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藤子不二雄Ⓐ先生の思い出その③

藤子不二雄Ⓐ先生の思い出その③。先生はとても社交的に見えていたようだったが、その実シャイでもあった。だから初対面を意外と苦手としていた。先生に会いたがっていた人はずいぶん多く、いろんな方から面会を頼まれた。けれど残念ながらお断りされたケースも結構あった(それでずいぶん恨まれた)。女性に囲まれて育ったせいか、男性とのおつきあいには物おじされるようだった。一方で言い方は良くないが、外面はとても良くて、笑みを絶やさない。特に女性には愛想が良かった。だからサイン会などで先生とお会いできたことで、感涙に咽ぶ女性も多かった。僕は先生とは仕事上のつきあいで、作品のファンから入ったわけではなかったので『どうしてこんなにおじいさんと会って、みんな感激するんだろう⁈』と不思議で仕方がなかった。このような現象は谷川俊太郎先生のサイン会でも同じだった。サイン会が終わった後は、どちらもいつもプレゼントの山だった。先生とおつきあいした上で最も役得だったのは、自分の唯一の著書である「復刊ドットコム奮戦記」の表紙カバー絵を描いて下さったこと。当時の在籍メンバーの集合写真を絵にして頂いた。
 有名人である先生なので、数々のお祝いの席にも同席させて頂いた。古稀のお祝いは「つきぢ田村」だった。料理に芸術的な細工が施されていて驚愕だった。「第34回日本漫画家協会賞文部科学大臣賞」受賞時は、会場ホテルのバーで先生を待っていた全員がすっぽかされてしまった(先生は漫画家仲間たちと銀座バー「数寄屋橋」に飲みに行ってしまわれて帰って来なかった)。「第18回手塚治虫文化賞特別賞」受賞時は日本橋たいめいけん本店で大宴会。自分の隣に座った人が、芥川賞作家の長嶋有先生(ブルボン小林)だったのでドキドキして名刺交換した。お祝いの際には、先生はお金持ちなので、お金以外のプレゼントを用意した。大手出版社は100万円以上する仏像とか贈っていた。こっちはそんなお金は使えないので、智恵を絞った。先生の描く漫画の中で、あまりメジャーでないキャラ「ビリ犬」をプリントしたゴルフボールを差し上げた。たしか総額2万円くらいだった。結果的に「とてもセンスが良い」と藤子スタジオの皆さんからお褒めに預かった。内心で大手出版社に『どうだ❗️』と胸を張ったものだった。藤子不二雄Ⓐランド」完結のお祝い会では、何をお土産にしようか迷った。ちょうどその時に松野喜多枝さんとエルメスの話をした時に「私エルメスなんて持っていないわよ」と言われた(今思い出すと、そんなわけはないような気がする)。それで女性の部下にお金を渡して「エルメスの何か買ってきて」と頼んでお土産にした。その晩一晩で交際費を50万円も使ってしまい、後で親会社の監査役にこっぴどく叱られた。藤子不二雄Ⓐ先生との思い出は、まだまだ④も⑤も書けそう。またそのうちに書き溜めておきたい。

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