川下り、御花の洋館など旅情豊かな柳川
「西部軍司令部 九州大学医学部事案 米軍機搭乗員犠牲者慰霊法要」の日は福岡県柳川市に宿泊。ここには従兄が住職を務める浄土真宗・多福寺がある。柳川市は北原白秋の生家があり、水濠川下り、そして大関・琴奨菊の故郷。泊まった朝に、亡くなった父と叔母へ正信偈でお務め。朝一番に、従兄と息子と3人で舟に乗って4kmの川下り。コース解説に歌と多弁な船頭だった。同乗者は香港からの女性客。低い橋を潜るスリルに嬌声があがっていた。柳川は全部で930kmもの水路が張り巡らされた水濠都市。観光用に建物も建築規制を敷いていて、蔵造りなど風情のある建物が多い。
川下りの終点は筑後柳川藩主・立花宗茂の別邸・御花。立花宗茂は戦国時代における九州の猛将で、豊臣秀吉に認められて、大友氏の麾下から独立した。その後の関ヶ原の合戦で西軍に就いたため流浪することになった。しかし本多忠勝の斡旋などによって、その後に旧領である筑後柳川藩に大名復帰した。波瀾万丈の生涯を送った武将である。「御花」は美しい洋館、朝鮮出兵時の金箔を貼った武具や、二代藩主・忠茂が伊達藩の娘・鍋姫を迎えた際に造った松島をイメージした庭園などが見物。昼食の後で多福寺に帰ってきたら、柳川に引っ越した友人が会いに来てくれた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?