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高橋武夫先生からのイースターメッセージ

4月25 テレビ体操、通算4,105日目。 4月17日の尾久キリスト教会の高橋武夫先生の説教の題材は「第一コリント人への手紙」でテーマは「主の復活の生命に生きる」。まさにイースターメッセージとなる。ちなみにイースターは磔刑になったイエス・キリストの復活を祝う行事。

 何でもある豊かな日本にないもの。それは時間そのもの。ラテン語で「メメントモリ」とは「人は必ず死というものから逃れられないことを忘れないように」という意味である。古今和歌集で在原業平は人生を「ついにゆく、道とはかねて、聞きしかと、きのうけふとは、思わざりしを」と詠んだ。諺には「そのうちとお化けは出た試しがない」とも言う。いずれも「死という必然を前に、人生の準備を怠ることなかれ」という戒めである。

 宗教の世界では、いかに教義を単純化して伝えるかということに、伝える側は工夫した。鎌倉仏教では「南無妙法蓮華経」を唱えることを救いとした。禅宗では坐禅を救いへの道とした。そしてキリスト教では「復活」の教えが救済への道とした。第一コリント人への手紙ではパウロの世界観がしめされている。霊と肉の観点から示されており、極めてユダヤ民族的観点で、日本人にはわかり辛い。これはキリスト教迫害者であったパウロが、初めてイエスと会った時に盲目となった。その改心の過程で肉眼ではなく、魂でイエスが神であることを信じた由来による。イエスの復活は万民にその姿を現したのではなく、神に選ばれた証人に対してのみの出現であった。復活の証人たちには、神の印章があったということである。

 明治時代に生きて、殺人犯で終身刑で収監されていた好地由太郎は聖書を差し入れられた。しかし文盲だった。看守にひらがなの読み方を習えば、聖書には漢字にルビが振ってあったので、意味がわかった。聖書を読んで模範囚となった彼は恩赦で赦免された。社会復帰して結婚もして、伝道師となった。瀬戸内海には長島という島があり、そこには二つのハンセン氏病施設がある。そこに橋がかかった時に、本州側では「余計なことをして」と非難する人も多かった。それを聞いて反発した自分は、家族連れで島を訪れた。ハンセン氏病施設である愛生園には教会もある。そこの牧師は自分の息子に「あなたはいくつですか?」と問うた。「中学一年生です」との息子の答えに、牧師は「私はあなたと同じ歳に、ここに来ました」と語った。牧師自身もハンセン氏病患者だったのだ。多くのハンセン氏病患者には今も顔形に病痕が残っている。それを見て「お化け」と泣く子もいる。しかし長島のハンセン氏病患者たちは自らの異形を、キリストの痕跡であると自負している。磔刑になったイエスに釘打たれた傷痕を、自らの病痕になぞらえて誇りを持って生きている。

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