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牧師夫人の波瀾万丈な信仰の証、目の見えない叔母との同居

10月8日の高橋武夫牧師夫人の高橋ひろ子先生(以下、先生)による説教。今日のテーマは詩篇139章1〜6節「貴い神の計らい」。この箇所は先生の心の拠り所の箇所。お話しは自らの人生を振り返る信仰の証。波瀾万丈の人生を明るくあっけらかんと話されることに度肝を抜かれた。

 先生は北九州の小倉生まれ育ち。ご両親の離婚で2〜3歳くらいの頃に、母親と姉と離れて叔父叔母の家に預けられた。おそらく母子家庭で経済的負担に耐えられなかったのだろう。その叔母は目が見えない方だったそうだ。叔母はクリスチャンだったので、叔母に手を引かれて教会の礼拝に通ったそうだ。しかし先生が道を覚えたら、逆に幼い先生が叔母の手を引いて教会に通ったそうだ。目の見えない人を先導するにはコツがある。ただ手を引くだけではダメで、身体を密着させて寄り添いながら「右先に水たまりがあるよ」「この先に段差があるからね」などのシグナルを口に出すことが大事。そんな叔母の家に母親と姉が先生の顔を見に見に来た際に「一緒に帰る」と言ってついて行った。母親は実家の父親と暮らしていたが、父親は八幡製鐵に勤めていて、夜遅くまで姉と二人切りだった。姉は寂しがって夜の街を二人で徘徊した。

 この後で鬼界ヶ島に牧師として赴任した祖父祖母の家に預けられた。小倉の夜の街をほっつき歩いた癖で、鬼界ヶ島の山奥をターザンのように飛び回った。蛇を観察したり、泥水の中で泳いだり、野生猿のようにお転婆だった。また教会牧師の家庭だということで大事にされていたことをいいことに、教会裏のトマト畑で徒党を率先してトマトを盗み食いしたりしていた。祖母はお灸を据えたり、柱に縛りつけたりして諌めたが、全く意に介することはなかった、親元を離れても楽天的で、全く里心がつくことはなかった。子供というのは未来ばかり見ていて、過去など一顧だにしないものだ。ここで高校生になって、さすがにそろそろ自分の境遇が友人たちと違うことに気づいて悩み始めた。そうこうするうちに教会に若い女性の副牧師が派遣された。その副牧師から「自分が悪い子だと思っていても、イエス様は悪い子のままの貴女を受け入れてくれるのよ」と涙ながらに語ってくれた。その真摯な迫力に『今まで何度も聞いた話だと思っていたが、この話は違う』と思った。それでキリスト教の受洗を決意して、翌朝に祖母に伝えた。102歳まで生きた祖母は「よかったね」と答えた。その後に聖書学院に入学して聖職者への道を歩んだ。


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