謝の気持ちを込めて行います。
夜は、朝の祝詞に加え、祓い系を3つ、追加して、より強く祓います。
このパターンも、やりながら整えました。
般若心経は、やはり、同じような共振を発生します。
この祝詞に出会ったのは、ほぼ偶然で、AMAZONで商品チェックをしていた時に見つけました。
特に、竜神祝詞が収められていたことが決定的で、見つけたその日に購入し、ずっと奏上しているという訳です。
変えることと変えないことの間
上げた日課など、ほんの一部です。
しかし、人生のターニングポイントって、実は過去を振り返ってみると、特定の日課をやり始めたり、はたまた、止めたりしたときに重なっている気がします。
100匹目のサルではないですが、閾値を超えたとき、劇的に状況が変わる体験をする。
そして、きっかけは、一つの分岐点であって、未来の自分を決定づける。
ということは、人間には、未来も過去もなくて、「今、現在」が、すべてを決定づけているのではないか。
くしくも、シークレットも、メタ・シークレットも、この点においては同一の見解を示しています。
だからこそ、直観ってすごく重要だと思うのですよ。
意思決定の選択を評価できるのは、過去の事象においてのみ。
3次元の空間に、時間軸を加えた4次元に存在する我々は、時間を微分した中で意思決定を最適化するしかない。
それこそが、より最適化された直観です。
どんなに時間を微分しても、越えられない壁がある(前を覗き込めない)のですから、上位次元から時間をシャフルして先を今見るか、時間のトンネルを使うか、手段を変える必要があるでしょう。
今の日課が閾値を超えるとき
祝詞を奏上したりする日課が閾値を越えるとき、何が起こるか…。
定期的に実施する「事象」が、特定の振動数を多様な形で発信していけば、それがどこかで発動するのではないか。
古式が、銀河系宇宙の最先端、ということもあり得える。
これは、カーライルが、実例を挙げて、私に告げていることのデフォルメです。
これからも、突然、全く関係無いことのように思えることが、日課に加わるかもしれません。
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